第8話 ローレル

 翌朝は、今までにないくらい早く起きれた。

 何か特別な予定があるわけでもないのに、ただただ眠れなかった。

 レインの朝食も、殆ど食べられなかった。


 その日も依頼はガクッと減っていた、一日に二、三人来てもおかしくなかったが、静かなものだった。ボスであるボレアは、その状況を嘆きながらも、特に何かするわけでもなかった。

「ボス、何でですか?」

「どうした?」

「ここにお客が来ないのは、あの事件のせいで、ここの誰かがやったんじゃないかって、噂が広まったからですよね。レインが犯人だと警察に言えば、解決するんじゃないんですか?」

「昨日も言ったろう?ここは正義の組織じゃないんだよ、市民の義務とか、私には興味がない。それに、確固たる証拠がない。証拠がない推測は、はたから見たら、ただの妄想だよ」

 ボレアの言葉は、その通りだった。

 この妄想を、事実にするには、証拠も何もなかった。だけど、ボレアは、その妄想を現実にする方法を、思いついているのに、イーノを思って、言わなかった。



 イーノは、両親の殺人現場に来ていた。気が付いたら、何かあるたびにここに来ている気がすると、乾いた笑いを浮かべながら、何もせず、あそこにいるのもつらくて、何をしたらいいか分からなくて、ここに来ていた。

「こんな事なら、知らない方が良かったのかな」

 たどり着いた推測が、真実であれ、嘘であれ、一度こびり付いた、疑念は払拭しきるのが難しいものだ。だから、イーノは、レインとのこれからどう接したらいいか、分からなくなっていた。

 ガコンと物音が聞こえた。

その方向に行くと、ソルドが、現場検証を一人で続けていた。

「ソルドさん、ここで何してるんですか?しかも一人で?」

「ああ、実は、どうしても、ただの強盗に思えなくて、調べようと思ってね。現場百回、刑事の基本だよ」

「そうですか。ねえソルドさん、もしソルドさんが知った事実で、自分が傷つくとしたら、その事実を知りたいと思いますか?」

 急な問いかけに、ソルドは、困惑した。それもそのはずで、彼らは知り合って、それ程日が経っておらず、何かを相談するほど、深い関係ではなかった。でも、いやだからこそ、イーノは相談した。全く自分や、周りについて知らない人なら、きっと、公平な答えが来ると思って。

「そうだな、俺は、それでも知りたいな。刑事だからとか、関係なく、それが知らないで、後悔するなら知りたい。そして傷ついて、倒れて、立ち上がって、人間は強くなっていくものなんだよ」

 そっかと、彼は胸をなでおろした。そして、彼にお礼を言うと、一つだけお願いをして、帰路についた。



 そして、事務所に戻ると、二人に心配をかけたと、軽く謝ると、自室に戻る。

 そして、机にメモ書きを残して、眠りについた。


 翌日、昨日よりもすっきりとした朝に感じた。そして机を見ると、朝食のみで、メモ書きが消えていることに気づき、推測は確信へと変わった。


 事務所に入ると、イーノの表情で、二人は悟った。


 その後、警察署に行くとソルドと合流した。そして、先日の相談の通り進んでいることを伝えた。


 夜になった。今日も穏やかに一日が過ぎていった。イーノは両親の殺された現場でこれまでの穏やかで、素敵な日々を思い出していた。ボレアに拾われたこと、ドゥとふざけ合ったこと、レインがいつも心配してくれていたこと。全部が大切な思い出で、かけがえのない日々だった。


