いつの日か笑い飛ばせるような約束を(勅使河原留綺×天倉芽芽音)

 やれやれと肩を回しながらオペ室を出た留綺は、待合スペースの椅子の上で膝を抱える少女に気づいた。「……患者クランケの知り合いか?」と頭を掻く。

 たまたま事故現場に居合わせた留綺が患者を運んだ時、そういえばこの娘も近くにいた気がする。そんなことを考えながら近づいた。


「オペは成功だ。まー、車に突っ込まれるなんて不憫だが、命にかかわる怪我じゃない。俺のオペは完璧だぜ? 後遺症も残らんだろう。だから……そんなに泣くなよ、嬢ちゃん」


 患者は十七歳の高校生。見たところこの少女も同じ年頃だ。恐らくは学友か何かだろう。見知った顔が不幸に見舞われれば平常心でいられないのも当たり前か。

 少女は膝を抱えたまま、顔を上げない。ただぽつりと、「わたしが」と呟いた。それから、肩が小刻みに震えた。


 おい、と留綺は少女の肩を掴む。

「過呼吸を起こしているな? お前、顔上げろ。前かがみのまま、息を吐くんだ。吐いて、吐いて、吸って」

「わ、たし……わたしが……すぅ……はあ……」

「よーし、いい子だ。ひっひっふーな」

「ひっひっふーは……ちがうでしょ……」

「落ち着いてきたか? まあ友達がこんなことになってショックだろうが、明日には目を覚ましているだろう。見舞いにきてやれ」

「……来ない」

 少女は俯いて、拳を握った。


「わたし……好きになってしまったの。鳥井さん、明るくて優しくて可愛くって……いいひとだから、絶対にダメだって思ってたのに。仲良くなりたいって、この人と友達になれたらどんなにいいかと思ってしまったの」


 仕方なく留綺は少女の隣に腰かけて、「それの何が悪いんだ?」と尋ねてみる。少女は黙りこくった。思春期の嬢ちゃんが何を考えてるかなんてわかりゃしねえな、とため息をつきながら留綺は壁にもたれかかって少女の言葉を待つ。

 すると少女がぽつり、「死ぬの」と言った。


「私が好きになった人は、みんな死ぬの。ちょっとでも仲良くなりたいと思っただけでこんなことになる。どうしてなのかはわからないけれど、今までずっとそうだったの」


 留綺は自分の眼鏡を外して白衣で拭きながら、「ふーん」と呟く。

「信じてないでしょうけど」

「いや……まあ、信じられないことも起きたりするよな。俺もワケわからん事態に遭遇したことはままあるからわかるぜ」

「わかるなら先生もどっか行った方がいいわよ。私といたら危ないから」

「バカヤロウ、ここは俺の診療所で俺の家だっつうの。お前の方が出て行けよ」

「…………」

「心配か、友達が。目を覚ますまで、一緒にいてやりたいんだろ」

 少女はまた膝を抱え、しばらくしてすすり泣き始めた。「謝りたいの。そうしたらもう二度と関わらない」と声を震わせる。


 どうしたもんかなと思いながら留綺は眼鏡をかけ直した。「お前さぁ、」と言いかけてやめる。こほんと空咳をし、「ってえことはなんだ?」と言い直した。


「お前の近くにいたら、患者に事欠かないってこと?」

「……は?」

「いやぁ、最近競馬おうまさんに全財産つぎ込んでよお。仕事が欲しいと思ってたんだ、ちょうど」

「何言ってんの? 不謹慎すぎるんだけど」

「不謹慎で結構。金欠の大人を舐めるな」


 俯きがちな少女の顎に手を当て、顔を上げさせる。


「お前、今までツイてなかったなぁ……俺に出会うのがこんなに遅れて。いいか、患者をじゃんじゃん連れて来い。俺が全員治してやる。不治の病だろうが、致命傷だろうが、俺に治せないものはない。信じられねえか? 俺はな、こう見えてプライドが高ぇのよ。俺の患者になったからには、老衰以外で死なせねえ。絶対にだ。わかったら、そのしみったれた顔を歳相応に輝かせろ。俺みたいに死んだ目の大人になるぞ」


 そう一息に言って、留綺は立ち上がる。「じゃ、俺寝るから。患者が目ぇ覚ましたら起こせよ~」と言い残し去っていった。少女――――天倉芽芽音はその後ろ姿を見て、「……何あれ」と呟いた。






 助手として置いている女児型のお手伝いロボットが、その見目に似つかわしくない鷹揚な口調で「センセ、お客様がいらしてますわ」と留綺に声をかける。留綺はコーヒーカップを置き、「患者か?」と振り向いた。

 そこには先日患者の付き添いで診療所に来ていた少女、芽芽音の姿がある。


「お前か。早速患者を連れてきたか? それともお前が患者か?」

「……今日はそういうんじゃない。鳥井さんのこと、ありがとうございました。彼女、とっても元気になって」

「そりゃよかったな。わざわざそんなこと言いに来なくていいぞ。言っとくが俺は真っ当な医者じゃないからな。用がないならこんなところを高校生がうろつくな」


 留綺は立ち上がり、「しっしっ」と少女を追い払う仕草をした。少女は二歩ほど後ずさりして、しかし何か言いたそうに俯いている。

 それから意を決したように、「今日はあなたに、言わなきゃいけないことがあって来たの」と留綺を見た。


「私……す、すきになってしまったかもしれない。あなたのこと」

「はあ?」

「だ、だから……! 気を付けて、って……言おうと思って……。ごめんなさい。嫌いになるように努力するから、迷惑が掛からないようにするから、でも……気を付けて……死なないで……お願い……」

「はあ~??」


 雑に自分の頭を掻いた留綺が、「オメー正気かよ」と困惑して芽芽音を見る。少女は泣きそうな顔で、「本当にごめんなさい。あなたを危険にさらして」と謝った。

「んなことどうでもいいわ。お前、黒の男ブラックのジャック先生を知らねえのか? あの人は自分で自分の手術するからね。俺もその気になりゃあ、それぐらいできるからね」

「それはおこがましいんじゃない?」

「うるせえ! 俺はだな、オメーみたいなガキに手ぇ出したら社会的に死ぬの。今すでに社会的には瀕死なのに抹殺されちゃうわけ。勘弁してくれよ、捕まったら芋づる式に大犯罪者だよ。なんたって闇医者だからね、俺」

 盛大にため息をついた留綺が「お前みたいなケツに蒙古斑が残ってそうなガキに興味ねえよ。同じ年頃の、まだ毛も生えそろってなさそうな男とニャンニャンしてろっての」と吐き捨てる。「さ、さいてー……!」と芽芽音が目を丸くした。


「ハイハイ、俺はサイテーな大人ですよ。夢から覚めたか、ガキ」

「…………」


 ムッとした芽芽音が、「えいっ」と言いながら正面から留綺に抱き着く。留綺は思わず「キャアーッ、通報されちゃう! ふざけんなガキ!!」と言いながら両手を上げた。


 不意に静けさが訪れる。芽芽音が何も言わず、ずっとそのままでいるからだ。

 しばらくして芽芽音は、留綺の思いのほか引き締まった腰をぎゅっと抱きしめながら聞こえるか聞こえないかの小さな声で「死なないでね、先生」と囁く。

 眉をひそめた留綺はぼりぼりと頭を掻いて、「おー……死なねえよ。ガキが、んなこと心配すんな」とため息混じりに少女の頭を撫でた。

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