第23話 Je bent lief⑤



 ヨハンナが言っていた。


「日本人の婚約者はね、あいつが日本でモデルとかクラブのDJとかやってた時に知り合ったらしいよ。結婚したら彼女の父親の会社に入るらしいわ。来年結婚したら住む家も、すでに買ってもらってあるらしいよ」




 ああ、と息苦しさに喘いだ。




 訊かれたことがある。父親は何の仕事をしてるのか、兄がいると言ったけれど、彼は何の仕事をしているのか。


 家庭環境を訊くのは単なる恋人への興味だとばかり追っていた。その時は父も兄も普通の会社員だとだけ答えた。あまり重要なことでもないと思っていたから。



 私が知っていたこと。イザークの父は彼が子供の頃に亡くなっていた。彼は母親と半身不随の祖母との3人家族だった。


 いつか母と祖母にいい暮らしをさせてあげたいと彼は言っていた。


 そのことに関して彼の本心はわからないし、別にもう興味もない。



 私は、彼の将来設計には規格外だった。そして彼女は彼の「理想の相手」だった。ただそれだけ。



 それでやっと、前にヨハンナが言っていたことに思い当たった。



『あんなやつはダメだよ。いいうわさ聞かないんだから。あの男は目的のためなら、手段を選ばないんだよ』



 そして彼本人が言っていたこと。



『だから。結婚することは仕方ないし、俺が変えられることでもないんだ。それにき

みに会ったことだって、どうしようもないことだったし』



 ようやくそれらがつながった。



 ははは……と力の抜けた冷笑が洩れた。


 私には彼の生き方や考えを非難する権利はない。


 私を巻き込んだことは、非難してもいいとは思うけれど。



 私は、ひとを好きになっただけ。


 でもそのひとは私を自分のいいように扱った。


 私は彼にとって、お金よりも価値が低かった。ただ、それだけのことだ。






 ザーンセ・スカンスの風車村を観光して、緑色のかわいい農家風のレストランでランチにする。レストラン内に併設されたお土産屋さんで、タカヒロは妙に高いテンションではしゃいでいる。


「うわ、見てこれ! 木靴のマグネット! はっはー! お弟子さんたちにお土産にするわ!」


 興奮しすぎて、関西アクセントになっている。


 テレビや雑誌では落ち着いていてミステリアスで品格がある感じだったけれど、素の彼はごく普通の二十代男子でちょっとほっとした。


「小さい時にアニメで見て、木靴クロンペンに憧れてたらしいよ」


 エトがこっそり教えてくれた。


「どうして木靴に憧れなんて」


 私はこっそり吹き出してしまった。


「なんでよ、クールやん? 木ィでできてるなんて、日本のゲタみたいやん? これ履いて着物着てもかっこいいんちゃう?」


 冷蔵庫マグネットの隣に会った本物の木靴をじっと見降ろして、タカヒロは真剣に首をひねる。エトは呆れて苦笑して肩をすくめた。


「タカヒロがやったら、日本でもはやるかもね。そのクロッグス、どこで買ったんですか? とか言われて」


「あー、えっ? クロッグス?」


「それ、英語で言うとクロッグスなのよ」


「なるほど! そこから来たのか! カステラみたいなもんだね!」


「えぇ? それはポルトガル語……」


 そんなに半日中笑ったのは、すごく久しぶりだったかもしれない。




 木漏れ日が差し込む中庭の丈の長い芝生の上で、茶色いアヒルの親子が丸くなって休んでいる。


 狭い小道は観光客がのんびりと行き交って、その向こうの小川には空と雲が映りこんでいる。



 エトが飲みものを買いに行っている時、タカヒロが穏やかに笑んで言った。


「ありがとうね、エリカちゃん」


 何のことかわからずに私が首をかしげると、彼は唇の両端を上げた。


「エトがあんなに楽しそうなの、久しぶりに見たよ」


「えっ?」


「なんかきみたちって、似てるよね」


「どこが?」


 私が首をかしげると、タカヒロは少し悲しそうに目を細めた。



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