第27話 翳④
私は息をのんだ。
「ヒカルはタカヒロのメモを盗み見て、俺の居場所を知ったらしい。彼女は恐ろしいくらい冷静に、微笑みながら言ったんだ。莉緒が死んだのは俺が拒絶したせいだ、これから先どこへ行こうと俺を追いかけて、俺が幸せにならないように邪魔をし続けるって」
「そんな……エトは全然悪くないじゃない……逆恨みよ」
時々、エトが見せていた翳り。
それは、優しい彼を追い詰めるどうしようもない辛い出来事。
私はソファから立ち上がり、エトの隣に座って彼をそっと抱きしめた。
「ヒカルにしてみれば、俺が拒絶したせいで莉緒が死んだってことなんだろう」
「エトに会う前から、彼女は危うげだったんでしょう? 何も責められる筋合いはないよ」
人の心は、うまくコントロールできるものじゃない。
好意を向けられたからと言って、100%同じ気持ちを返せるものでもない。
片方の気持ちだけが重すぎると、絶対にうまくいかない。それは私も、自分の経験からよく知っている。
「キョウトに出張に行った時は、ヒカルはNYに長期の出張に行っていて会わずに済んだんだ。タカヒロがわざとそう調整してくれた。でも今回は、彼がこっちに来ることで俺に会うんだってわかったみたいだ」
私はエトの背を撫でた。
「きっと彼女は、長いあいだ心を病んでいた妹が突然いなくなったことを認められなくて、あなたのせいにしてるのかもしれないけど。だからって彼女にあなたを責める権利はないよ」
「タカヒロもヒカルに何度もそう言ってくれてる。でも彼女は納得しない。だから……」
エトは私の手をそっと自分から引き下げると、青ざめた悲しそうな表情で私を見つめた。
ゆらゆらと、透き通った茶色い瞳に悲しみがにじんで揺れている。
「ヒカルがきみに何かひどいことを言ったりしたりするかもしれない。変な勘違いをされて嫌な思いをしないように、俺から離れていたほうがいいよ」
その柔らかな拒絶に私の胸はずきんと痛む。
引き下ろされた両手で私は彼の青ざめた顔にそっと触れて、悲しみがあふれそうな茶色い瞳を見つめた。
「エトは悪くないってば。誰が聞いてもそう言うから。ヒカルが間違ってるの。もし彼女が本当にあなたの人生の邪魔をするなら、接近禁止令の入国禁止にしてもらえばいいわ」
はっ、と息をのむ気配。エトはきょとんとした表情で私を見て、そして苦笑した。
「入国禁止って……」
「ねえ。あなたは悪くないの。だから、堂々としてればいいの。彼女だって、本当はあなたが悪くないことはわかってるはずでしょ」
「でも、万が一、きみが勘違いされて嫌な思いをするといけないから……」
エトの両頬をはさんだ両手をぎゅ、と寄せて私は首を横に振る。
そして、情けなく弱々しい苦笑を浮かべる。
「勘違いじゃないよ。だから、そんなこと気にしなくてもいいから」
「えっ?」
灰色がかった薄茶色の瞳に驚きが浮かぶ。そこには、困惑顔の私が映っている。
「ある人にひどいことをされてなかなか立ち直れなかったとき、兄妹やレヴィやゾエ、それから友人たちがただそばにいてくれたの。だから私もあなたのそばにいるよ。それは私の意志だから、何か嫌なことがあってもあなたのせいじゃない」
「エリカ……」
エトのそばにいると、ガサガサに荒れた心が滑らかに凪いでいくのがわかる。この心地よさを失いたくはない。
私は自分の額をエトの額にこつんとくっつけた。
期待と不安とがごちゃ混ぜに混ざり合って、とりあえず混乱している。
「もしも迷惑とか負担とかでないなら……離れてたほうがいいなんて、言わないで……?」
呼吸の仕方を忘れて空気で溺れないように、慎重に。
落ち着いているふりをして、残酷な答えが返ってこないようにと心の中では必死で祈る。
茶色い瞳が私を見つめている。
私も勇気を出して、その瞳を見つめ返す。
ほんの数秒間が、何十分にも感じられる。
エトが、ためらいながら口を開く。
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