第20話 Je bent lief②



「ねぇ、エリック。わかってくれる? 僕はきみが笑っているのを見るのがとても嬉しいんだ。ゾエも同じだよ」


 レヴィは私がレセプションにいるときに、お茶を持ってきてくれてそう言った。宿泊客が、まったく現れない暇な時間帯。


「別にきみとエトをくっつけようとしているわけじゃない。でもね、あんないいやつはそうそういない。僕はきみの周りにはいいやつを置きたい。ただそれだけなんだ」




 アールグレイの香りが漂う静かな午後。


「うん、わかってるよ、リーヴァイ」


 私は笑みを浮かべてうなずいた。


「エトは、植物みたいな人だよね」


 私の言葉にレヴィは大きく目を見開いた。


「ああ、うん! なんかわかる。華があるけど押しつけがましさとか毒々しさがなくて、そこにいてくれるとほっとする感じ」




 そう。


 エトは不思議な人。



 ほんのひと月前に初めて会ったのに、もういつからなのかわからないくらい昔からずっと知っているような。 


 口数は決して多くはないし、自分のことはほとんど話さない。私も自分のことは話さないほうだけど、何も話さないでいても気まずさも焦りも感じない。話していても、話さないでいても。彼と一緒にいるとなんだかほっとする。



 アールスメールの市場に初めて一緒に行って以来、ホテルの仕事の合間に私はエトの仕入れの手伝いをしている。


 花に関するいろいろなことを教えてもらい、少しずつ詳しくなってきた。


 私の部屋の壁にはあの日の新種のバラがドライフラワーとなって掛けてある。


 淡いピンクの花びらはセピア色になってしまったけれど……



 Je bent lief.きみは優しい



 その名前を思い出すたびに、どこかふわふわした不安定な気持ちになる。


 引き裂かれてぼろきれのように劣化した心に音もなく降り積もる、淡いピンクの花びら。甘い香りをほのかに放ち、はらはらと降り積もって傷あとを隠してゆく。


 


 エトのアトリエの温室で時々お茶をするのも、心地の良い習慣のひとつとなっていた。ホテルで働いているとき以外はたいてい、エトのアトリエにいることが多くなっていた。


 それはエトが二人の従業員を雇って人手が足りるようになってからも続いた。



「この花、知ってるよね?」


 ある日の午後、エトが鉢植えの濃いピンクの細かい花を指して私に訊いた。


 私はふんと鼻で笑って答える。


「もちろん。エリカでしょ?」


「そう、きみと同じ名前。花言葉は知ってる?」


「知ってる。あまりいいものじゃないよね。『孤独』とか『裏切り』でしょ? 知った時、どんなにがっかりしたかわかる?」


 私が肩をすくめると、エトはふ、と笑んでとっておきの秘密でも話すみたいに声を潜めた。



「同じ花でも、色によって花言葉は違うんだよ」


「バラとかチューリップみたいに?」


「そうだよ。エリカにもいくつか種類があるよね。荒野に咲いているから、寂しさや静寂、孤独なんてイメージなんだろうけど……」


「でも私の名前は花からとったんじゃないの。スウェーデン人だったおばあちゃんの名前から付けたって、そう聞いたのよ」


「ああ、はいはい。そんなにがっかりしないで。ほら、これ」



 肩を落とす私にエトは小さな子供をあやすように苦笑交じりに言って、床の上から一つの小さな鉢をテーブルの上に置いた。


 白くて小さな花がたくさんついている。


「これはスズランエリカ」


「これもエリカ?」


「うん。白いエリカ。ほかにも何種類か、白いエリカがあるんだけど。白いエリカの花言葉は、『幸福』とか、『幸せな愛』なんだよ」


 私は好奇心に目を見開いた。小さなスズランのような可憐な白い花がたくさん咲いている鉢植え。葉っぱを見ると見慣れたピンクのエリカのそれとよく似ている。


「そんないい意味もあったのね……」


 感心するとエトは嬉しそうに、小さな少年のように得意げに笑った。


「これ、あげるよ。こんなふうにたくさんの小さな幸福が集まって、大きな幸福になるといいね」


 

 とくん。



 小さな息苦しさに、私の心臓が驚いた。


 

 Je bent lief.


 You are sweet.



 アレグロ・ヴィヴァーチェ。


 私の鼓動は、速さを増してゆく。




















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