 現場にレインが来た。穏やかなイーノの表情とは正反対に、青ざめた顔は、今にも、膝から崩れ落ちてしまいそうだった。

「イーノこれは何?」

そう言って、突き出された、メモ書きには、たった一言、ローレルの宴とだけ書かれていた。

「レインどうしたの?そんなに慌てて」

「ごまかさないで、どこでこの言葉を聞いたの?どこまで知ってるの?」

今まで見た事ない、剣幕で詰め寄るレインの姿だった。

「レイン、本当に俺の両親や、アーゲスさんを殺したんだね」

イーノは自分が驚くほど、穏やかな声で質問をしていた。

「私の質問に答えて!!」

 いつもの穏やかな姿とは、かけ離れたレインの姿に、恐怖を感じながらも、イーノの心は揺るぎの全くない水面の様に、穏やかだった。

 発砲音が聞こえた。それはまさに青天の霹靂だった。

レインは背筋に針金が通されたように、背筋がピッとなり、イーノは突然の銃声に、自然と体を守ろうと、力が入ってしまう。

「もういい、さっさと殺せレイン。もう十分時間はやったろう。これまでしてきたんだから、簡単だろう」

 銃声とともに現れ、その言葉を投げかけたのは、レベテァだった。刑事であるはずの彼が、殺すように、レインに指示を出したのだった。

「あんたが、レインに命令して、殺させてたのか?」

 その黒く暗い声は思い出のあの日聞いたものだった。両親が殺されたあの日、ローレルの宴と言った声の主は、彼だった。

「そうだよ、お前の両親は、スパイだったし、アーゲスの奴は、知らなくていい事を知ったから消したんだよ。そしてお前の番だ、イーノ」

 とても人とは思えない、黒く澱んだ瞳で、イーノを見つめていた。

「待ってお父さん、イーノは、きっと、意味を知らないから、きっと、何も知らないから。ねえそうだよねイーノ」

 さっきまでの剣幕とは違い、まるで縋る様に、レインは言った。

「もう十分だ、イーノ君」

 イーノの背後から現れたのは、ソルド刑事だった。

「レベテァさん、銃を下ろすんだ」

 ソルドは、レベテァに向けて、銃を構えた。しかし、イーノとレインがいるため、むやみ撃てば、二人を傷つけかねないと、撃つのをためらっていた。

「何でだ、何で娘に殺せなんて言えるんだ」

「娘か。レインはな、俺が組織で活動するために、養子として迎え入れて、殺人マシーンとして育て上げたんだよ」

 イーノと、ソルドは、衝撃を受けた。そんな事を本当にするのかと、考えを逡巡させた。だが状況は、ゆっくり考える時間を与えてはくれない。今目の前にいる男は、警察ではなく、殺人の首謀者なのだから。そして、銃を構え、油断を許さなかった。

「おじさん、レインは娘じゃないのかよ」

唇を震わせて何も言えなくなった、レインの代わりにイーノが吠えた。

「何を言ってるんだ、さっきも言っただろう、レインはただの道具だよ」

「あんたなぁ」

怒りに満ちた瞳で、まっすぐにレベテァを捉える。

「もういい、また教育しないとな」


 レベテァは、イーノを捉えて、引き金を引いた。

 しかし、その弾丸は、イーノにたどり着くことはなかった。

 発砲音を聞いた瞬間、レインが、イーノとレベテァの間に割り込むと、弾丸は、レインの胸を貫いた。

 イーノの目の前で、レインが糸が切れた人形の様に、膝から崩れ落ちていった。

 イーノは、必死に彼女の元に駆け寄ると、地面に落ちる前に、彼女の背中を抱きかかえることに成功した。


「お前ーーーーーーーー!!!!!」

 怒号の主はドゥだった。瓦礫の影から現れると、的を絞らせない様に、俊敏な動きで、撹乱しながら、レベテァに近づいた。

 それを撃ち落とそうと、銃を向けた瞬間、彼の銃は、ソルドの放った弾丸によって、彼の手から弾かれた。

 瞬時に警棒を取り出そうとしたが、その一瞬で、ドゥが近づくと、腕を掴んで引きながら、彼の足を、自分の足にかけて、投げると、そのままレベテァを抑え込んだ。



「レイン、レイン、そんなどうしたら」

イーノは、困惑と不安が混じった声を出しながら、レインの出血を止めようと、手で、レインの傷口を抑える。

「イーノ」

レインの声は、小さな穴から、かすかに漏れ出る空気の音の様に、弱くなっていた。

「聞いて…イーノ」

とぎれとぎれになりながら、レインは、言葉をつないでいく。

「ごめんなさい……今まで…黙ってて…でもね…イーノ」

力なくイーノへ伸ばしたレインの手を、掴む。

「私ね……幸せだったの…イーノと一緒に入れて………良かった…………だから……生きて」

レインの手からは、力がなくなり、その瞳から、完全に光が消えると、呼吸も止まった。

イーノは、言葉に出来ない声をあげながら、泣くしか出来なかった。


 ソルドは、その様子に、胸を締め付けられるような、悲しみを感じながら、ドゥに抑えられているレベテァの方に歩み寄る。

「おい、俺が殺してきたのは、この国のがんだぞ。俺は、今までこの国のために動いてきたんだぞ」

 レベテァの言葉は、ドゥの神経を逆なでした。振り上げられた拳は、レベテァの、顔を正確にとらえた。口の端を切ったのか、彼は出血した。一度では怒りが収まらなかった、何度か殴られた彼の顔は、あざが出来た。もう一発と振り上げられた拳はソルドによって、止められた。

「あんたが、どれだけ国のために動いていたとしても、犯罪者は犯罪者だ。俺は、警察として、一人の人間として、あんたを許さない」


 ソルドはレベテァに手錠をかけた。

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