「いい名前だよね、茉莉花って。」

 「そう? 母親が付けたみたい。普通に娘に愛情があった頃も、あったのかしらね。よく、分からないわ。母親がいた頃はね、小屋でまな板もやってて。まな板って、分かる?」

 分からない。一が首を横に振ると、茉莉花はどこかまぶしそうな目で紘一を見た。

 「そうよね。お兄さん、こっちの世界に興味なさそうだもんね。まな板って、舞台にお客さん上げて、そこでセックスするのよ。そこでさぁ、私の同級生たちがね、未成年のくせに小屋覗きに来てたらしいの。あとで、オーナーに聞いたんだけどね。それで、私の初恋の人がさ、まな板しちゃったの。母親と。それがよっぽどよかったのか知らないけど、そっから一か月もしないでお母さん、いなくなっちゃった。」

 そう言って茉莉花は、ちょっと俯いた。軽い口調で語っていても、彼女の中には、一連の出来事がまだ傷痕として残っている。なんなら、まだ鮮血を流している。そんな匂いがした。

 なにか言わなくては、と、紘一は思ったのだけれど、言葉にはならなかった。ただ、目の前の茉莉花を見ていることしかできない。

 「初恋の人ったってね、ほんとに、子どもだったのよ、私。遠くから見てただけ。サッカー部の子でね、結構人気があったのよ。私、かわいくもないし、全然その競争には入り込めないわけ。だから、図書室の窓からグラウンドを見てたわ。私だけの、特等席。……懐かしいなぁ。」 

 懐かしい、と繰り返し、茉莉花はビールをあおった。あの頃は、お酒も飲んだことない優等生だったのよ、と。

 「初めての恋人は……恋人って言うのかなぁ。今でも分かんないけど、小屋のオーナーだったから、三年の内に私も、随分こまっしゃくれたもんよね。食わせてたんだから、ヒモよね。私しか踊り子のいない小さい劇場だったわ。景気が良かった頃には何人も女の子、いたみたいなんだけど、私が踊って頃はもう景気が悪くて、温泉街自体もう廃墟みたいだったしね。」

 廃墟みたいな温泉街。あまり温泉旅行に行った経験がない紘一には、なかなかその光景を想像することも難しかった。彼の頭の中には、真っ黒い影みたいな街が、ぼんやりと浮かんだだけだった。その中で踊る18歳の茉莉花は、きっと光り輝くようにうつくしかったことだろう。

 「見てみたかったな、その街でのあなたも。」

 ぽつん、と、紘一がほとんど無意識で言葉を漏らすと、茉莉花は驚いたように顔を上げて彼を見、そして、一瞬泣きそうな目をした。

 「物好きよねぇ、お兄さん。」

 

 

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