第16話 ゆらぎ②



 ヨハンナの友達の話によると、港のショッピング街を歩いていた二人は、ただの知り合いや友達という感じではなかったらしい。手をつないで、寄り添って歩いていたって。


「あなたじゃないなって……思ったの。すごく小柄な子だったっていうから」



 誰なんだろう?


 誰にせよ、彼の知り合いや友達に当てはまりそうな人は思いつかない。


 申し訳なさそうなヨハンナと別れてからイザークに電話をしてみたけれど、出なかった。メッセージを送っても、その日は既読にさえならなかった。




 どろりと、ヘドロのようなみにくい不安が心の中にあふれ出てくる。




 そういえば、ここ数日の彼は少し変だった。気のせいだと思ったけれど……


 一緒にいても話しかけても上の空で、心ここにあらずな様子だった。



 それが、その一緒にいたというひととなにかかかわりがあるのかしら?


 ほんの数か月の付き合いではではあるけれど、もし私と別れてそのひとと付き合いたいなら、まずはそれを私に話すべきじゃないの?


 


「エリカ、すぐに連絡できなくてごめん」


 着歴とメッセージを残して二日後、イザークから電話が来た。


 私はすぐに言葉が出なくて、水から上がった魚みたいに口をパクパクさせた。


「ちょっと、おばあちゃんの調子が悪くてさ。日曜から様子を見に行ってたんだ」


 

 私が悪いことをしたわけではないのに、私の心臓は一気に凍りついたみたいにひやりとした。うそ。彼は、うそをついている。


「おばあちゃんて……ハールレムの?」


 平静を装いすぎて少し上ずった声だったけれど、イザークは気づいていないみたいだった。彼の祖母の家は、電車とバスを乗り継いで2時間半はかかる別の都市に住んでいる。



「うん、そうだよ」


「じゃあ、ずっとアムステルダムには……いなかったの?」


「うん」


「……」


 それじゃ、三日前に港のショッピング街にいたはずはないよね。そう言いたかったのに、言葉が喉に引っかかって出てこなかった。


「どうしたの? なんか、変じゃない?」


 やっと彼は私の様子がおかしいことに気が付いた。私は微かに苦笑した。



「ちょっと。頭が、痛くて」


「大丈夫? 薬飲んだ?」


「うん……それで、帰ってきたの?」


 一瞬、迷ったような間が空いた。そして彼は言った。


「ああ、うん、まぁね」



 そんな答えには何てつなげる? 何か不都合でもあるような曖昧な言葉。


 私はこげの塊を食べたような気分になった。


「……あの」


「なに?」


「頭が……痛いから、もう切るね」


「あ、ああ、わかった。じゃぁ——」



 イザークは、何かを言いかけた。その時、私は電話の向こうの誰かの声に息をのんだ。それは若い女性の声で……しかも、日本語だった。




「誰?」




 そう、聞こえた。日本語。


 そしてそのあとのイザークの答えに、さらに私は体温を奪われて固まった。


「えっ? ああ。友達」



 ぞわっと全身に鳥肌が立って、私は急いで通話を終わらせた。


 すぐに電話が鳴る。


 ずっと鳴り続ける。


 あまりのおぞましさに、私はスマホをソファに放り投げる。


 それは切れては鳴ってを数分間繰り返し、そしてやがて死んだように静かになった。



 スマホの上にクッションをかぶせ、私はそっと部屋を出た。


 本当に頭痛がしてきた。


 私は急いでレイナの家に向かった。




「まだ付き合いが浅いんだから、今からでももうやめておきなさい」


 レイナは断固とした口調で言った。


「たった数か月で浮気するような奴なんだよ、あの男は!」


 今日彼女も別の知り合いから、イザークが小柄なアジア系の女性とレストランにいた話を聞いたと言った。


「あいつ、ハールレムに行ってなんていないって。昨日はライツェ広場当たりのクラブで見かけたって子たちがいたんだから。しかも、やっぱり小柄で地味で顔が平らの日本人を連れてたって」


「日本にいたときの友達が、遊びに来たとか……?」


「それならあなたにひとことあってもいいじゃない? やましいことがないならね?」



 浮気だ、とレイナは憤慨した。



 思っていた印象と違ったならば、なぜそれを伝えて私のもとを去らずに、他の子と会うのだろう?


 私の考えていたのは、せいぜいそんなことだった。



 だから本当のことを知った時、私は自分が思っていた以上に取り乱して、とても深く傷ついてしまったのかもしれない。




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