私のヒーロー(雨崎信×小清水真理子)
可愛らしいアパレルショップの前ではたと立ち止まり、真理子はぼうっと店内を見る。外装と同じくらい可愛い服が並んでいた。
「可愛い……こんなお店が出来たのね」
そう呟きながらも、真理子はため息をついた。
あんな可愛い服、来てみたいと思うけれど。真理子はもう35歳で、そもそもあんなフリフリの服、似合ったためしがないのだった。今だって休日にもかかわらず、無難なパンツスーツで出掛けている。
ふと、日傘をさした人が自分と同じようにその店を見ていることに気づいた。パッと見、女性かと思うほどの美人だが体格は男性だ。彼もこちらに気づいたようで、ちょっと会釈した。
えっと――――
「入らないの?」
「入らないんですか?」
発言が被ってしまった。真理子が何か言い訳をしようと口を開いた瞬間、店内から「いらっしゃいませー」と声をかけられる。
「やっと声かけてくれたわ。これで入れる。あなたも一緒に入らない?」
男性の口からそんな発言が飛び出し、真理子が何か言う間もなく手を引かれて店内に引きずり込まれていた。
「いやー、やっぱりあのお店入って正解だったわね! すっごく可愛いコート買えちゃった。サイズが豊富で男のあたしでも着れるし、これはリピ確定ね」
男性が目の前で紅茶を嗜んでいる。真理子と彼はなぜか店を出て近くのカフェで一服することになっていた。
「あたし、雨崎信っていうの。あなたは?」
「小清水真理子……です」
「真理子ちゃんね。あたしのことはしのぶちゃんって呼んでよね」
まったく理解が追いついていない真理子は、カプチーノを口に運びながら上目遣いで信を見る。
「あの、どこかでお会いしましたっけ?」
「してないと思うけど」
「失礼なことをお聞きしますけど、今から宗教の話とか投資の話とかなさる?」
「本当に失礼だわね。しないわよ」
カップを置いた信が不意に真剣な顔をして、「どうしてあなたをここに連れてきたかわかる?」と訊いてきた。真理子も真面目に首を横に振る。
「お待たせしました」
カフェの店員が持ってきたパンケーキを見て、「これよこれ!」と信は両手を上げた。
「見なさい、このカワイイの! 一度来たかったのよね、このお店」
「あの……」
「あなたを連れてきた理由はこれ。じゃーん、カワイイ!」
「えっと……」
確かに可愛い。可愛いが。
当惑しながら真理子は「どうして私を連れてきたんですか?」と尋ねる。信はあっけらかんと「あなたとは美的感覚が合いそうだったから」と答えた。
「あなた服買わなかったけど、視線でわかる。いい目を持ってるわ」
「ありがとうございます……?」
「奢ったげるから食べて食べて」
「そんな、申し訳ないです。私なんかに」
「あなたって、なーんでそんなに自分を卑下しているの?」
「私なんてもうおばさんだし、あなたが何を考えているかわからないけれど、そんなにお金を持っている方でもないんですよ」
「あなたね、自分を卑下しすぎてあたしにも失礼よ。そりゃいきなり連れてきちゃって悪かったわ。でもあたし、あなたと友達になりたいだけなんだけど」
真理子は俯き、じっとパンケーキを見る。それからおずおずと、「写真撮っても……?」と確認した。「あたしもそう思ってた」と信が頷く。
「何それ! ありえないんだけど」
話が弾んだ末に真理子の元夫の浮気性について口を滑らせたところ、信は憤慨し「ダメだわ話し足りない! もう一軒付き合いなさい」と手を引かれる。自分でもありえないほど簡単に流されてしまっていることに危機感を覚えながらも、真理子は彼について行った。彼の口調のせいかわからないが、どうもそこまで警戒できないでいる。
店の前で覗いていると、元気よく「いらっしゃい」と声がかかった。「元気な挨拶助かる。あたし呼ばれないと入れないのよね」と信が言って店内に入っていく。こんなに人当たりのいい彼が人見知りなどするようには見えないが、何か事情があるんだろうなと真理子は思った。
「私、本当は可愛い服が好きだけど、似合わないから……」
「そう? でも全く試さないってのももったいなくない? いつものスタイルに好きな要素をちょっとずつ入れていくとか」
「そういうのだったらハードル低いかも。でも、笑われないかしら」
「他の人なんて関係ないわ。あたしが笑わない」
真理子は一瞬目を丸くして、「いい人ね」と呟く。
「笑われたことがあるの?」
「……ええ」
「人を笑うような人間の価値観なんか気にしない方がいいわ」
肩をすくめながら、真理子は料理を口に運ぶ。
数十分後、そこにはテーブルに突っ伏して泣いている真理子の姿があった。
「わ、わたしだってがんばってるのにぃ」
「ちょっとこれお酒じゃないの! いつの間に注文したわけ!?」
「だれもわかってくれないの……
「しかも泣き上戸だわこの子」
「この子って、わたしもうさんじゅーごのおばちゃんよ。さんじゅーご……自分が35になったなんてびっくり」
「あたしからすれば35のお嬢さんよ。立てる? 帰るわよ」
結局信に背負われ、真理子は店を後にした。
