第24話 翳①
タカヒロが何かを言いかけたとき、エトが戻ってきた。彼は苦笑して私に目配せを送ってきたのでエトの前では言いたくないことらしいと察して、私も何も言わなかった。
彼は何を言いかけたのだろう。私とエトが似ている? 一体、どういうところが?
気になったけれど、それから続きを訊けなくて数日が過ぎた。
「今日はちょっと一人で行きたいところがあるから、でかけてくるね!」
そう言ってタカヒロが出かけて行った日。
私はエトのアトリエで、花の生け方を教わっていた。
「大丈夫かな?」
私の心配がタカヒロに向けられているとわかったエトは柔らかく微笑む。
「大丈夫。彼はオランダ語はわからないけど、英語ならわかるから」
「ああ。オランダ人の英語はきれいだって言ってたよね」
「それにしても、何しにどこに行ったんだろう……」
「エトも知らないの?」
「タカヒロのことだから、 市場だけでなく花を探して街中をうろつきに行ったんだろうと思うけど」
「そう……エトもタカヒロも、本当に花が好きなのね」
「そういうきみだって、家具が好きだよね」
「え? どうして?」
「歩いていて家具の店を見かけると、いつも写メってるでしょ」
「ああ。兄が日本で輸入家具の会社を経営してるから。いいもの見つけたら写メって送ってって言われてて……習慣みたいなものね」
「なるほどね。日本にいるとき、エリカは何の仕事をしていたの?」
「兄の会社で事務の仕事をしていたわ。貿易関係の書類を作成したり、翻訳したりね」
「ふうん。輸入家具ね。うん……あれっ? もしかして……『Gezelling』って家具の会社、あるよね……まさか、それって」
私はこくりとうなずいた。
「そう。兄の会社。おじいちゃんのホテルと同じ名前」
「ああ! なんだ……そうだったんだ? 一度雑誌の仕事で、その会社の仕事引き受けたことあったよ」
「ホント? それってまさか、去年の女性誌の? デンマークのヴィンテージサイドボードの上の、アジサイ?」
「うわ。そうそう! アジサイ!」
「あれ、エトだったのね! すっごく素敵で、雑誌を切り抜いて今でも飾ってる。私が広報課で働いていたら、その時に会ってたのかもね」
エトは優しく目を細めた。
「社名がオランダ語だったから、なんか親近感湧いたんだ。社長はオランダのクォーターだって広報の人が言ってたな」
これも、タカヒロが言っていた「合縁奇縁」かしら?
私はエトに会う前から、エトの花を知っていた。エトも、私と会う前に、仕事で兄の会社と関わっていた。
「何か、不思議だよね。そのときに会ってなかったけど、今はこうして話してる。会うっていうことには、変わりなかったってこと」
エトの言葉に私ははっと息をのむ。
「……」
「うん? どうしたの? エリカ」
「ああ……そうね、すごく不思議。世界は広いのに、前に会い損ねた人と結局は会うなんて」
「そうだね。まるで会うことは決まってたみたいだ」
とくん。
大きく一度乱れてから、なぜか心臓が規則性を失った。
なんだかちょっと恥ずかしくなって、花を持つ指先が溶けていきそうで焦る。
灰色がかった透き通った茶色い瞳が優しく笑む。
エトの微笑みは春の陽だまりみたいに温かい。花になった気分になる。ずっと照らされていたい、そんな欲張りな感情が沸き起こる。
私、もしかしたら……
エトに、惹かれている。
でも……
もしもエトが私のことなんて何とも思っていなかったら……?
こわい。
この心地よい関係が壊れたら?
エトがもう、自然な温かい笑顔を向けてくれなくなったら?
「エリカ?」
びく、と微かに身を縮める。エトの大きくてひんやりとした手が私の額にそっと触れる。
「どうしたの? どこか具合が悪くなった?」
茶色い瞳が、心配そうに私を見つめる。
「熱は無いみたいだけど……もう帰ろうか?」
ああ。どうしよう。
私は、彼のことが好きみたい。
私は飼い主に撫でられた猫のように目を閉じてうっそりと笑む。
「冷たい。気持ちいい」
「ええ? 困ったな。熱が出るのかも。ハニージンジャーティーを作ってあげるから、もう帰ろう」
そんなんじゃないけど。
でも。
ふわふわとして、幸せな気分。
すごく久しぶりに、すごく幸せな気分。
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