第2話 青年と怪異

「水城さん?」


 青年は驚いたように目を丸くした。どうやら、彼は私のことを知っているらしい。

 柔らかそうな黒髪に水底のような青みがかった黒目。背は私より少し高いくらいで、どちらかといえば中性的な顔立ち。こんな人と知り合いなら、覚えていると思うんだけど──。

 首を傾げて彼を見ていると、彼は思い出したかのように言った。


「ああ、俺だよ。藤原貴志ふじわら たかし、同じクラスの。眼鏡をかければわかるか?」


 そう言って、彼は眼鏡をかけた。今どき珍しい、丸眼鏡。あ、ああー!


「ふっ、藤原くん!?」

「よかった。忘れられてたのかと思って、ちょっとひやひやした」


 彼は少しからかうように笑うと、真面目な顔をして聞いてきた。


「それで、水城さんはどうして学校ここに?」

「えっと、忘れ物、しちゃって……」


 おずおずと、弁当袋を掲げる。それを見ると、藤原くんは言った。


「そっか、巻き込んじゃってごめんね。学校の門まで送ってく、さっきのこともあるし」


 さっきのこと、その言葉に恐怖が蘇る。あの化け物は一体何だったのだろう。藤原くんはそのことを知ってるの?恐怖と疑問が頭の中をグルグルまわる。


「大丈夫?顔白いよ」


 藤原くんが顔を覗き込み、聞いてきた。びっくりした。顔が近い。思わず目を逸らしてしまう。


「だ、大丈夫。ちょっと思い出しただけ」


 少し強がったのは、ここで大丈夫じゃないといえば、藤原くんに迷惑がかかると思ったからだ。


「そっか、送ってく間にそのことについて教えるよ。知らないままでいるのも怖いだろうし」


 優しいな、と思った。藤原くんは私の目を真摯に見つめている。


「分かった、教えて」


 そう言って、私は彼の方に歩き出した。あの化け物を倒しただろう彼についていけば、襲われることはないだろうと信じて。


 校門まではすぐだった。その間、あの化け物について教えてもらった。

 他の化け物は怪異といって、人の恐怖心や噂が具現化したものということ。普段は認識できないが、その姿をあらわすタイミングというものがあって、今回私はそのタイミングにちょうどあってしまったということ。怪異はそのタイミングに合わせて人を殺したりすることで、自分に対する恐怖心や噂を強化するということ。藤原くんはこれを退治する仕事をしているということ。

 藤原くんはバイトを多く入れているという話はクラスメイトの間ではそこそこ知られていたから、こんな仕事をしていることに、すこし驚いた。どうやら、家業に近いものらしいが、内容が内容ゆえに誤魔化していたらしい。


「でも、秘密なのにどうして教えてくれたの?」


 校門の前、逆光で藤原くんの顔は見えない。


「それは」


 夕焼けの中、嫌な予感がした。


「君が、今日の出来事を忘れるからだよ」


 その言葉に、息を呑む。今日の出来事を忘れる。それはつまり、


「今までのことが、なかったことになるの……?」


 それは、それだけは。私の中で一番嫌いなこと。遠い記憶が蘇る。


「■■なんていないもん!」


 その言葉で、私は大切なものをなくしている。覚えているのは私だけ、きっと誰にも信じてもらえないけど。

 その記憶だけは、脳裏に焼き付いている。


「い、いやだ。忘れたくない、せっかく助けてもらったのに。藤原くんの親切を、なかったことにしたくない!」

「私は!今日の出来事を!絶っ対!忘れない!」


 宣言する。駄々をこねる子供のような言葉。たとえ幼稚と思われても、優しい彼に思い出を一人で背負わせたくなかった。


「無駄だよ。ごめんね、水城さん」


 切り捨てるように彼は言う。けれどその言葉は優しくて、泣きたくなるような気持ちのなかで、私の意識は闇に落ちていった。

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