002
此度の遠征において、掲げる用向きは隣国との交易。その足がかりを作ること。二十年の戦後処理を経てようやく落ち着いてきたこのタイミングで、俺は唯一接触経験のある
当然のことながら旗色は悪かった。自国の需要を賄える以上、安易な交流はリスクが勝る。加えて、選出した使節は一人を除き未成年かつ要人の家系。普通なら棄却の判を押されて突き返されるところだろう。
しかし、王婿であり宰相のルフトさんがこれに賛意を示した。
「恩人に報いなければならぬ」
その一言によって風向きは変わった。
「ただいまー」
先に扉を開けたリーナに続いて家の中に入る。空気の流れに慣れ親しんだ香辛料の匂いが混じっていた。今はそれがひどく心を揺さぶる。
「おかえりなのじゃよー」
母さんはいつも通りベージュのエプロン姿で出迎えてくれる。
「今日は珍しく二人一緒なんじゃな。もう少しで夕飯出来上がるから少し待つのじゃ」
「この匂いは、カレーだね!」
「そうじゃよ。今日は特別じゃからな」
リーナは「やった」と軽く拳を握って居間へと消えた。手にしていたはずの鞄は、いつの間にかなくなっていた。
「母さん」
「なんじゃ、フェル?」
不思議そうな母さんの目とぶつかった。自分自身、どうしてわざわざ呼びかける言葉が口をついたのかわからなかった。わからなかったから、これだけは言っておきたかった。
玄関口に腰を掛け、靴を脱ぐ。
「ただいま」
漸う吐き出した拙い言葉に、そっと頭を撫でられる。
「おかえりじゃ」
小さく呟かれたその言葉を心に仕舞い込んで、静かに立ち上がった。
「やっぱりお母さんのカレーはおいしいなーレシピ教えて!」
「お父さんの好みに合わせただけなんじゃがな」
「そう考えるとおとーさんってあんまり辛くないほうが好きなのかな」
「カレーに関してはそうじゃったな。じゃが辛いものは辛いもので好きじゃったよ。好物はだいたい甘味じゃったが。お菓子作りは儂も随分苦労したのう」
「なんかあれだよね、本当のおとーさんって世間のイメージとずれてるっていうか」
「お父さんは見栄っ張りじゃからの。案外かわいいところあるんじゃよ?」
「それはお母さんの贔屓目な気がするけどなぁ」
「そんなことはないと思うんじゃがのう……」
夕餉を堪能したフェルディは、カレーのレシピを書き写している妹を置いて自室へと向かった。
明日、この国を発つ。母とはもう二度と会えないかもしれない。
脳裏を過ぎる考えを振り払い、本棚の隅に置かれた小さな箱を手に取る。
親父の書斎から持ってきた
撥条を巻けばカチカチと時計の針が動き始める。
目を閉じる。
朗々と紡がれる魔法の詠唱。
世界はどれほど広大か。
どれだけの時間がかかるのか。
恨みがましく、月に問う。
「どこに行ったんだよ、親父」
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