I (don't) kill you baby 絹傘秋水×酒々井綾乃

 ある日綾乃がダージリンティーを嗜んでいると、使用人の一人が「お嬢様、文が届いております」と手紙を持ってきた。どれどれを開けて見てみると、手紙には一言『殺します』と書かれていた。


「あらやだ、殺害予告ですわ。お警察様に通報なさって」

「お嬢様、今月に入ってもう3回目ですよ」

「困りましたわねえ。お父さまってそんなに恨みを買ってらっしゃるのかしら。それともお兄さまが戻らない今、私が後継者となったら都合の悪い方たちがいらっしゃるのかも。なんにせよただの悪戯とわかっていても不快なものね」

「本当に悪戯でしょうか」

「本当に殺そうと思ってる人間が殺すなんて言ってくるわけなくてよ。メリットがないでしょ」


 そうカップを傾けた瞬間、綾乃の背後でガラスが割れる音がする。ひゅんと飛んできたナイフが綾乃の髪をかすって壁に刺さった。


「…………。悪戯じゃないかも」


 呟いて、綾乃はティーカップをテーブルに置く。割れた窓から雨が吹き込んでいた。





「あなたがお父さまの呼んだボディガード?」

「左様でございます、お嬢様。セバスチャンとお呼びくださいませ」

 にっこり笑ったボディガードは執事服を着ている。

「いいわね、その恰好。木を隠すなら森にと言いますし、他の使用人と混ざっても違和感がありませんわ」

「? 私は執事でございますが」

「すでに心の準備は万端のようね。プロフェッショナルってやつ? よろしくてよ」

 早速綾乃は届いた手紙を見せる。セバスチャンは「ふむふむ」とそれを見て首をかしげた。

「本当にこの手紙を寄越した人物がお嬢様を襲撃したのだとすると、なんというか、アレでございますね」

「そうよね、アホよね」

 ため息をつきながら綾乃は「とにかく、私は登校しなければなりません。護衛をお願いしますわ」と頼む。セバスチャンは「もちろんでございます」と恭しく頭を下げた。





 そして現在、車から降りたところでセバスチャンに頭を掴まれ、車の陰に逃げ込んだところだった。セバスチャンはご丁寧に傘を差しながら、言う。

「お嬢様、狙撃されております」

「もっと緊張感を出してくださる?」

「お嬢様……! 狙撃されて、おります……!」

「ありがとう。無駄なことをさせましたわね」

 セバスチャンは懐から黒光りする銃を出して構えた。


「あなた、公的機関とかじゃなくて民間のボディガードでしたわよね? どうして銃を持っていらっしゃるの?」

「執事ですので」

「私、庶民の方よりは執事というものを知っていると思っていましたけど、執事であれば銃の携帯を認められるという法律は存じ上げなくてよ」

「? 仰っている意味がよく……」

「わたくしがおかしい? もしかして」


 セバスチャンは車体から顔を出して平然と撃ち返し始めた。その横で膝を抱えながら、綾乃は虚無を感じる。

 やがて真上から何か大きな音が聞こえ、セバスチャンが綾乃に覆いかぶさった。「きゃっ」と悲鳴を上げている間に抱きかかえられている。

 車の上から人が飛び降りてくるのが見えた。青年だ。こちらに銃を向けている。


「埒が明かないから来たよ。いいボディガードを雇ってますね」

「あ……あなたが手紙を寄越して、今朝ナイフ投げてきた犯人!?」

「……すみません、手紙とかナイフとかは知らないです」

「嘘おっしゃい!」


 青年は「いや本当に知らないです。普通これから殺す相手に手紙とか脅迫とかコンタクトとらないですよね、警戒されるだけだし」と至極真っ当なことを言ってのけた。

「ああでも、俺の依頼人かもしれないです。なんか、『直々に挨拶してやるぜ』みたいなこと言ってたので」

「そうだとしたら、そのせいであなたの仕事がかなりやりづらくなっているんだけどそんなアホの依頼受けるのやめたら?」

「でも金払いがいいです」

「私がその倍出すと言ったら?」

「……それを元に報酬を吊り上げます」

「し、しっかりしてるぅ」

 そんなことを話していると、セバスチャンが「せっかくですが生憎の雨でございます。このままではお嬢様が風邪をひいてしまわれますし、本日はこれにて」と言いながら綾乃を抱えたまま、車に乗りこむ。


