第2話 決意②




 5年前。



 私はアムステルダムにいた。


 大学でホテル経営学を学んで、祖父の小さなホテルで時々バイトをしていた。




 美しい旧市街地の運河の街。


 世界中から訪れる観光客。



 自然の光に満ちた昼も人工の光にあふれた夜も、いつも美しい石畳の街。


 音楽と芸術と、花々に満ち溢れたところ。




 



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 手にした搭乗券に視線を落として、ゲートを確認する。


 手荷物は肩に掛けたA3サイズの黒いトートバッグ。



 5年前は……逃げるように飛行機に飛び乗って帰国したから、置いてきた荷物は従兄が祖父母の家に保管してくれてあるらしい。


「こっちに来たら、要るものと要らないものに分別してくれたらいいよ」と従兄のレヴィが言っていた。


 だからカウンターで預けた荷物も、Lサイズのスーツケースがひとつだけ。


 これから本格的に春が来て、夏になるから……荷物はかさばらない。



 それに、秋冬物は置いてきた荷物の中からまだ着られそうなものだけ見繕って、あとは向こうで買えばいい。




 ゲートまでの通りすがりの売店で、ミネラルウォーター一本と離着陸時の耳抜き用にアップルミントのガムを買った。





 指定された搭乗ゲートまでのんびり歩いてくると、搭乗1時間前なのに待合の椅子は半分ほど埋まっていた。


 朝が早いからなのか、眠そうな人や寝ている人も何人かいる。


 比較的人がいない、後方の窓際の椅子に座った。


 そしてそこから離着陸する飛行機の尾翼についた、様々なエアラインのロゴをぼんやりと見つめる。



 ガイドブックを手に、わくわくしながら旅行に行く人たち、来た人たち。


 不安な気持ちと期待を込めて留学に行く人たち、来た人たち。


 家族に会いに行く人たち、来た人たち。


 幸せな気持ち、悲しい気持ち、さまざまな気持ちを乗せて飛び立ち、着陸する多くの旅客機。




 私はなんとなく、5年間に逃げるように帰国した時のことを思い出していた。







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 アムステルダムには鉛色の雲が低く立ち込めていて、空港に着くころには小雪がちらつき始めていた。




 見送りは、たったひとり従兄のレヴィだけ。



 彼は私の兄より二つ年上で、私たちの母の兄の息子だ。


「……待ってるよ」


 彼は大きなヘーゼル色の瞳を真っ赤に充血させ、涙で潤ませながらそう言った。2m近い身長のクマみたいな大男が、小さな子供のように悲しんでいた。


 私は大きな従兄の大きな手を取って、力なくぼそぼそと言った。


「ありがと、レヴィ。おじいちゃんとおばあちゃんによろしくね。ゾエにも。ほんとに……急で、ごめんね?」





 ただただ、悲しかった。


 消えて無くなりたかった。


 眠れない夜が続いて、精神も心も体も限界だった。


 ただもう、逃げ出したかった。






 あの頃の私は、未熟だったのかな。


 それとも、苦しすぎて逃げることしか考えていなかったのかな。


 どちらにせよ、あんなに好きだったアムステルダムには、もういたくなかったのは確かだった。



 今はあの生々しい苦しさは苦い記憶でしかないけれど、当時は何日も食事できないほど苦しんだ。


 だから私は、すべてを捨てて逃げ出したのだ。


 小雪舞う、あの寒い日に。







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