そうだ!学校へ行こう!
「いま、なんつった?」
俺の言葉は、ゼンにとって衝撃的だったようで洗面台から怒ったような低い声が聞こえた。彼はピアスを付けながら、鏡越しに怪訝な顔を向けてくる。
俺はただ1人の男子高校生として当然のことを言った迄、なんだけどな。
「やから、学校行くって。」
ピアスを付け終えて、洗面所から出てきたゼンを捉えてもう一度ゆっくりとその言葉を告げる。
ゼンはそのまま壁に背を預けて、俺の真意を読み取ろうと目を細めた。
暫く見つめ合うと、その切れ長の瞳が呆れた色を灯した。
「なんの冗談だよ」
「冗談ちゃうよ」
本気。
その言葉を聞いて、ゼンはハッと鼻で笑った。
冗談だとは多分此奴も初めから思ってないやろうけど。
「なんで?」
「なーんとなく。」
本当に何となく。
今日は、学校へ行きたい気分やった。ホンマにただそれだけ。久々にあの懐かしい教室へ入りたかっただけ。
あの空気は誰よりも嫌いやけど、行きたかった。
カチリ、
安物のライターの音が聞こえて、煙草の香りが瞬く間に部屋に広がる。
煙草を吸い始めた奴は、それを長い指で挟んで
頭おかしいんじゃねえの?
とその口からケラケラと乾いた笑いが漏れる。
「俺たちは学校サマから直接、来ないでいいって言われてんだぜ?」
『もう、ここへは来ないでいいよ』
去年の夏。流れる汗と、蝉の五月蝿い声。
あの人の鋭い瞳が脳裏を過ぎる。
彼にそう告げられてから、俺たちは従順にそれに逆らったことはなかった。
寧ろ、行かなくて良かったら万々歳だなんて空っぽの言葉を吐いて。
唯一、アレと関係の薄いミトは週何回かクラスに顔は出してるらしい。下っ端情報やけどな。
そのミト本人は俺たちに遠慮してか、その事を口にする事はない。
主に対象となったのは、俺とゼン。そしてシンの3人と去年卒業した先輩達だ。先輩達は去年の夏から1度も登校する事無く、進学希望のヤツもその夢を諦めて全員卒業したらしい。
先輩たちの将来をも踏みにじったアレは、ずっと俺たちに傷跡を残し続けていた。今も尚、優しいゼンやシンは苦しんでいる。
わかってる。全部、分かったつもりで。
俺は、もう一度その言葉を口にする。
「知ってる。でも俺は、行く。」
久しぶりに壁に掛けていた制服に腕を通した。
つか、ゼンのせいで煙草くさいなァ。
次からここで吸うのは控えてもらおーと。
グッと拳を握りしめているゼンの言葉は待たなかった。彼の横を通りすぎ、俺は玄関を開ける。
外は暑かった。それでもエアコンの効いている室内よりも、清々しいのはなんでやろうか。
「あついなぁ。」
あの時と同じような五月蝿いセミの声が頭に響く。
あれから、1年。もう、1年。されど1年。
神々しく輝いている太陽を薄く睨んだ。
あの日から、俺たちは立ち止まったままだ。いや立ってさえおらへんのちゃう?あの時に縛られて、立つことも出来ずにずっと座り込んでいる。
自分たちだけだ、と塞ぎ込んで周りを遮断したまま。
睨んだ太陽が、馬鹿だなと笑って俺の体を容赦なく照らしてくる。
陽炎が、ゆらゆらと揺れた。
ゆらゆら、ゆらゆらと揺れて。
『ナツキ、俺たちはさ』
ゆらゆらと笑った。
「悪ぃ。」
刹那、パチンとそれが弾け飛んだ。
「っおい!テメェ1人で先に行くんじゃねェよ!!!」
ほんの小さな謝罪は、ゼンのこの蝉並に煩い声によって掻き消された。
届いたやろうか、アイツに。ちゃんと。
ゆっくりと後ろを振り返ると、俺と同じ制服に身を包んだゼンの姿。
やっぱり此奴は優しいな。なんだかんだ、着いてきてくれるんやから。
「ゼン」
「ア?」
'ありがとう'
「今の時期、夏服やで。」
長袖でかっちりとしたジャケット姿のゼンにそう告げる。
「…!?あちぃと思ったわ!!!くそっ!!」
慌ててジャケットを脱ぎ、ブラウス姿になったゼンをみて少し笑う。本当に救いようのない馬鹿や。
でもその明るさに救われた、なんて口が裂けても絶対言わんけど。
また学校へ歩き始めたその先に。
陽炎の姿はなかった。
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