たとえあなたに届かなくとも(天城未来×天城昭一と彩陶綾)

「どうか、未来この子の恋路を応援してはくれないだろうか」


 見かけはいかにも草食系、という趣の青年が、しかし眼光鋭く前を向いてそのようなことを言う。それからすぐ目をつむったの拍子に表情がガラリと変わり、「勝手に何言ってんだよ、昭一じいちゃん!」と一人で怒り始めた。

「あー……」と瞬きをしながら椿樹つばきは頭を掻く。


「とりあえずあれだ、その人格交代みたいなのしなくていいぞ。そんなことしなくても俺たちには見えてるからな」


 青年の近くに漂っていた兵隊姿の霊が、「それはありがたい」と真面目腐った顔で頷いた。






 こほんと一つ咳をして、「俺は天城未来です。で、こっちは昭一じいちゃん。なんか……ばあちゃん? ひいばあちゃん? の兄貴みたいで、なんでか俺に憑いてて」と自己紹介する。昭一と呼ばれた霊も敬礼をして応えた。

「なんか俺、気づいたら昭一じいちゃんに連れてこられてて、あんまよくわかってないんですけど」

「こほん。お噂はかねがねお聞きしております。なんでも、幽霊からの依頼で生者の恋をお手伝いしてくださるとか巨大なロボットで戦うとか」

「おい、そろそろ変な噂流すのやめろ、お前ら。尾ひれがつきまくってるだろ」

 お前ら、と言われてぞろぞろと出てきたのが、喋る猫と腐れ縁の幽霊たちだ。その中の少女幽霊が「てへへ。困ってる人にはつい、椿樹さんのこと紹介しちゃって……」と申し訳なさそうにする。


「えっ、こんなにいるんですか、幽霊」

「な。なんでこんなにいるんだろうな」


 ぽてっとその場で横になった猫が、「しかし今までとは毛色の違う依頼であるな。お前さんらは意思疎通が出来ているであろうに。一体何の問題があるのだ」と指摘した。


「いやしかし、困ったことになっておるのです」


 そう、難しい顔で昭一は言う。それを見た未来が、合点の言ったように「あー、あのことか」と口を開いた。「こういうのって人に言うのは相当恥ずかしいんですけど」と話し始める。

「俺……ずっと片思いしてる子がいるんです」と言い出すと、幽霊少女が「いいですね~! 最近は人の恋バナ聞くのが一番楽しいです!」と茶々を入れた。「ませてんだよな、この子」との幽霊が眉を顰める。


「彩陶綾ちゃんっていって……俺の事情、というか昭一じいちゃんのことも知ってる子で。俺、この前ついに告白したんですよ」

「おお~!」

「でも、そのときの返事が……」




 ――――ごめん。私、未来くんとは付き合わない方がいいと思う。


 うーん……その、昭一さん……だっけ。その人のせいってわけじゃなくて。


 未来くんって、私らからすれば二重人格みたいな感じでしょ? だから……。


 私、ね。


 たぶん未来くんと付き合ったら、その人のことも気になっちゃうと思うんだよね。


 うん。本当に、節操なくてごめん。たぶん私、。だから、ごめん。




「と、いうわけなんです」

「…………」

「ありえます?」

「……なんだその、おもしれー女は」


 真剣な顔をする椿樹の横で、名威が「だっはっは」と転がりながら笑う。

「これはまた奇特な女子おなごであるな」

「あの、綾ちゃんは別にそんな変な子じゃないんですよ」

「いやいや、吾輩は感心しておるのだ。たとえそこに見えなくとも、生きていなくとも、というだけで情が湧くと言っておるのだろう。いやはや、そこまで情の深い女子のことは初めて聞いたやも知れぬ」

 しかし大問題なのだ、と昭一は拳を握った。


「俺の存在が邪魔をして、未来が意中の娘さんと添い遂げられぬ。どうか知恵を貸してはくれぬだろうか」

「しかし、なんだ。その綾って娘、悪いやつじゃないんだろうが少しばかり移り気すぎないか? たとえ付き合えたとなっても、その後が不安だと思うが」


 おずおずと手を上げた幽霊妻が、「移り気というのとは違うのかもしれません」と発言する。

「先ほど猫さんが言っていた通り、きっと情の深い娘さんなんでしょう。しかしそれが本当に恋愛的な意味での“好き”なのかは疑問が残ります。なんせ見たこともなく、ほとんど存在を知っているだけの昭一さんにそのように感じるわけですから。実際は“情”以上のものではないのかもしれません」

