変わってゆく

視界をミルクティが掠める。

ソイツは堂々と教室の前から歩いてきて、俺になんて目もくれず夏樹の横で足を止めた。



「ここ、私の席なんだけど。」



ゆるりと顔を上げて、ソイツを見返した夏樹に浴びせたその声は冷え冷えとしていた。

どうせ他の奴らと一緒だろうと踏んでいたが驚いた。表情は見えないけれど、夏樹の瞳に嬉々とした色が写ったのだ。


興味本位でそのミルクティの肩をガッと掴んで、力任せに引っ張る。



「なに、」



鬱陶しいと言わんばかりに此方へ顔を向けた其の女をギロりと睨みつけた。

怖がれよ。ほら、俺たちはアノ不良だぞ。と。

早く逃げろよ。


夏樹のアノ瞳が頭に警報を鳴らす。

危険だ、こいつは俺たちの輪を乱す存在だと。



「聞こえてる?なに、っていってんの。」



俺の願望は叶うことはなかった。

逆に強い瞳で睨み返されてしまう。


なんだ、コイツ。


肩に置いている手にグッと力を込めた。


少し眉を寄せて、肩に置かれた手をパンッと払ってからハァとため息をつく。



「てめぇこそ、何なんだよ。」



こんな奴、1年の時居なかった。


低く低く言い放った言葉に、教室の奴らが肩を寄せ合い怯えた色を見せる。

その光景に嘲笑を浮かべて、笑うと女はより一層眉を顰めた。



「何回も言わせないでくれる?ここ、私の席。わかる?」



鬱陶しい、と付け足して俺たちに怯えた様子は欠片も見せない。

俺たちのこと、知ってるだろう?何をしたか、何を起こしたか。


それなのに、何で怖がらねえ?



「オマエ、」




その続きは出なかった。


耳に入ってきた其れは、何度も浴びせられた言葉で。



「さっさと、出ていけよ。黒いバケモノが」



思わず、倒した椅子を窓に向かって投げた。



「いま、なんつった?」



窓ガラスが大きな音を立てて割れ、キャアアアアア!と悲鳴が上がる。

しまった、そう思った時にはもう遅い。


窓際にいた2人に、割れたガラスが降り注ぐ。


ポタリ、



「あき、さん?」



ツゥ、と赤い血を見せたのはその女だった。

薄く切れた頬から、ポタリと血が滴る。



「わ、りい。」



幸い夏樹は無事なようで、体に着いたガラスの破片をパッパッと手で払いながら、静かにその女を見つめていた。

その顔は俯いたことによりミルクティ色で隠され、声すらあげない。


その声を聞きつけてか、俺がさっきミルクティが教室に入ってくる前に送ったメッセージのおかげか、開かれたままの扉から派手な髪色の男が2人飛び込んでくる。



「ゼン、!何してんだよ!!」



入ってきて早々、俺が窓を割ったことを瞬時に悟り、詰め寄ってきたのは短い赤色の髪色をした男。

しかしソイツも理由は何となく察しているようで、俺が落ち着いているのを見てハァと呆れたように頭を抱えた。




「あらら~、キミだいじょーぶ?」




ゆるゆる~と本当に心配してんのかよって思うほど棒読みで発したのは銀髪の髪の毛を1つにくくっている男。


この2人の登場により、さらに教室が静まった。

時々、小さくアキさんと言う声が聞こえるが、誰一人としてそのアキさんに駆け寄り心配する奴は居なかった。


当本人のアキさんは、まだ俯いたまま。



「怪我人は出すなって言っただろ。」



シンが女から出た血が、地面に着いているのを見つけて、自らの赤い頭をぐちゃぐちゃに掻き乱した。

ミトは更に女に近づいて、だいじょーぶ?と顔を覗き込んでいる。


微動だにしない女に、少し眉を顰める。


なんなんだ、この女。泣いてんのか?キレてんのか?

ビビって動けねェのか?