 案の定というか、青年は車のタイヤに銃口を向けている。するとセバスチャンはシフトレバーをバックギアに入れ、アクセルを踏んだ。ハッとした青年が思わず避ける。

「ちょ、ちょっと! 人のこと轢く気!?」

「身軽な方でしたので大丈夫でしょう」

「たとえ殺し屋でも嫌ですわよ、私。人のこと怪我させるなんて」

「かしこまりました。今後は気を付けましょう」

 青年はそれ以上追いかけては来ない。

 そのまま全速力で屋敷に逆戻りだ。


 学校に通うのはしばらく難しそうだと思っていたが、そんな思いとは裏腹に青年はしばらく現れなかった。びくびくしながら登校するのはストレスがたまったが、晴れ渡る空に学友と談笑できるのはありがたかった。


 そんなある日、その日は数日ぶりの雨だった。

 綾乃はなんだかすっかり気が抜けてしまい、鼻歌まじりに浴室でシャワーを浴びていた。

 いつも通りいい香り。彫刻の口からいつでもお湯が沸き出ており、ミストが心地よい。白い泡をシャワーで洗い流し、プールほど広い浴槽に片足を踏み入れた。


 ふと、顔を上げる。

 立ち込めるミストでよく見えないが、何か黒い影が見えた。じっと見つめると、そこには例の青年が立っていた。


「…………」

「…………」

「ねえ、それはちょっとレギュレーション違反じゃなくて? 人が全裸の時に現れるのはいかがなものかしら」

「そんなこと恥じらうくらいなら、こんな外から丸見えの風呂に入らないでしょ」

「丸見えてませんけど?? ここ二階ですし敷地内に人が歩いているわけないので丸見えてませんけど?? 一体どこから入ってらしたの」

「通気口的なとこから」

「大変なお仕事ですわねえ」

「あなたは同性のボディガードを雇うべきでしたね」


 ため息をつきながら綾乃は「全裸で死にたくないんですの。せめて服を着させてくださる?」とダメ元で訴えてみる。意外にも青年は「……いいですよ」と言った。

 綾乃は堂々と青年の前を横切り、脱衣所でタオルを手に取る。

 ふと青年を見ると、青年は銃を向けながらも綾乃から視線を外していた。じっと外を見て顔をしかめている。


「あなた、雨が嫌いなんですの?」

「……どうしてですか」

「前に現れた時も、雨の日だったし」

「それなら普通、『雨が好きなの?』って訊くと思うんですけど」

「じゃあ、好きなの?」


 青年は黙り込む。

 服を着終えた綾乃は、新しいタオルを手に取って青年の頭に被せた。青年が「っ、ふざけたことを……」と払いのけようとするのを宥めるように囁く。


「あなたの雨も、いつか止むといいですわね」


 雨が窓ガラスを叩く音が響いている。青年は一瞬だけぼうっとした様子だったが、すぐに銃を構え直した。

「他に言い残すことはないですか?」

「あーん、こんなとこで死ぬなんて……トホホですわ……」

 しばらく、沈黙が辺りを包んだ。青年はじっと綾乃を見つめ、何か葛藤している様子で引き金に指をかけている。

 それからなぜか青年は、銃を下ろした。

 その時、浴室のドアが開く。


「お嬢様! ご入浴が一時間を超えておられますが何かございましたでしょうか。私は目を瞑っておりますのでご安心くださいませ!」

「セバスチャンっ!」


 舌打ちした青年が風呂場の窓ガラスに一発鉛玉を撃ち込み、そのままガラスを蹴破って逃げていく。綾乃は思わず「そんなとこから出ていかなくたって帰るだけなら玄関を使えばいいのに!と言いながらそれを見送った。


「ははーん……もしかして私、お邪魔でございましたか?」

「何言ってんですの。あとちょっとで殺されるところでしたわよ」


 そう言いながらも綾乃は、「あの方、落ちて怪我でもしてないでしょうね?」と割れた窓から下を覗き込んだ。





 殺し屋の青年こと秋水は、屋根の上でため息をつく。「タオル持ってきちゃったな」と目線を落とした。

 それからぎゅっとタオルを握りしめ、

「さよなら、変なお嬢様」と呟いた。





 その数日後、秋水は銃を片手に綾乃を庇いながら見えない敵相手に応戦していた。

「あーもう、君と関わらないようにしようって決めたのになんでまた君は狙われてるんですか?」

「んなこと私が聞きたいですわ〜!! というかなんで助けてくださってるのかしら」

「報酬を横取りされたくないからですよ。これが終わったら殺します、君を」

「どちらにしても死ぬんですの!!」

 綾乃はそう嘆きながら「でも今死なないことが大事ですわ。よろしくお願いしますわね」と秋水の腕を掴んでくる。したたかなお嬢様、と思いながら秋水は肩を竦めた。

 とりあえず、そういうことにしておこうと思う。

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