第7話 思い出

 ソルドが、帰り静かになった事務所では、ドゥは暇そうに欠伸をしながら、ボレアは新聞を読んでいた。

「それ何周目ですか?」

「仕方ないだろう、他にやる事が無いんだからさ」

 イーノは、あれから、何か自分が踏み入っちゃいけないところに行こうとしてるような、不安が、胸につかえていた。しかし、その不安が、両親が殺された理由な気がしてならなかった。

「ボス、さっき何かを思い出しそうだったんです。でも怖かった、きっと思い出したらいけないのかもしれない。俺はどうしたらいいんだろう」

「そうか」

ボレアの口調は、思いのほか、軽かった。そして、新聞をたたむと、イーノの方を向き答えた。

「でもイーノは、それを知りたいんだろう。だったら思い出してみるといいさ。心配ない、私の知ってるイーノは、そんなやわな男じゃないさ」

はにかみながら言われた言葉は、自然と胸の奥から熱いエネルギーになっていくのを感じた。

「ありがとうボス。ちょっと出かけてきます」

 彼はすぐに出かけて行った。何があったんだと、ドゥは少し不思議そうにしていた。



 ソルドからの聞き込みで、思い出した場所。両親が謎の誰かと話していた場所で、イーノは佇んでいた。

 普段は誰もいない、廃墟まみれの道。両親とは、たまに散歩として来た場所。子供には、何でも秘密基地や遊園地の様に、遊び場になった。ここでも、子供のエネルギーを爆発させ、様々な遊びを考え、両親に見せていたと、思い出しながら微笑んだ。

「何を話したんだよ」



「イーノ、そんなに遠くに行かないでね」

 母親のミラは、いつもの様に、優しい声で言っていた。

 父親のサイザは、母親の隣で、笑顔でこちらに手を振っていた。

 両親は、仕事だと家を留守にすることが多かったが、休みの日には、いつも遊んでくれていた。

 今よりも小さな体には、ここは大きな遊園地だった。瓦礫の山を登り、廃材にぶら下がり、ごみをボールのように投げて遊んだ。遊んで、遊んで遊び疲れて、両親のもとに戻った。

 その時だった、誰か分からない人が、両親と話していた。内容は凄く短かった。

「ローレルの宴について話がある」

 顔はフードでよく見えなかったが、少し年を取っていたであろう男性の声で、両親にそう告げた。それを聞いていた二人の顔は、今まで見た事が無いほど、険しいものだった。

「パパ、ママ大丈夫?」

イーノは、子供ながら、何か嫌なことがあったのだと思って、言った。すると

「大丈夫よイーノ」

母は柔らかく、暖かい笑顔で抱きしめて

「イーノが、心配することはないよ」

父は、大きくて、優しい手で頭を撫でてくれた。


 思い出した。全部思い出した。

でも何でこれが、殺される理由になりえるんだろうかと不思議に思った。

 どれだけこの場所にいたのだろう、周りを見渡すと、すっかり空の色は、変わっており、地平線の端から黒く染まり始めていた。


「ただいま戻りました」

思い出したかったことだったのに、それを思い出したのに、余計、胸の奥に、靄がかかったような感覚がして、暗い顔をしていたのだろう。出てきた声は、暗く澱んだものだった。

「大丈夫?襲われた?」

こういう時は、ドゥは自然と、寄り添うように言ってくれる。彼女のおかげで、イーノは明るい笑顔を作れた。

「ありがとう、大丈夫だよ」

「何も思い出せなかったか?」

ボレアは、新しく、紅茶を淹れてきたところだったのだろう。彼女の手には、湯気の立った良い匂いの紅茶があった。

「思い出せたよ、でもだから余計分からないんだよ」

「なんだそれ?変なことを言うんだな」

イーノは、ソファーにぐだっと、力を抜いて座り込む。

「本当だよ、意味が分からない」

説明の出来ない、不安と、胸の突っかかりが焦りとなって、イーノは、頭をかきむしる。

「ねえボス、ローレルの宴って何か知らない?」

「ローレルの宴?なんだそりゃ?聞いたことないね」

「ローレルってドゥは、初めて聞いたぞ」

2人の反応に、肩透かしだと、ため息が出てしまう。

「ドゥはもっと勉強した方がいいと思うぞ」

 ドゥには思いのほか、少しきつく聞こえてしまったかもしれないが、焦燥感が、イーノの口を動かしてしまう。

ドゥは、少しむっとした顔で、その言葉を聞くと、むくっとしながらも、訳の分からな言い訳をした。

「まぁローレルの宴が、なんだか分からないけど、少なくても、アメリカの祭りとかでは無いんじゃないか?」

「なんでボスはそう思の?」

「ローレルは地中海の方の国が原産だからな。宴を開くなら、原産国の方が普通開くだろう」

 ローレル、つまり月桂樹は、地中沿岸部が原産の樹木だった。

 その言葉を聞いて、おかしいと思った。普通のアメリカ人の、海外とは無縁のスラム街に住んでいる両親には、全く関係のない話ではないのか?なぜそれを聞いた時の両親は、否定でも、困惑でもなく、了承していたのか?