わかんねぇ。



「何をしているんだ!!!」



バタバタと聞こえた騒がしい足音。

ここから職員室は、棟が違うはずだ。ガラスが割れた音を聞きつけてから、走ってきてもこんなに早くは来れないはずだ。

なら考えられるのは誰かが、俺達が来た時点で呼びに行ったか。


内心、舌打ちをする。


俺達が問題を起こす前提で、コイツらは動いてやがる。


苛立つ。本当に何もかもが。



怯えた目を向ける生徒や教師も、動かねえ女も。

ヒソヒソと聞こえる声も。何もかもに。



そして何よりも自分を制御出来なかった自身の弱さに。グッと拳を握りしめた。



「あっれ?怪我してるのアキちゃんじゃぁ~ん。」



顔を覗き込んだミトが、そのままその頬に触れようとする。が、その手はパシリという渇いた音を立てて落とされた。


入口では5人ほどの教師が、俺たちの様子を伺っていた。ーーったく、コイツら全員暇か。

俺たちの為だけに御苦労なこった。



「や、やめなさい。」


と小さく震えた声で何か訴えているが、全くを持って意味がねえ。そんな震えた声で言われても怖くもねぇし。

でも騒ぎを起こしてしまったのは本当に反省してる。



握りしめた拳がギリギリ、と悲鳴を上げた。



「え、とアキちゃん?だっけ?、ゼンが本当に悪いことをした。ごめんね。」





シンが申し訳なさそうに謝る。

つーかコイツなんで俺が全体的に悪いって決めつけてんだ。まぁ俺が悪いんだけれども。

そのシンの言葉を聞いてか、ふとその女が顔を上げる。


その瞳には先程と変わらず、ただただ冷めた色を宿しており何一つ写っていなかった。

頬から血が流れて、普通にガラスで切ったなら痛え筈なのに表情ひとつ変えやがらねえ。


そして、俺たち全員を見渡して、初めて。

本当に、この教室に入って初めて。


ニッコリ、と笑った。



「貴方が謝ることじゃないわ。謝るのはそこの餓鬼よ?」



そう言って俺を真っ直ぐに睨みつける。



「餓鬼、だと?テメェ巫山戯んじゃねェぞ!!」



餓鬼扱いされるのは嫌いだ。と目の前にいたミトを押し退けて、女の胸ぐらを掴んだ。

横からシンがおい!と焦った声を出し、教師はやめなさい!と遠くから意味の無い注意をして、生徒たちは悲鳴を上げる。


なんだよ、止めてみろよ。


胸ぐらを掴んでいない方の手で拳を作り、振り上げるが誰一人として動かない。


ほら、誰も助けねェ。


ギロりとその女に苛立ちをぶつけると、そいつは挑発的に口元に笑みを乗せる。


コツリ、コツリ。


教師たちとは違い、落ち着いた靴の音が聞こえた。


その時だった。



「クズ共が」



低く威圧する声がし、咄嗟に胸ぐらを離す。

聞こえたのは、教室の入口から。その場にいた全員がそちらに顔を向けた。


この声は。


『もう来なくていいよ。』


嫌な記憶が頭の中に蘇り、再度舌打ちをこぼす。


その向けた顔の先には、スラリとした背格好でスーツ姿。ソイツは闇のような漆黒の髪をオールバックに纏めあげ、本当にゴミを見るような瞳を俺たちに向けてきている。

この学校の'理事長'の姿だった。



めんどくせエやつが来やがった。



「来んな、と忠告しただろう?」



威圧感のある声に、ギリと奥歯を噛み締める。

この人に逆らってはいけないと、脳が勝手に察知し、体を止める。



悔しい。くそ、動けよ。




「すみませんでした。」



その一言で、糸が切れたように体が動くようになる。

俺の背後にいた夏樹がガタンと音を立てて立ち上がる気配がした。

夏樹は俺たちの前に立ち、スっと頭を下げて謝る。



「1つの食料が腐るとねその場にあるもの全てが胞子によって腐るんだよわかる?…わかったら、早く帰りやがれ。もう二度と来るな。」



冷たい言葉が、俺たち降り注いだ。

だから言ったんだ、学校なんてくそだって。

言い返す言葉が出てこず、俺たちは黙り込む。


そんな空気の中、再びミルクティが揺れた。



「理事長、」



透明な声が、教室の空気を緩和する。

ミルクティが俺と理事長の間に入り込む。



空気が、変わった。

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