「それはそうかもですよ! うちのお兄ちゃんも年下の女の子を見るとすぐ『妹を思い出すなぁ』なんてにっこりしますけど、恋愛的な気持ちではないですからね」

「でもそうすると……たぶん俺のことも別に恋愛的に好きではないような……」

「そこは頑張りどころであろう。その女子に、本当の恋というものを教えてやれるのはお前さんかもしれぬぞ」

 未来を囲んで幽霊たちと猫がわいわいとし始めた。


 そんな様子を眺め、昭一はふっと微笑む。

「こんなにも真剣に耳を貸してもらえるとは、感謝する」

「まあ、暇なんだろう。猫はまだしも、幽霊どもは。人間も珍しいしな」

 椿樹は腕組みし、「あんた……死んで何年経つんだ?」と尋ねた。涼しい顔で昭一は「八十年ほどかな」と答える。


「怨んではおらんのか」


 いつの間にか未来の元を離れていた名威が、近くで寝そべっていた。

「人間は愚かなものよ。戦争はそれを証明する最たるものだ。若い身空で、己一人ではどうにもならん激動の時代に散っていった青年よ。世界を怨んではおらんのか」

「……俺も人間だ。愚かな人間の一人だ。一体何を怨めと言うのか。被害者面ができるほど、潔白な身でもあるまい」

「ふむ……」

「それに、俺は愛していた」

「何をだ?」

「世界を、だ。友と過ごした日々を愛していた。妹や家族のいる故郷を愛していた。妹たちが掴むであろう夢のようなを愛していた。それをどうして怨むことができようか」

 ふっと微笑んだ名威が、「まこと人間はおもしろい。お主のようなものと出会うと殊更にそう思うものよ」と言う。


 ずっと黙っていた椿樹が、未来に群がる幽霊たちをぼんやり見ながら「幽霊ってのはお節介だよな」と呟いた。

「最近は本当にそう思うぜ。あいつら、基本的には人に見えもしなけりゃ声も届かないだろ? なのに生きてる人間なんかよりよっぽど一生懸命に誰かを心配してる。そういうの見てるとなんか、かなしいんだよな。やっぱ」

「お節介、というのであれば貴殿もなかなかに見えるが」

「俺はそうでもない。できねえことはできねえって普通に切り捨てられるからな。でもあいつらは違う。たまに……もうやめりゃあいいだろう、と思うこともある。そいつはお前の声も聞こえてないし、お前のことも忘れちまうかもしれないんだぞ、ってさ」

「……俺は、それでもかまわない」

 椿樹は昭一を振り向く。昭一は穏やかな表情で、「俺は今、幸運にも未来と縁があり、こうしてあの子と話をすることができるが」と前置きした。


「たとえそうでなくとも――――この声が届かなかったとしても、この世の全ての人々から忘れられても、構わない。俺は幸せだ」

「何が幸せなんだよ」

「俺は死んですぐにこうして魂だけ残り、長い間この国を見てきた。この国はもうダメかもしれぬと思ったこともある。だが、見てみろ。この平和で豊かな国を。俺が兵隊だったと知っても、未来は敬語すら使わん。いいんだ。よかった。本当によかった。残された人々が、俺の妹のような無辜の人々が、この国をここまでのものにしたのだ。俺は子をなさなかったが、こうしてバトンを繋げたと思えれば誇らしい。だから、俺は幸せだ。このような日が来るとは、あの頃は思えなかった」


 椿樹はそれを黙って聞いて、頷く。


「だから俺は、未来あのこだけでなく、今を生きる生者おまえたちが皆愛しい。俺の愛する世界に生まれた、次世代の子いとしごたちよ、幸せにおなり。貴殿もだ」


 それから幽霊たちを指さし、「彼らもきっと同じだろう。愛しくてたまらんのだ、今を生きる人たちが」と昭一は言った。


 いまだ、幽霊たちはああでもないこうでもないと未来にアドバイスをしている。

「つまり、あれだ。やっぱもうちょっとお互いのことを知った方がいいんじゃねえか?」

「あ、私が彼女さんのことを調べてきましょうか。私得意ですよ、そういうの」

「えー……もしかして人間って死ぬとき辞書から“プライバシー”って言葉消えるんですか」

「消えます」

「おい、適当なこと言うな。幽霊全体に流れ弾が飛ぶんだよ」

 苦笑した椿樹が、「おい幽霊ども。あんまり若いやつをからかうな」と注意する。


 それから昭一に向き直った椿樹は「俺も、あんたらからバトンを受け取ったこと、誇りに思うよ」と肩をすくめた。






 数か月後。

 待ち合わせの場所に現れた綾が、未来を見て「今日も昭一さん、いる?」と笑う。「いるけど」と未来はちょっとふてくされた。

「あ、妬いてる? ごめんって。しょうがないじゃん、昭一さんのことも大事なんだよー」

「わかってるけどさ。第一声は俺への挨拶にしてほしいな、さすがに」

「えへへ、ごめんね」

 ちょっと伸びをしながら綾が、「だって彼氏の守護霊だからさ。いつも感謝を忘れずにいたいんだ」と言う。それから未来の背中の辺りを見て、そっと触れた。


「この辺にいるのかな、昭一さん。いつも未来くんを守ってくれてありがとね」

「……喜んでるよ」

「よかった。じゃ、行こうか未来くん」


 やっと恋人らしくなった未来と綾は、一瞬顔を見合わせ笑い出し、手を繋いで歩き出した。

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