あの日の恋のリスタート(松蛇愁×霧島春乃)
来客を知らせるベルが鳴り、松蛇は立ち上がる。「はいはい、どちら様」と事務所の戸を開ければ、そこには見るからに大人しそうな女性が立っていた。
「すみません、こちら探偵事務所と伺ったのですが」
「お客さんか。どうぞ、入って」
女性を招き入れ、奥の部屋に通す。椅子に座るよう促すと、なぜか女性はまじまじと松蛇の顔を見つめていた。
「それで、依頼は?」
「あ……人探しを……お願いしようと思っていたんです……が、」
「が?」
「間違いだったら申し訳ありません。……松蛇くんではありませんか?」
そんな風に言い当てられて、今度は松蛇の方が女性の顔をまじまじと見る羽目になった。
「…………。委員長か?」
遠い記憶を手繰り寄せ、ようやく松蛇は正解にたどり着く。
霧島春乃。松蛇が通っていた高校のクラスメイトで、学級委員長だった女子生徒だ。
松蛇の母校は基本的に席が名前順ではなく誕生日順で、九月生まれの松蛇と春乃は三年間ずっと隣の席だった。だからか、春乃が学級委員になる前から妙に目をつけられていた気がする。
お世辞にも素行がいいとは言えなかった松蛇と対照的に、優等生を絵に描いたような春乃。
学級委員を決める時の話し合いで女子生徒から『霧島さんでいいじゃん』と、押し付けられるような形ながら粛々と受け入れる春乃を見て、損をするタイプだなとぼんやり思った覚えがある。
そんなことを思い出しながら、松蛇は「コーヒーでいいか?」と尋ねる。春乃はうなづいて、「松蛇くん、探偵をやっているんですね」とどこかほっとした気配を漂わせながら言った。
「何になってると思ってた?」
「ヤのつく稼業に従事していたらどうしようかと思ってました」
松蛇は吹き出す。相変わらず、なかなか攻めた発言をするものだ。
コーヒーの入ったマグカップをテーブルに置き、「それで?」と松蛇は口を開く。
「人探し、だったか。誰を探してほしいんだ?」
「それが……ですね……なんというか」
突然春乃は歯切れ悪くなり、どこか気まずそうに鞄から何か小さな紙を出した。ハガキのようだ。差し出されたそれを、松蛇は手に取って眺める。
「……同窓会?」
「ええ。この前……紅ちゃんと食事をした時、たまたま二ノ宮くんと会ったんです。それで三人で盛り上がって……私たち、来年は三十になるでしょう。同窓会でもやろうかという話になりまして」
「こうしてクラスのみんなに招待状を作ったわけなんですが、その……実は、松蛇くんに送った招待状が宛て所なしとして返ってきてしまったのです」
「引っ越したからな」
「他の同級生にあたっても、誰も松蛇くんの居所を知らないということで……」
春乃は空咳をする。それから一層気まずそうに、「探してほしかったのは、松蛇くんのことだったんです」と言った。松蛇はぽかんとし、「俺?」と聞き返す。
「まさか松蛇くんを探すために頼ろうとした探偵が松蛇くんだとは思わず……。気を悪くしましたか? 勝手に居場所を探ろうだなんて、気持ち悪いですよね……」
「いやいや、それを稼業にしているんだから気を悪くするわけはないが」
松蛇は思わず笑ってしまった。それから目を細めて春乃のことを見る。
「たかだか同窓会の招待状送るために、探偵を雇おうとしたのか? 相変わらず真面目だなぁ、委員長は。そこまでしなくたっていいのに」
「ええ、まあ……」
「押し付けられて学級委員長やってた頃と変わらんね」
ぽかんとした春乃が、「押し付けられた?」とまるで初めて聞いた言語のようにオウム返しした。
「私、押し付けられたわけじゃないですよ。学級委員は、友人に推薦してもらってありがたくお受けしました」
「そうか?」
「私、こう見えて結構したたかなんです」
ふうん、と言いながら松蛇はコーヒーを口に運ぶ。それからハガキを伏せて静かに春乃に返した。
「こんなとこまで来てもらって悪いが、同窓会とやらには出席できない」
「……なぜですか?」
つけていた黒い手袋を脱ぎ、松蛇は手首に入った蛇の刺青を見せる。
「君の言う通り、ヤのつく稼業に従事していた。同級生の中には堅い仕事に就いたやつもいるだろう。元とはいえヤクザものと飯を食うのはリスクが高い。迷惑をかけるだろうから、俺は行かない」
春乃は表情を変えず瞬きをして、「……そうですか」と言った。それからなぜか松蛇の手を取って、その刺青を包み込むように握る。
「そうですか」とまた呟き、「何も出来なくて、ごめんなさい」と目を瞑った。
呆気にとられている松蛇を尻目に春乃は立ち上がり、「お邪魔しました」と事務所を出ていく。松蛇はソファの背もたれに寄りかかり、ため息混じりにまだ温かいコーヒーを一口飲んだ。
その一週間後、春乃はまた事務所に現れた。手にはケーキの入った箱をぶら下げている。
「……何しに来たんだ、委員長」
「知っていますか、松蛇くん。二ノ宮くんは今パティシエで、お店の方はそれはもう人気店なんですよ」
「だから?」
