第肆話 恐怖の市松人形

 町田の勤める会社のエントランスには、一体の市松人形が飾られている。おかっぱ頭につぶらな瞳、そして赤い着物が特徴的だ。

 社員は毎朝、この市松人形に迎えられる形で出社することになる。


「町田さん……あの人形、髪の毛が伸びるんですって。知ってました?」

と出社早々に話しかけてくるのは、部下の城ヶ崎じょうがさき。今年入ったばかりの女性社員である。町田が教育係として仕事のイロハを教えている。


「髪の毛が伸びる? まさかそんな」

「と思うじゃないですか! なんか、実際に伸びてたのを見た人がいたらしくて。その人、今休職中なんですよ」

「へぇ。何かあったのかな」


「呪いですよ、呪い! なんか不吉な話があるじゃないですか、市松人形って」

「そうだっけ?」

「そのことがあってから、人形の足元に盛り塩をするようになったんですって」

「ほぉ、盛り塩ねぇ。効果はあったのかな?」


「それがですね、その盛り塩をした人……先日大怪我をしたんですって」

「あらら」

「みんな『人形に関わるとロクなことがない』って、社長に撤去を求める運動まで起きているんですよ」

「そうなんだ」


「でも、社長も『なんか設立当時からある人形だから、簡単に撤去するわけにはいかないんだよなぁ』ってお茶を濁している状況だそうです」

「なるほどねぇ」


 町田は、改めてエントランスに飾られている市松人形を眺めてみた……が、なんの変哲もないただの人形にしか思えなかった。


☆★☆


 その日、町田は珍しく残業をして、いつもよりも帰りが遅くなった。外はもう真っ暗。エントランスも必要最小限の電気しかついていない。そこに、あの市松人形が目に入った。

「……」

 まるで吸い寄せられるかのように、町田は市松人形の近くへと歩みを進めた。そして人形の目の前にある、盛り塩が置かれた小皿を取り上げた。


☆★☆


 数日後。


「きゃああああっ!」

 朝、会社のエントランスに大きな叫び声が響いた。声の主は町田の部下、城ヶ崎。

「どうした?」

 ちょうど彼女の後方にいた町田が、慌てて声をかける。すると、城ヶ崎は市松人形の方を指差して震えていた。


「に、人形が……」

 近くにいた社員たちもその一言で人形の方へ視線を向ける。するとみんながギョッとして目を見開いた。

「ま、マッチョになってる!」


 なんと市松人形、髪型こそそのままであったが、赤い着物が赤いタンクトップ になっていて、そこからのぞく大胸筋(胸)、三角筋(肩)、上腕二頭筋・三頭筋(腕)の筋肉がムキムキになっていたのだ。おまけにポージングまでして。

 足も短パン姿で、大腿四頭筋(太腿)、ヒラメ筋(ふくらはぎ)が美しく隆起していた。


 みんなが出勤してくる時間帯に、エントランスがザワつく。中には物珍しさからスマホで写真を撮る者さえ出てくる始末。

 そんな光景を見ながら、町田は一人ほくそ笑んでいた。


 実は残業をした日、町田は盛り塩をこっそりプロテインにすり替えていたのだ。理由は単に「盛り塩をプロテインに変えたらどうなるんだろう」という的好奇心からだった。

「もしかして、市松人形がムッキムキになったりして……ふふ」

 そんなことを考えていた町田だったが、まさか期待していた通りの結果になってしまうとは思ってもみなかったのだった。


 それからというもの、会社では筋トレが一大ブームとなり、社員の健康増進へとつながったそうだ。エントランスに置かれた市松人形は、いつしか「幸せの筋肉人形」と呼ばれ、町田の会社の名物になったのだという。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る