あなたに届け、祝福の声(白河・クラーク・シグマ×饗庭常葉)
電車から降りて改札を抜け、少女は腰に手を当てる。まだ“お嬢様”との待ち合わせには時間がある。久しぶりにお会いできると思ってつい早く着きすぎてしまったようだ。
少女は鞄を小脇に抱えてあてもなく歩き出した。
時間をつぶすために居心地の良さそうなカフェを探していると、駅前に面白そうな場所を見つけた。
「ボドゲ……カフェ……」
あるとは知っていたが、こんなところにも出来ていたとは。
ボードゲームカフェ。名前の通り、店内にたくさんのボードゲームが揃っていて食べたり飲んだりしながら遊べる場所だ。看板を見ると一人でも利用できるらしい。
少女は顎に手を当てて考える。
ボードゲームは概ね得意だが、近頃は純粋に楽しめるものではなくなっていた。だが、『面白そう』と感じたのは事実だし、暇つぶしにはなるだろうと少女は店のドアを開ける。
店内をざっと見ると、どうやら知人と来店して身内同士でゲームを楽しむ卓と相席OKの卓で分かれているようだ。少女はふと、相席OKの卓に同年代ぐらいの少年を見つけた。銀色の髪に、優しげな目元。コーヒーを飲みながら、頬杖をついて窓の外を見ている。
「あの……ゲーム、いいですか? 待ち合わせまでの時間なんですが」
少年は瞬きをして、にっこりと「もちろん。誰か来ないかなと思ってたところでした」と言った。
せっかくだから二人とも知らないゲームをしようということになり、名前も聞いたことがないボードゲームをテーブルに広げる。
しばらく、二人でゲームに興じた。
「……私、普段はこういう戦略ゲームってしないんです」
「ほんとうに? そうとは思えないな。こんなに上手いのに」
「得意だけど……得意だから、つまらなくなる」
「ああ……なるほど、わかるよ」
でも、と言って少女は顔を上げる。そこには優しげな表情の少年が、しかし最初よりはっきり目を輝かせてこちらを見ていた。たぶん、少女の方も同じだろう。
「はじめて、ゲームがこんなに楽しいです。お名前をお聞きしても?」
「白河・クラーク・シグマ。光栄だな……ボクもそう思ってた。キミの名前は?」
「饗庭、常葉です。えっと……どうしよう、本当に感動していて、なんて言ったらいいか……。あなたと他のゲームもやりたいです」
そんなことを言っていると、常葉の携帯電話が鳴る。常葉は飛び上がって「大変っ、お嬢様がお待ちになってる」と叫んだ。
「あっ……えっと、その」
「待ち合わせしてたんだっけね。名残惜しいけど、今日はここまでだ」
「ごめんなさい。私……」
「もしよければ、」
連絡先を交換してもいいかな? とシグマが言った。携帯電話を握り締めながら、常葉はうんうんと大きく頷く。
そんな二人の様子を、影なき影が見つめていた。
「お兄ちゃんが、あんな顔するなんて……」
そう。今となっては完全にシグマの背後霊と化した、妹である。
シグマの妹は数年前に事故死して以来、ずっと兄のことを見守ってきた。父と母の兄に対する仕打ちに心を痛めながらも、兄が兄らしく生きられる日が来るまではと現世に留まって兄に聞こえるはずもない声援を送ってきた。
それが、今日――――
「これはお兄ちゃんが素敵な人と結ばれる、最後のチャンスかもしれない……!」
報われる兆しを見せていた。
兄はモテる。かなりモテる。にもかかわらず、こと恋愛に関しては唐変木。あの頭脳を以てしてなぜか自分に向けられる感情に疎く、何かにつけては『懐かしいな。妹のことを思い出してた』などと言ってのけて相手を無意識に突き放す。このままではすわ一生独り身かと妹として心配していたのだった。
「ぜったいぜーったい、あの人とくっつける!!」
そうガッツポーズした妹だが、それからすぐ小さな声で「問題は、特にわたしにできることはないってことなの……」と言ってしゅんとした。
ティーカップを口に近づけながら、「……そう」とお嬢様は呟く。
「あなたと互角にゲームを、ね」
伏し目がちに微笑むお嬢様に、常葉は珍しく興奮した面持ちで「そうなんです」と頷いた。
「あれからまた何度かお会いしてゲームをしてみたんですが、毎回その柔軟な戦略には驚かされます。なんというか、スマートで……無駄がないというか」
「あなたにそこまで言わせるなんて信じられませんわ。素敵な方なのね」
「はい! えっと……申し訳ありません、私の話ばかり」