どこをどうやって来たのかさっぱり覚えていないが、信は無事真理子の家まで送ってくれた。玄関の前で真理子を降ろし、「いいこと? ベッドまで気を付けて歩くのよ。酔っ払いは信じられないケガするんだからね」と言い含める。
「……焼うどん作ろうかしら。しのぶちゃんも食べる?」
「何その微妙に心惹かれる提案。いいから寝なさい。男を簡単に家に上げちゃダメよ」
「そっちがぐいぐい来たくせに」
「それとこれとは話が別。それに、」
信は真理子の耳元で、「厄介なものを家に招くことになるかもよ」と囁いた。
「今日は楽しかった。また会いましょ。連絡先も交換したし、いつでも呼んでよね」
「うん……」
じゃあねと言って信は背中を向ける。その後ろ姿を見送って、真理子は家の中に入った。
そのままベッドに滑り込み、すっかり寝入った頃。何か物音が聞こえて目を開けた。
気のせいかと思ったが、やっぱり音がする。不思議に思い、立ち上がった。
――――あれ、鍵を閉めたかしら。
一気に酔いも醒め、真理子は顔を青くする。なぜか手元に携帯電話がない。店に忘れてきたか、玄関から部屋までの道のりに落としてきたかだ。後者であってほしい。
真理子は部屋を出て、辺りを警戒する。よかった、廊下に携帯電話が落ちている。素早くそれを拾い、画面を見る。信からメッセージが来ていた。
『今日はありがと。ちゃんと布団被って寝なさいよ』
それを見た瞬間泣きたくなり、思わず真理子は信に電話をかけていた。
『もしもしぃ? あなたまだ寝てなかったの?』
「ど、どうしよう」
『どうしたのよ』
「誰か、家の中にいるかも。空き巣? か……勘違い、だったらいいんだけど。勘違いかも。ごめんなさいこんな夜更けに電話しちゃって。勘違いね、きっと。じゃあ」
『ちょ、ちょっと待ちなさいよ! こら! 電話を切るな!』
勢いでかけた電話を勢いで切って、真理子は立ち上がる。どこか窓が開いていて風が吹き込んでいるとか、野生動物が迷い込んでいるとか、恐らくはそういう問題だろう。そう考えなおし、勇気を振り絞って音がする方へ歩いていった。
キッチンに人がいた。棚を探って物色していた。
真理子は悲鳴を上げる。空き巣もぎょっとした様子でこちらを見て、すぐ駆け寄ってきた。そのまま真理子の口を塞ぎ、押し倒した。
「黙っていろ、いいな?」
そう言って空き巣は包丁をちらつかせる。見覚えのある包丁だ。キッチンに置いていた包丁だろう。
真理子は震えながら頷く。空き巣は空き巣で「くそ、俺が行った後でも警察呼ぶんじゃねえぞ」とうろたえていた。包丁も真理子の家のものだし、計画性のある犯行ではなかったのかもしれない。
「……そうだ。人に言いたくなくなるようなことをしておくか?」
何をされるかわからないが、あまりにも恐ろしくて真理子は泣いた。口をふさがれながら「誰にも言わない」と必死に訴える。
その時、家のインターホンが鳴った。
「こんな時間に客? お前、もう人を呼んだんじゃないだろうな」
真理子は首を横に振る。
玄関から、「真理子ちゃーん? 忘れ物、届けに来たわよ」と信の声がした。真理子の目から涙が溢れる。
インターホンが、二度三度鳴った。それから、信はよく通る綺麗な声で、言った。
「あたしのこと、呼んで」
真理子はもがいて、口を塞いでいた空き巣の手から逃れる。空き巣は「おい、こら」と包丁を突き付けてきたが、真理子も必死だった。
「しのぶちゃん、来てっ」
ドアが開く。ほんの数秒後、信が空き巣を蹴り飛ばしていた。
真理子が震えている間に、手早く空き巣を服で縛る。
「このおバカっ。ちゃんと戸締りなさい!」
「ごめんなさい……」
「ああもう、血が出てるじゃないの。見せてみなさい」
どうやら包丁の刃先がかすったらしい。真理子の首もとを見て、信は顔をしかめた。
「救急箱は?」と訊かれたので食器棚の隣を指す。しょうがないわねえ、と信は手当てをしようとした。
しかしなぜだか信は消毒液片手にじっと真理子の首もとを見る。
「しのぶちゃん……?」
不意に信が、真理子の首もとをぺろりと舐めた。突然の奇行に真理子は固まる。不思議と信まで固まって、それから仰向けに寝転がって、大の字になった。
「あー、やっちゃった」
「しのぶちゃん?」
「あたし吸血鬼なの。今日は本当にそんなつもりなかったのに、美味しそうな匂いがしてついペロっといっちゃった。不潔じゃないからそれだけは信じてちょうだい」
「しのぶちゃん、」
真理子は信の手を掴み、「ありがとう、来てくれて」とその手をぎゅっと握りしめる。
「……あたし、化け物なの。招いちゃって後悔してる?」
「ヒーローよ、私の」
信は起き上がって、「本当の本当に汚くないから安心してね。逆にアレよ。傷の治りが早くなるはずだから」と真理子の傷を撫でた。
「あ、血を吸われたら私も吸血鬼になるのかしら」
「血吸ったぐらいじゃならないわ」
「そう? 残念」
「あなた吸血鬼になりたいわけ?」
「うん。しのぶちゃんと一緒なら楽しそうだもの」
信は頬杖をつき、「それっていいかもって一瞬思っちゃったじゃない。あたしの理性を試さないでよね」と真理子の額をつんと小突いた。
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