第21話 Je bent lief③



 「はじまめして、タカヒロです。どうぞよろしくね?」


 話題の生け花王子がやってきた。彼は2週間、うちのホテルに滞在する。



 テレビや雑誌でちらりと見たことはあったけれど、生け花の家元とというよりは男性ファッション誌のプロのモデルみたいに見える。


 背が高くて痩せていてなんて言うか、全身から気品を感じる。いい家柄のお坊ちゃまに見える。エトも背が高いけれど、彼も日本人にしては背が高い。


 池端いけのはた流家元、橘香比呂たちばなたかひろ




「あぁ、ええと……どうお呼びしましょうか……?」


 生け花の家元の知り合いなんていない私が少し躊躇すると、彼は気さくに笑って言った。


「タカヒロでいいですよ。あ、敬語なしにしよ? エリカちゃんでしょ? エトが最近やたら話題にして……いてっ!」


 ばしっ、とエトが彼の背中を平手でたたいた。タカヒロはむせて咳込む。


「あ……はは。2週間、よろしくね!」


  彼は運河に面した4階の部屋に荷物を入れた。



「ロビーの花、あれエトが活けたんでしょ」


 2階のリビング。荷物を置いて降りて来てすぐにタカヒロが言った。


「そうだよ」


 エトはコーヒーを淹れながらうなずいた。


「きみらしい感じが出てるね。ねぇ、エリカちゃん、すごくセンスいいでしょ?」


 私は笑顔でうなずいた。


「そうね。洗練されているのに自然な感じで嫌味がなくて、素直にキレイ」


「おお! わかる? だよね!」


 江戸末期からの由緒正しい流派の家元とは思えない、気さくな感じ。



「僕はこいつのセンスに惚れこんだんだ」


「わかる気がする」


「でしょ? 幼い頃からいろいろと学んできた僕でも思いつかない発想と創造力。素人でも専門家でも、彼の作品には一目で魅了されるんだよね」


「京都で展覧会があったんでしょう?」


「うん。大きなホテルの大広間でね。うちの流派に違和感のない、かつ新しいスタイルの作品が大絶賛だったよ」




 ほら、とタカヒロは自分のスマホの画像を見せてくれた。


 覗き込んだ私は思わず目元が緩む。


「これでしょ?」


 指で差し示すと、タカヒロはひゅうとっ口笛を吹いた。


「すごいね。すぐわかるんだ」


「わかる。エトってかんじ」



 ね? と同意を求めてエトを見る。そして私ははっと息をのむ。


 エトはすごく驚いたみたいに固まったまま私を見ている。


 それはほんの一秒か二秒か……そのくらいだったと思う。


 タカヒロはそのわずかの間に私とエトを交互に一瞥して、そして微かに口元を引き上げて私に笑んだ。


 なぜ? よくわからなかったけど、彼は微かに頷いてエトに言った。



「日本にきみを引き留めたかったけど。合縁奇縁とはよく言ったものだな」


「あいえんきえん?」


 私とエトは同時に首をかしげた。タカヒロは軽く笑い飛ばした。



「何か国語も話せるきみたちにはちょっと難しいかな。日本生まれの日本育ちの同じ年代の奴らでもよくわからな言葉だからね。今、漢字で思い浮かばないだろう?」


 彼は何が嬉しいのか、くすくすと笑いながら今度はエトのほうを向いて言った。


「いい傾向だろう。きみにとっても。もう肩の荷を下ろしてもいいと思うよ」



 エトは一瞬だけ薄い茶水晶のような瞳を見開いてからふ、と淡い苦笑を浮かべた。少し悲しそうに見えたのは気のせいだろうか?


 透き通る薄茶色の瞳の中の、薄いグレーの翳り。


 彼らだけが知る、私の知らない何か。


 カタノニヲオロシテモイイトオモウヨ。


 


 その夜、部屋に戻った私は、タカヒロが言った言葉をネットで調べてみた。


 合縁奇縁。


 気が合うも合わないもめぐり合わせも、すべては因縁で決められているからという、仏教の考え方。


 PCの前から離れ、ベッドに横たわってなんとなく考える。


 体を反転させて体制を変えたとき、ティーテーブルの上の鉢植えが目に入った。




 白いエリカの花。


『幸福』


『幸せな愛』




 目を閉じて、私はそっとため息をついた。

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