第11話 Gezelling①



 夕食の後、ダイニングテーブルでエトが新しい花瓶に花を活け始めた。


 私は椅子に座り、流れるような彼の見事な手さばきを見ている。


 レヴィは食器のあと片付けを終え、夜勤の従業員の休憩のためにレセプションに降りて行った。ゾエは早朝勤務のために早めに休んだ。




「たぶんきみも同じかなと思うんだけど」


 彼は花を生けながら柔らかく笑んだ。


「僕の名前は、どっちでもいいようにつけられたんだ」



 それは「エト」はオランダ語の名前なのかという、私の質問への答えだった。


「父にとってなじみのある発音で、日本語的にも違和感のない名前、ということで母が考えたらしい」


 彼の父親はユトレヒトの出身で、母親は神戸の出身。二人とも留学先だったバンクーバーで出会ったという。


「そうね、私の名前も同じ。漢字はある?」


「うん、ある。彗星の彗の下に心、と音で慧音エト。きみは?」


「ないの。カタカナでエリカ。兄と妹には漢字があるのに、私だけどうしてないのって、よく両親に怒ってた」


 私たちはくすくすと笑う。



 オレンジ色や黄色のチューリップがはんなりと香る。長い指がハサミで茎を切りそろえて、バランスよく花瓶に花を挿してゆく流麗な動きに見とれてしまう。


「すてきね」


 つい独り言のように漏れた言葉に、エトははにかんだ笑みを見せる。


「一応、プロだから」


「プロ?」


「僕は花屋なんだ。といっても、今は自分の店がない。つい半年前まではパリの花屋にいたんだけど」


「あー。そう言えば昨日レヴィがアトリエがどうとか言ってたわ」


「うん。開業したばかり」


ダムスコここで開業?」


「そのために戻ってきたんだ。きみもじゃないの? レヴィが言ってた」


「私は……そんな立派なものじゃないけど。レヴィがこのホテルを一緒にやらないかって誘ってくれたから。それまでは日本で兄の家具輸入の会社の事務員だったから」


「でも、学生の時はホテル経営学を専攻していたんでしょ? レヴィがいつも自慢してたよ」


「はは……レヴィったら」



 親ばかはよくいるけれど、従兄ばかもいるの。私はエトの花を扱う手先を見つめたまま苦笑して話題を変えた。


「それにしても本当にすてきね。フラワーアレンジメントには詳しくないけど、本当にただただすてきだわ」


「気に入ってもらえてうれしいよ。これからも見てもらうことになるから」


「これからも?」


「手始めに、このホテルとの専属契約をレヴィと結んだんだ。このホテルにある花は、僕が活けるんだよ」



 彼は茶色く透き通った瞳を優しく細めた。なぜかわからないけど、その笑顔を見ると緑深いガラスの温室の中にいるような穏やかな気持ちになる。



「レヴィとはいつ知り合ったの?」


「一年前くらいにパリから下見に来て、このホテルに泊まって以来かな。このホテルに一目ぼれしたって言ったら、すごく感激してくれて」


 その時のことを思い出して、エトはぷはっと吹き出す。レヴィの喜びようが安易に想像できて私も笑ってしまう。


「日本での開業は考えなかったの?」


「留学してた時にいくつかそういう話をもらったけど、こっちのほうが魅力的だったから。日本の友達とも共同で事業をすることにもなったけど、僕の拠点はこっち」


「ああ、だから京都に出張って?」


「そう。池端流って知ってる? 室町時代から続く生け花の流派なんだけど」


「もちろん、聞いたことはある」


「そこの家元が留学時代の友達なんだ。香比呂タカヒロっていうんだけど、TVや雑誌にも出てるって」


「ええ? すごく有名な人だよね……」


 女性誌でもよく見かける、気品ある容貌と卓越したセンスと経営手腕が話題の生け花王子だ。


「彼に呼ばれて、生け花とのコラボ作品を京都で出展したんだ」


「そうだったの?」


「うん。おかげでいろいろと勉強にもなった」




 少しうつむいてふと笑んだエトの横顔に、私はちょっとした寂しさを感じた。




 なんだろう?


 何かを諦めたような、物憂げな寂しさ。


 ほんの一瞬だけ浮かび上がってすぐに消えた。




 彼は花瓶に生けた花をいろいろな角度からじっと眺め、それから私に笑顔を向けた。














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