第18話 ゆらぎ④
「仕方がない、で済ませようとしていたの? このまま私には何も言わないで、来年になったら『日本に行くから別れよう』って言うつもりだったの?」
そんな調子なら、彼は日本に行く理由もろくに言わないつもりだったかもしれない。
それならそれで、私は騙されていたことも永久に気づかなかったかもしれないけど……それまでのどこかのタイミングで、やっぱり知ることになっていたかもしれない。
どうなるにしても、都合がよすぎるでしょう?
イザークは少し驚いたように青い瞳を見開いた。罪悪感などかけらもない、悲し気な様子で。
「その時になってみないと、別れようって言うか言わないかわからない」
「ええ? 結婚してもそれを言わずに私と遠距離の関係を続けようとでも思ってたわけ?」
「そのうち……言おうとは思ってた」
「……」
もう、話しても無駄だと思った。
きっと話は通じない。
私は席を立った。
「いいわ。もう何も話すことはない、よね? 今後私からは連絡しないし、あなたからも連絡しないで」
「エリカ? まだ話は……」
イザークが何か言いかけていたけれど、私は構わず速足でカフェを出た。
私が彼に浮気されたわけではなかった。
むしろ私が、彼の浮気相手だった。
少なくとも……彼の婚約者や事情をよく知らない人たちにとってはそれが事実。
その翌日から、彼はあちこちに婚約者を連れて出没した。私が教えた私のお気に入りのお店やカフェにまで。私に知れて、気が楽になったかのように。
何だろう? 私にばれたことで解禁とでも思ったのか?
来年、日本に行って彼女と結婚すると言いふらして、私のことなんてまるで覚えてもいないように。
今日はどこに現れたのか、周りの友人や知人から噂を耳にするたびに、ドロドロの汚い
そんなことが平気でできるなんて、彼は私への罪悪感は全くないのだろう。
日本に戻るまでの、ほんの数か月だけの軽い付き合い。
私のことはその程度に……彼はそう思っていた、ただそれだけ。
私が何かいけなかったのだろうか?
イザークが好きだと言ってきた時に、断ればよかったのだろうか?
レイナがやめておくように言った時に、言うことを聞いていればこんな嫌な目に遭わずに済んでいただろうか?
それからしばらくの間は悲しかったり悔しかったり、いろいろな感情がごちゃ混ぜになって昼夜私を苦しめたけれど、時間が立てばそういうもやもやした後悔は次第に薄れていくだろうと思って耐えていた。
時間が解決してくれるだろうって。
婚約者のいる男に弄ばれた馬鹿な自分を、いつかは笑えるようになるだろうと。
その頃の私はイザークに未練があったというよりも、彼への嫌悪感が勝っていたと思う。もう二度と、会いたくなかった。偶然に会ってしまったとしても、知らないふりをすると決めていた。
彼が婚約者と我が物顔で私のなじみの場所に顔を出すのに出くわしたくなかったので、私は予定よりも早くクリスマス休暇で日本に帰国した。
それで私はひどい男にだまされたことを忘れていけるだろうと思っていた。
それなのに……
帰国中のある夜に、知らない番号から着信があった。
「31」で始まる、オランダの電話番号。
まったく身に覚えのない番号だったから、折り返すことはせずにそのままにした。
それは休暇を終えて私が再びアムステルダムへ戻ってからも度々続いた。
たぶん何かのセールスの電話だろうと、あまり気にも留めずにいた。何か重要な用件があれば、メッセージでも残すはずだから。
嫌な予感がし始めたのは、その着信が夜中や明け方にも残されていることに気づいたからだった。
もしかして……
いえ、そんなことはない。まるでこの世のすべてに祝福されているかのように浮かれてあちこちに顔を出していると、友人たちが言っていたから。
もうすぐ結婚する。結婚後はずっと、日本で暮らす。婚約者の父親の会社で働くらしいって、誰かが言っていたから。
でも……
ある雪のちらつく午後。
日が落ちて暗くなりかけた図書館の正面玄関の階段の下で、彼が私を待っていた。
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