「松蛇くんと一緒に食べたかったので買ってきました」
平然とそのようなことを言う春乃に、松蛇は呆れて言葉を失くす。それでも追い返す気にならなかったのは、昔のことを思い出したからだろう。
松蛇が十七の時、両親が死んだ。それも事故や病死でなく、他殺だった。
新聞に載り、ニュースになり、学校でも知らない生徒はいないほど、松蛇は一躍有名人となった。何もかもに失望しやさぐれていた松蛇は人を避け、孤立した。
そんな時、しつこいほど声をかけてきたのが春乃だった。昼飯を一緒に食べようだとか、途中まで一緒に帰らないかだとか。
懐かしいな。やはりこのお節介さは変わらない。
「高校の頃もそうだったな。同情して、いつも昼飯なんか誘ってくれて。君から見れば可哀想だと思うのかもしれないが、俺ももういい大人だ。委員長、何もかも過去のことなんだ。俺のことなんか気にしないでくれ」
ケーキの箱をテーブルに置いた春乃が、「そんな風に思っていたんですね」と静かに言った。
「私、松蛇くんを可哀想だと思ったことありません。松蛇くんと一緒に食べたかったから、誘っていたんです」
「そういうこと言うと、勘違いされるぞ」
「勘違い?」
「まるで委員長が俺のことを好きだったように聞こえる」
「好きでした」
春乃は真っ直ぐに松蛇を見て、「松蛇くんのこと、好きでした」とはっきり告白した。
言葉を失っている松蛇を尻目に、春乃は「降ってきちゃいましたね」と窓の外を眺める。
「止むまで、雨宿りをしていてもいいですか?」と小首を傾げる春乃に、松蛇は曖昧な表情で頷いた。
「気づいてなかったなんて驚きです。私、結構ガンガンいっていたと思うのですが」
皿に出したケーキを啄むように口に運びながら、春乃はそんなことを言う。
言われてみればそうだったのか? と思うようなことはいくつかあったが、昔の話だ。松蛇もケーキをひとすくいし「美味いな、このケーキ。二ノ宮に言っといてくれ」と話を逸らした。
「直接言ってあげた方が喜びますよ、二ノ宮くん」
涼しい顔をして春乃がそう言うので、松蛇は頬杖をつきながら仏頂面をする羽目になった。
「傘貸すから帰ったらどうだ?」
「助かります。傘を口実にまた来られますね」
「…………」
「私、結構したたかなんです」
「そうみたいだな」
しばらく、二人とも黙ってケーキを咀嚼する。
ふと窓の外を見て、松蛇は「向こうの空は晴れてる」と呟いた。「虹がかかってるな」と。
春乃は振り向いたが見えなかったようで、「どこでしょう」と目をこらす。
立ち上がり、窓を開けて「ほら、あそこだ」と松蛇が指させば、春乃は窓から身を乗り出すようにしてそれを見ようとした。
「そんなに窓から頭出したら濡れるぞ」
「でも、私も見たいです。松蛇くんが見てる虹」
こんなことが、昔もあったような気がする。
瞬時に脳内に流れ出す、土砂降りの日の帰り道。
『降ってきちゃいましたね』と、彼女が言う。
『傘、使ってください。私は折り畳みを持っているので』
『別にいらない』
俺に構うなよ、惨めなんだよと、口に出さないまま歩き出す。雨の中。
いつの間にか彼女が追いかけてきていた。なぜだか彼女もびしょ濡れで。
『なんで来たんだよ。というか傘させよ、持ってんだから』
『私、あなたと同じものが見てみたくて』
髪から雨が滴り落ちるほど濡れて、彼女はそれでも笑いながら松蛇を見上げていた。
『夏の雨は……思っていたより気持ちいいものですね、松蛇くん』
ああ────
眩しかったなぁ。俺が触れたら汚れそうなほど。
春乃は嬉しそうに、「本当だ。私にも虹、見えました」と言いながら松蛇を見上げた。
そんな彼女の腕を、松蛇は引く。「松蛇く、ん?」と戸惑った春乃の唇に、自分の唇を重ねた。
「俺でいいんだな?」
しばらく呆然としていた春乃が、まるで花咲くように笑う。
「松蛇くんがいいです。ずっと」
グラスを傾けながら紅緒が「で?」と眉を顰める。
「
「そ、そんなことないよ」
うろたえる春乃を見て、「えっ、もう会場おさえちゃったよ?」と宙が言う。「やるってば」と春乃は苦笑した。
「松蛇に殺されたくなかったらハルに手ぇ出すなよって男性陣に周知しておかないとなー。松蛇って案外嫉妬深そうだし」
おい、と春乃の横に座った松蛇が顔をしかめる。「本人がいる前でよく言えるな」と信じられない顔をした。
「この歳まで女待たせるようなやつは極悪人なんだから、どんな謗りも受け入れるべきでしょ。ねえ、二ノ宮」
突然話を振られた宙が、噎せながら「俺女の子待たせたことないからわかんないよ」と慌てる。
「というかさ、松蛇はもっとちゃんと食べた方がいいよ。痩せすぎだって」
「そうだぞ松蛇。そんなんじゃハルを任せられない。もっと食え」
春乃は困ったように笑っている。頭をかいた松蛇が、「お前らも変わらんね」と諦めたようにため息をついた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます