第1話 事件の集まる珈琲倶楽部
東京都内のとある路地に、一際目立つ建物が立っている。その外見は幾何学的かつモダンな作りで、その周囲には季節に応じた花が植えられるプランターが建物を囲うように置かれている。
ここはかつて区の図書館だったものを譲り受けて改修し、カフェとしての機能も追加した図書館カフェ『珈琲倶楽部』。開業してから三年がたち、地域コミュニティの場、店主店員との触れ合いの場(?)としての役割も果たすようになっていた。
そして今日一人、なかなか面倒な客がここへやってきている。
「だからさぁ、“丑の刻参り”ってやつだよ」
『珈琲倶楽部』のカウンターにておよそ2時間ほど前からこの男、吉田小次郎(よしだ こじろう)は先日起こった奇怪な事件についての話を、しかも同じ内容を何回も繰り返し話している。
この男はいつも、大した情報も持っていないのにその辺のメディアから得た情報から勝手に誤解を広げて話す。しかも、私が反応してあげないといつまでも同じことをベラベラと話し続けるものだから、はっきり言って面倒くさい。こんなこと口に出したら、店員失格だけどね。
だから今日、我慢くらべのつもりで絶対にこいつの話には乗らないと決めてきた。
しかしこの男、こちらの気持ちなど知らぬ存ぜぬでもう2時間もベラベラと話続けている。もうやだ。
呆れた目で見ると、吉田さんは何杯目かのコーヒーを啜った。
はぁ、また最初からか…
というのも、この男が話を始める時は決まって一口コーヒーを啜ってからと決まっている。私、久永姫依(ひさなが ひより)は救いを求めるような目でこの図書館カフェ店主にして、小説家で、私の師匠でもある霧島絵莉(きりしま えり)の方を見る。
師匠は穏やかに細めた目で手元を見ながらコーヒーミルをコリコリとゆっくり回していた。もちろん、こちらの話なんか露ほども気にしていないだろう。
「ちょっとひよりちゃん、聞いてる?」
聞いてませんよ、全て聞き流してるもん。自分自身が満足するまで一方的に話し続けるから、奥さんに逃げられちゃったんでしょ。
そう心の中で毒づく。こればかりは別れた奥さんに同情せざるを得ない。誰だって嫌だよ、会話の一方通行は。
「なんかさっきからさ、そっけないよね?」
うぐっ。
思わず痛いところを突かれた。そういえばこの男、人を見る目だけはあるんだった。経営者たる所以かな?
「いやさぁ、表情が変わってないからさ、うん?と思って」
表情、ねぇ。態度がちょっと露骨すぎたかな?
「で、聞いてたの?聞いてなかったの?」
普通なら人の話を聞かないでいてこう聞かれたら言葉を返せないだろう。しかし、吉田さんはメディアの情報しか話さない。だからニュースで見たことをそのまま話せば聞いていたことにしてもらえる。この手は私の常套手段でもある。
「聞いてましたよ。あれでしょう?この前近所の神社で起きた“丑の刻参り事件”。被害者はあの神社の巫女である、藤原 夏芽さん34歳。死因は首吊りによる縊死ではなく、出血多量による出血性ショック死。手首の血管と首の頸動脈が掻き切られていたこと、亡くなった後に吊るされていたと思われることなどから他殺と見られている。また、第一発見者はランニング中だった会社員で、被害者との接点がないことや近くの防犯カメラの映像からアリバイが証明されたため、容疑者とは考えづらいとか」
これくらいでしょう?どうせ吉田さんの持ち得る情報は。
「なんだ、ちゃんと聞いてたんか。すまんすまん」
そう吉田さんは顔の前でごめんごめんと言わんばかりに両手を合わせる。まぁ、そんなところだとは思ってたよ。
「でな、俺はこう考えたんだよ。藤原さんが被害者だろ?だから、犯人はきっと菅原さんだろうとな!」
そう吉田さんが確信を込めて言い放つので私は思わず吹いてしまった。
「なんだ?どこかおかしいか?」
吉田さんはあからさまに腹を立てている様子だ。それを少し可愛いと思ってしまって、また吹き出してしまった。
「なんだよ」
「いやぁ、まぁ確かに歴史を見れば考えられない話じゃないですけど、そんな、何年前ですか?千年以上の恨みを今なお菅原さんが持ち続けているとしたらちょっと、怖いってレベルじゃないですよ」
平安時代、菅原道真は藤原氏の陰謀により右大臣まで上り詰めたものの、太宰府へと左遷され、そこで亡くなったとされている。その恨みから内裏に雷を落としたりと、日本三代怨霊として語られているのは有名な話だ。それを鎮めるために、祀ったり太政大臣にしたりしたのもまた、有名な話。
吉田さんはその話からそんな考えに至ったということは安易と想像できる。実に吉田さんらしい考え方だ。
「それも、そうか」
吉田さんはカップに残ったコーヒーを一気に飲み干す。これは、お会計の合図だな。
「んじゃ、こちそうさんでした。またきますわ」
なんだか、パターン作りみたいだな。
「お会計580円になります」
私は吉田さんから580円ぴったりを受け取り、領収書を渡して意気揚々と去る吉田さんの背中を見送った。
「ふー長かったぁ」
私は開放感に満たされ、空いてる席の背もたれに体を預けながら思いっきり伸びをした。長い、あまりにも長い戦いだった。
「お疲れ様」
師匠はそれだけ言って、今淹れたばかりのコーヒーを私の前に置いた。カップからコーヒーの芳醇な香りが漂ってきて、一口啜ってみると、フルーティな酸味の後に甘さの余韻が口の中いっぱいに広がった。
「ゲイシャですか?珍しいですね、師匠がこんな高い珈琲を私に淹れてくれるなんて」
私がそう言うと、師匠は弾かれたように驚いた顔をした。
「あら、分かるようになったのね。驚いたわ」
「そりゃぁ、」
師匠の淹れてくれる美味しい珈琲を毎日飲んでたらわかりますよ。と言おうとしたのだが、でもね、という一言でそれは遮られた。
「たしかにゲイシャは希少で高価だし、滅多に出すことはしない。だけど、そのはずのゲイシャの味を、どうしてわかったのかしらね?」
…あ、よく考えればたしかにそうだ。
「最近ゲイシャの減りがどうにも早いと思っていたのだけれど、まさかあなた、私の知らないところで勝手に飲んでたんじゃないでしょうね」
「あ、う」
返す言葉が見当たりません。詰みました。
「もう、一週間は口を聞かないわ」
「え」
えぇ!
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