「いいのよ。常葉のそんな顔、なかなか見られませんもの」
嬉しそうに眼鏡を押し上げた常葉が、しかし目を伏せたまま「でも……」と少し表情を曇らせる。
「あちらは私のことをどう思っているか……。私はこんなナリで自信もなく、背の割には年少に見えますし……。妹さんがおられたと言っていました。私はあの方と
「あら。あらあらあら、ふふふ」
常葉は当惑して、「何かおかしいですか?」と尋ねる。お嬢様はテーブルの上で手を組んで「ライバル、ねえ」と目を細めた。
「あなたのその言い方、なんだか『ライバルとして対等に見られていなくて悔しい』という感じではなくてね。どちらかというと、『妹みたいにしか見られていないのが悲しい』というか……」
「えっ」
「頭のいいあなたのことですもの、その意味がおわかりでしょ?」
一瞬頭を混乱させた常葉だったが、すぐに顔を真っ赤にさせる。
「あなた、まず背筋を伸ばしなさいな。それだけで印象がガラッと変わりましてよ、ずっと言っておりますけど。よろしくて? そうよ、お上手。私が服を見繕ってさしあげるわ」
「そんな……! お嬢様にそこまでしていただくわけには」
「いいのよ。私が最近、許婚にそっぽを向かれて張り合いを失くしていることご存知でしょ。有体に言えば暇ですの。そうね、あなたに似合いの服は……」
そう言って、お嬢様は常葉の手を引いた。
シグマは自室の電気を消し、ベッドに入る。明日は常葉と約束をしていた。
月明かりのなか、机の上に飾っている写真が目に入った。妹と両親が写っている。
「……ボクばかり楽しくて、ごめんね」
常葉と会うのは楽しかった。今まで一度だって誰かと競い合えたことはない。誰かと勝敗を分けるゲームをして、楽しかったこともない。そんな自分が、彼女といるとワクワクした。心が躍った。
だけどそのたび、母の声が聞こえる気がして。
『あなたの方が死ねばよかった』
そうだよな、と思う。何もかもをつまらなくしてしまう自分でなく、誰からも愛された妹の方が生きていればよかった。心の底からそう思うから、何をしていても、ずっと息が苦しい。
でも、彼女とゲームをしているときは、なんだか息をするのが楽だったな。
ベッドに入る。シグマは小さな声で「おやすみ、」と妹の名前を呼んだ。
妹はそんな兄の枕もとで「いいんだよ、お兄ちゃん。幸せになっていいんだよ」と兄に聞こえない言葉を囁いた。
待ち合わせに現れた常葉を見て、シグマは呆然とする。その後ろで妹も呆気にとられた。
常葉は慣れないワンピースの裾を伸ばしながら、真っ赤な顔で俯いている。
「わ、わーっ!! 常葉さん、オシャレしてるーっ!! こ、これ……今日……勝負の日!?」と妹は興奮して叫んだ。それから兄の隣に立ち、「ほらお兄ちゃん! 褒めて! おめかししてきてくれてるよ!」と促す。もちろん兄には聞こえていないが、言わずにはいられなかった。
「あ……今日、ワンピースなんだね。えっと……喉乾かない? 飲み物買ってこようかな」
思わず妹は「こらー!! 逃げるな!!」と兄を叱る。
そそくさと自販機まで歩いていこうとするシグマの後ろを、ぷんぷんしながら妹はついて行った。途中、伸びをする猫が「初々しいことだ」と呟く。
「まこと面白いの、若者の色恋は」
妹はあんぐりと口を開けたまま、その猫を見た。猫もちらりと妹を見て、「お前さんも苦労するな、兄君がそう朴念仁だと」と笑う。
「ねこ……しゃべっ……」
「幽霊が今さら何を言うか。同じようなもんではないか」
「た、たしかに」
歩いていく兄の後ろ姿をちらりと見て、しかし喋る猫への興味には勝てず妹はその場にしゃがんだ。
「あなた、なに?」
「吾輩は猫である。名前は間田名威」
「ふうん。じゃあ、とらさんでいい?」
「いや、間田名威である」
意味が分からず首をかしげている妹に、どこからか「だから、名前がマダナイなんだろ。マダさんってことだよ、たぶん」と声がかかる。
後ろを見ると、黒髪の若い男性が頭を掻きながらこちらを見ていた。
「え……嘘……お兄さん、私のこと見えるの?」
「あー、声かけちまった。めんどくさそうだから見ないふりしようと思ったのに」
男性はやれやれとため息をつく。猫が「いかにも吾輩の名前は間田名威である」とすました顔をした。
「霊がこんなとこで何してんだ。悪い感じはしないから祓わねえけど、さっきからうるせえぞ」
