第17話 ゆらぎ③
そう。
その真実は、私を深く深く傷つけた。
話していた途中で私が電話を切って、イザークからの着信をすべて無視した日から三日。
話がしたいと言うメッセージが届いた。
嫌な予感しかしなかったけれど、私はそれに応じた。
人の気持ちなんて、しばりつけることはできない。彼のことは好きだったけれど、彼がもう私を好きではないと言うならば、仕方がないから離れようと思い始めていた。
あれは日本から遊びに来た昔の友達なんだと会った時に言ったとしても、何も教えてくれなかったことへの不信感はぬぐいきれない。
どのみち、もう私たちは元には戻れない。そう確信していた。
国立美術館の近くの、閑静なカフェ。
先に来てぼんやりと窓の外を眺めていたイザークの表情からは、何を考えているのかわからなかった。
罪悪感も焦燥感も感じない、ただぼんやりとしたその横顔。
「婚約者が、日本から来たんだ」
その一言を聞いたとき、私は言葉を失ってただ驚いた目でイザークを凝視した。
意味が分からなかった。
婚約者がいたなんて、聞いていない。いいえ、婚約者がいるのに、私に好きだと言ったの?
その言葉に対して、私は何を言うべき?
「は?」か、「婚約者って?」か。
それとも激怒して彼を罵倒して、彼めがけてコーヒーをぶちまけるべき?
実際の私は……そのどれでもなかった。
そのどれも……思いつきもしなかった。
ただ、頭の中が真っ白で、混乱していただけ。
「——エリカ?」
イザークはテーブルの向こうからそっと私の名を呼んだ。それがどういう意図だったかは、私には全く理解できなかった。
私は彼の肩越しに、やわらかな黄色の壁に架けられたゴッホのレプリカのひまわりの絵をぼんやりと見つめていた。
本当に、何を言ったらいいのかどう反応したらいいのかよくわからなかった。
あまりにも、非現実的で。
まるで自分のこととは無関係のような。
「エリ—―……」
私の顔を覗き込みながら、イザークはテーブルの上で握り締めていた私の手にそっと触れようとした。
「……っ」
彼の冷たい指先が触れるほんの少し前に、私はびくりと身を縮めて手を引っ込めた。
「ごめん。すまないと思ってる。来年俺が日本に戻って、それから結婚する予定だったから、今彼女がこっちに来たのは予想外で……」
ひゅ、と私は驚きを飲み込んだ。
このひと、何を言ってるの?
結婚する予定なのに、どうして私と付き合ったの?
「来年になったら……勝手にさよならしていなくなるつもりだったってこと?」
一体、私がどんな悪いことをしたんだろう? どうして、こんな悪い人に出会ってしまったんだろう?
イザークは私の驚きのつぶやきに苦笑を漏らした。
「勝手に、じゃない。その時が来たら、ちゃんと言うつもりだった」
私は困惑の苦笑を漏らした。
「はは……つまり、結婚するまでの暇つぶしに、私と付き合ってるわけね」
イザークは深いため息をついて首を横に振った。
「はぁ……そんなこと考えたこともないけど」
「どうして」
怒りよりもはるかに、失望が大きかった。彼は、私を騙していた。私だけを好きなふりをして、別の人と結婚するつもりでいたのだ。
「どうして、黙っていたの? いえ、どうして、結婚相手がいるのに、私に好きだって言ったの?」
「好きだからだよ。仕方ないじゃないか。きみのこと、好きになったのは」
「でも、結婚するんでしょう? その彼女にも、悪いと思わないの?」
「だから。結婚することは仕方ないし、俺が変えられることでもないんだ。それにきみに会ったことだって、どうしようもないことだったし」
意味が分からない。
つまり彼には、なんの悪気もないということ。
私は困惑したまま皮肉な口調で言った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます