第15話 ゆらぎ①




 私がアムステルダムに来てひと月近くが過ぎた。


 もっと日本からのお客様を増やしたいというレヴィの希望を受けて、SNSやホテルサイトの管理画面を担当している。


 それにチェックインや予約受付などのレセプションの仕事や、リネンの業者管理も手伝っている。


 祖父が経営していたころとは雰囲気も内装も変わったけれど、レヴィとゾエのスタイルは嫌いじゃない。老舗っぽい雰囲気にレトロな雰囲気にモダンな様式を織り交ぜて、なかなか素敵なプチホテル風になっている。


 曽祖父の「心の心地よさヘゼリヒ」のコンセプトはちゃんと受け継いでいて、すごく居心地がいい。




 毎日のいろいろなハプニングを楽しそうに話すカメラ通話での私の様子を見て、両親や兄や妹は安心したみたい。


 無理もない。5年前、ここを去って逃げるように日本に戻った時の私はボロボロだったから。


 




 あの日。


 羽田の到着ロビーには、兄と妹が私を待っていた。


 二人は食が細くなってやせ細った病的な私を見るなり、とても悲しそうなやるせない表情になった。


 そのまま何も言わずに、兄は私のバッグを持ち、妹は私の肩をそっと抱いた。私は 二人に連れられて車に乗り、兄のマンションに向かった。



 空港からの帰り道、二人は私に何も訊かなかった。すでに私のことは、レヴィから聞いていたに違いない。壊れた人形のように後部座席に座る憔悴しきった私を、妹はずっと抱きしめていた。



 私たちは横浜の兄のマンションに到着した。


 当時両親は父の仕事の都合でワシントンDCにいたから、まだ高校生だった妹は兄のマンションで一緒に暮らしていた。そして急遽帰国した私も、お世話になることになった。


 二人は私の部屋を用意しておいてくれた。



 ふかふかのベッドに倒れこみ、疲労困憊した体を投げ出してひたすら眠った。目が覚めたら、悪い夢を見ていたと思いたかった。大学は休学してしまったし、まさかこんなことで中途半端に帰ることになるとは、思いもよらなかった。


 多失恋しただけというよりは、騙されて悪者にされてひどい人間不信に陥っていた。



 帰国して3週間ほど、私はほとんどを部屋で過ごしていた。兄も妹も慰めさえも言わず、そっとしておいてくれた。憔悴しきった私にご飯を食べさせて、時々は外に連れ出して散歩させて。


 私はどんどん薄れゆく悲しみから解放されて、時々ぶり返す津波のような苦しさに押しつぶされそうになりつつも、少しずつ正気を取り戻していった。





          ✣✣­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–­­–✣✣




「ねぇ、エリカ。あいつと別れた?」


 ある日、同じカフェで働いていたヨハンナが中央図書館で偶然会った時に、声を潜めてそう訊いてきた。


「えっ?」


 あまりにも唐突な質問だったので、私は驚きで目を丸くした。訊いてきた彼女に悪意は見えなかった。


 付き合い始めて半年が経ったころ。イザークから告白されて始まったけれど、そのころには私も彼のことがすごく好きになっていた。どこに行くにも一緒で、私たちは順調だと……私は信じて疑わなかったころ。


「昨日友達から聞いたんだけど。あいつが、すごく小柄なアジア系の女の子といちゃつきながらショッピング街を歩いているのを見かけたんですって」


 耳を疑った。


 小柄な? それなら、私じゃない。


 昨日? 昨日は会わなかったけれど……それに誰かと出かけるなんて、特別聞いてなかったし……




「見……間違い、とかじゃなくて?」


 私の声に動揺が混じったのを感じ取ってヨハンナははっと息をのみ、すまなそうな表情をしてうろたえた。


「あっ、いや、私、そういうんじゃなくて。ご、ごめん、その、あなたもやっと、気づいたんだと思ったから……」



 私がイザークとつき合うことにしたとき。レイナはもちろん、ヨハンナも有無を言わさず猛反対した。



「あんなやつはダメだよ。いいうわさ聞かないんだから。あの男は目的のためなら、手段を選ばないんだから」


 目的?


 手段?


 その時ヨハンナは「目的」についても「手段」についても詳しくは教えてくれなかったけれど……


 去りかけた彼女の腕を離さずに引き留めると、図書館の庭のベンチに座って、彼女は渋々と話してくれた。



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