「兄の人生がかかってるんです!!」
「勢いがすげえな。どういうことだ?」
「若者が人生をかける日なんて決まっておろう、恋である」
「恋ぃ?」
妹は簡単に経緯を説明する。男性は興味の薄そうな顔でそれを聞いていた。
「お前はなんでそんなに兄ちゃんとその子をくっつけたいんだ?」
「幸せになってほしいから。お兄ちゃんだもん、普通そうでしょ!」
「まあ、そうか……」
「でもお兄ちゃんったら恋愛はからっきしで、どうしたもんかと」
ふむ、と目をつむった猫が「ならばやるしかあるまい、キューピット大作戦を」と言い出す。
「何かあるの? 作戦」
「まあ待て、吾輩が今までの長い猫生で何を見てきたと思っておる」
「何を見てきたんだ?」
「こういう時はあれだ。不埒な輩が
「……何を見てきたんだ? 少女漫画か?」
「若いの、ちょっとガラ悪くあの女子を口説いて来い」
「嫌だが」
即答する男性に対し、猫は盛大にため息をつく。
「仕方あるまい。吾輩が人間の姿になって声をかけてくる。若いの、服を貸せ」
「なんでだよ、嫌だよ」
「吾輩に全裸で声をかけろと言うか? ドキドキどころでなくなるわ!」
「言ってねえよ。やるなよ」
そんなことを言い争っているうちに、シグマが自販機から帰ってくる。両手に飲み物を持って歩いてくるシグマの後ろから、「そこの君~!!」と誰かが声をかけた。
「君、名前は!?」
大きな輝く瞳に、黒髪のツインテール。“カワイイ”を体現するような女性だが、シグマは警戒心を露わに「どなたですか?」と訊き返す。
「私? 私は紅谷萌歌! ね、君……アイドルにならない? すっごい素質を感じるぞー!」
その様子を見た妹と猫と霊媒体質の男性は、「誰?」「さあ……」「知らん」と顔を見合わせる。
萌歌にぐいぐい詰め寄られたシグマは、「いや……なりません。困ります」とじりじり後ずさっていた。
「あ、常葉さんが気づいた」
ハッとした常葉が、シグマと謎のスカウトガールを見てぎゅっと拳を握る。声をかけようか悩んで、下を向いてしまっていた。
ここぞとばかりに猫が「好機!」と叫んで走り出す。
「ハイパージャスティス間田名威アターック!!」
そう言って常葉の背中にぶつかった。
常葉はふらついて、二歩三歩前に出る。そして――――
「あのっ」と声を出していた。
「その人、私の……」
シグマと萌歌の視線が注がれる。
一瞬言葉に詰まったが、常葉がぐっと顔を上げた。
「私の好きな人なので、やめてください」
わお、と萌歌が口に手を当てる。
「そっかー、恋人がいるのかー! まだまだアイドルの恋愛事情には厳しい意見が多いからね。そういうことなら仕方ない。デートの邪魔してごめんね!」
そう言って嵐のように去っていった。なんだったんだ、とシグマは呟く。
後には沈黙が残された。常葉は顔を真っ赤にして固まっており、シグマも頭を掻きながら恥ずかしそうに視線を泳がせている。
「ごめん。助かった」
「……変なこと言って邪魔をして、ごめんなさい」
「いや本当に困ってたから」
シグマは歩いて行って、常葉の横に立つ。
常葉は意を決したように、「シグマさんが遠くへ行ってしまうの、嫌だったので」と言った。
「あの! 私、今はまだ妹みたいにしか思えないかもしれないですけど、でもいつかきっと、シグマさんの横に並べる人間になりますから」
背筋を伸ばせばシグマより高いくらいの目線の彼女を見て、シグマは眩しげに目を細める。
「君が妹みたいに見えたこと、一度もないよ」
照れたように笑ったシグマが、「今日の格好、とても素敵だ。ボクもちゃんとした服を着て来ればよかったな。キミの隣に立っても恥ずかしくないように」と肩をすくめた。
そんな二人の後ろで、妹と猫がガッツポーズする。
それから妹が、言った。「あの、お兄さん。お願いがあるんですが」と。
霊の声が聞こえる男、こと都築椿樹がシグマに声をかける。
「俺の素性は気にしないでくれ。そんでこれを信じるかどうかもあんたの勝手だが」と前置きして、言った。
「あんたの妹からの伝言。『お兄ちゃんが幸せだと私も嬉しい。押せ押せどんどん!』だそうだ」
シグマは驚いた顔をして、それから「ああ、言いそうだなあ」と懐かしそうに笑った。
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