「でも、なんで両親はそれを言われたんだ」

困惑が自然と、言葉となって漏れ出た。

「分からないか、考えろ。いいか、事実をちゃんと見ろ。そしたら、不可能なことが自然と排除され、真実が残る」

「真実が残る」

「逆に考えろ、なんで普通のアメリカ人が口にしないような単語で、その人たちは、やり取りしていた?」

「なんでって……」

 言葉を詰まらせたが、ハッと、自分の中で、ある可能性が出てきた。

「普通の人に、ばれたらまずい、仕事だった?」

「恐らくそうだろうな。じゃあ次だ。君のご両親と同じ場所で、なんであいつは殺された?」

 たまたまだと、一蹴出来れば、良かった。だけどそうじゃなかった。あそこは人目に付きにくい場所だった。だから都合が良かった。誰にも見られず、情報交換出来る場所だった。そこで殺された。

 つまりイーノの両親も、何かアーゲスと同じように、何か情報を持っていた。いや、秘密の隠語まで使って、情報交換をしていたのなら、もっと深い存在だと思える。そう、二人はスパイだった。それがイーノの出した結論だった。

 全身から、力が抜けた。なんでそんな事がと思った。なんで普通に暮らしたかったのに、両親はスパイなんかと。

 自分の両親は、ほとんど思い出が無かった。幼くして両親が死んでしまった、悲しい記憶と、少しの出かけていた記憶。両親に関する記憶は、それがすべてだった。でも優しかった。思い出に残る両親は、二人とも、笑顔でイーノをやさしく包んでいた。

 それが今日思い出したことで一変した。国に対する裏切りをしていた。愛国心なんてものが出来るほど、アメリカは、イーノに優しくなかったが、それでも、死ぬくらいならして欲しくなかった。

 ドゥは、そんなイーノの様子を心配そうに見ていた。そっと近づき、力の入らない彼を、そっと抱き寄せた。



 しばらくして、手に力が入ってきた。自分が、ずっとドゥに抱きしめられ、優しく撫でられ続けていたことに、少し恥ずかしさを感じ始めていた。

「ありがとうドゥ、もう大丈夫」

 震える声で、ドゥに伝えた。そっと、ハグから解放された。

 ドゥもつられてか、少し鼻のあたりが赤くなっていた。

「さて、もういい時間だから、二人とも寝たらどうだい」

「まだです」

ボレアの提案に、イーノは、反対した。まだ知りたい事があったから。

「何で殺されたかは、分かりました。両親がスパイだったから。そして、アーゲスは、本当に、重大な秘密を知ってしまったから。でも誰に殺されたかは、まだ分かりません」

「そうだね、本当に知りたいかい?私たちは、警察でも、正義の組織でもないんだよ」

「はい」

その言葉には、一切の曇りも、迷いもなかった。心の奥底から、両親が誰に殺されたのか、それが本当に知りたかった。

「じゃあ考えるんだ。なんで、アーゲスは簡単に殺されたのか。それが答えだよ」

 そう言われて考えた。あれほど、死を警戒していた人間が、なんで一人であそこに行ったのか。そして、それがあの場にいた人間の中で、誰が出来たのか。

 その答えは、そこまで難しくなかった。

「相手に油断したんだ。こいつには自分が殺せないって」

全身の血の気が引くのを感じる。真実が、こんなに残酷で、思いもよらないものなんだと思うと、知らなければよかったとすら、思えた。

「そうだね」

ボレアの声が、今までにないくらい、冷たく聞こえた。

「あの場にいて、誰でも自分を殺せないと思う人物は、1人だけだ。レインなんだ、アーゲスを殺したのは。レインが、アーゲスを呼び出したんだ、自分よりもはるか年下で、まだ幼さない女の子だから、自分を殺せないと思った」

「突拍子もない話だけど、状況的にそうだろうね」

「ボス、先に失礼します」

ぼそっとボレアに届くかどうかの音量で言うと、イーノは、自室に入り、ベッドに力なく倒れ込んだ。


「ボスはいつから、気づいてたの?」

ドゥの質問に、ボレアは、返答をすることはなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る