果てなる星の惑い人

TSペルペト

第1話


《こんにちは。こんにちは。聞こえますか、地球》


《こちら地球管制、エンタングルメント良好。そっちの調子はどうだい、生き残り》


《銀河外縁部で変わった文明を管理中、なかなか楽しいですよ。そちらは?》


《世は全て事もなし、いつも通りの墓守さ。ああ、でも、さっき少し面白いものを見たな》


《面白いもの?》


《西暦時代の南極観測隊が残したものだろうな、タイムカプセルだ。劣化でボロボロだったが、辛うじてメッセージを読み取れた。聞くか?》


《是非》


《我ら、この美しき永久凍土に希望を託す。千年後の人々よ、どうか壮健であれ――だ、そうだ》


《それは……》


《不思議なもんだな。千年も経たないうちに人類なんて滅んじまったくせに、その末裔みたいな俺たちが、こうして人類やめながらも生きてるってのは》


《……彼らの願いは、果たされたと思いますか?》


《さあ、な。……さて、交信時間いっぱいだ。また十年後に。通信終了》


《……ええ、話せてよかったです。では、また十年後に。通信終了》



 太陽系との量子リンクが切断されるのと同時に、肉体に現実感が戻ってくる。

 甲高い鳥の鳴き声、雲の切れ間から差し込む陽の光、全身を包む標準重力の圧に、通信前に飲み干したコーヒーの香り。感覚する。生命が生命たる所以を。

 木製の大きな執務机の隅には、丸い文字盤の置き時計がある。見た目はアンティーク趣味だが、時刻表示は疑似実体ホログラフに過ぎないそれには、『統一標準歴4883年/旧西暦28513年』と表示があった。

 使われもしない暦を忘れずにいるのは、我ながら未練だとは思うけれど。


「――それでも、記憶することに価値はあると信じたいですね」


 独り言を口にして、私は席を立った。体に沿って構成された座面は軋み一つなく身を送り出し、邪魔にならないよう肩に掛けていた長い金髪が、ふわりと広がるのを感じる。

 発せられる言葉は小さく、高い。自画自賛を恥じずに言うなれば、可憐という概念を音声化したような、少女らしさの理想的な体現が果たされていた。これが私のものでなければ、或いは聴き惚れていたかもしれない。しかし、現実は往々にして非情なものであって、私はそこまで自己陶酔的な人間ではなかった。

 何よりも、慣れるものだ。容姿にも、声にも、世界でさえ。


 ――ふと、意識の外から呼びかける声があった。


《どうしましたか?》

《迎えの馬車が到着しました。準備がよろしければ、下までご足労願います》

《わかりました。行きましょう》


 初歩的なダークマター感応・共鳴作用を利用した、四次元時空に対する限定された俯瞰的観測と再定義の手法。即ち、この惑星に存在する主要文明において、概ね『魔法技術』と称される原始的テクノロジー――彼らの多くは、今でもこれを神秘の術だと考えているが――に基づく遠隔通信手段を用いて、呼び出しが掛かった。

 予定通りの時刻だ。私は自室に機密保持用の概念偽装遮蔽膜を展開すると、統一連邦軍制式の第二種礼装を現地文化風に改造した着衣に、暗灰色の軍用外套を羽織り、玄関ホールへ向かった。


 ホールに控えた小型警護戦闘体に外出の旨を情報転送すれば、両開きの玄関ドアに張られた不可視の汎用シールドが消失し、扉がサイドに引き込まれる。その先には、この惑星に赴任してからというもの、見慣れた光景があった。

 馬に比較的類似した形状の大型爬虫類が四頭立てで牽引する『馬車』と、護衛するように整列する白銀の全身甲冑の騎士たち。まるで、かつて思い描いた古典的ファンタジーそのものの光景が繰り広げられている。

 だが、何度も見ていれば、感動が薄れるのも事実だ。私は顔なじみの護衛部隊指揮官に目を向け、言葉を交わす。


「ご苦労さまです、エルメシャン。今日も頼みますね」

「はっ! お任せ下さい、総督星下せいか


 エルメシャンという名の中年の騎士は、軍人斯く在るべしというような模範的な所作で敬礼をすると、私が馬車へ乗り込むのに合わせて騎乗した。一糸乱れぬ動きはまさしく儀仗隊のそれだが、見掛け倒しではない実力を備えていることは理解している。

 もっとも、護衛が、更に言うなれば、こうした物理的な移動が必要なのかと問われれば、ほとんど無意味なのだが――彼らの外交的・文化的な体面を尊重して、ありがたく受け取ることにしている。


 間を置かず馬車が揺れて、景色が走り始める。

 かつてエルキス王国と称された、この惑星で最も発展していた国家の王都が置かれていた壮麗な市街には、今では黒と青の二色に白抜きで流星が描かれた旗が翻っている。統一連邦の中央議会での正式承認を経て自治行政区に交付されたそれは、惑星リーダフェロンⅢの統一政体『リーダフェロンⅢ統合自治国』の国旗だった。

 名目上は統合自治国元首の統治下にあるものの、実際はリーダフェロン星系総督としての私の影響下にある、いわゆる傀儡国家。実際は、彼らが国家を自称しているだけの、自治を認められた一行政区。

 ともあれ――私はこれから、政庁で月に一度開かれる『自治評議会』へ定例参加することになっていた。


「……」


 馬車の座席に目をやれば、白い封筒が目につく。私は紙媒体の資料を取り出すと、無言で目を通し始めた。

 内容はどうということもない。どこそこで大規模食糧増産計画が進んでいるだとか、大型の海洋魔獣が定期航路の邪魔になっているので討伐する必要があるだとか、現地民だけで解決できる議題ばかりだ。

 ただ、一つだけ気に掛かる点があるとすれば。


「アロメシア大陸北端で、新たなミスリル鉱脈を発見……」


 『ミスリル』――或いは『白銀鉱』とも呼ばれるそれは、この星の文明全般で、として珍重されていた。また、そうした実用上の価値のみならず、発掘以外には入手する方法がない神造物質・聖遺物として最大宗教『ミセリア神教』の崇拝対象ともなっており、いずれにせよ、極めて重要な発見と言っていい。

 しかも、問題はそれだけではない。このミスリル――正式名称を『低純度固体化インフラトン様物質』――は、複数の銀河系に展開する巨大星間文明『統一連邦』においてさえ重要な戦略的資源として扱われている、第一級の高付加価値生産物なのだ。

 立地上、さしたる戦略的意味を持つ訳でもない星系に、恒星間航行が出来る程度の技術力も持たない単一惑星文明に、こうして自治権が認められ、わざわざ星系総督まで――しかも、を――派遣されているのは、ひとえにこのミスリル鉱脈の存在が原因だった。


「どうしたものか……」


 この報告が事実だった場合、立場上、確実に接収する必要がある。しかし、反発を招くことは必至と思われた。

 無論、上位権限を盾に無視してしまっても構わないのだが、連邦政府の方針としても現地勢力との一定の調和は推奨されているし、個人的な感覚からしても一方的な収奪は好ましくない。周辺一帯を星系総督府直轄領として獲得する見返りに、それなりの対価を提示する必要はあるだろう。

 大通りを抜けて旧王宮地区へ馬車が向かう間、私は出席する各勢力の代表者達の人格分析を比較しながら、の基準を検討し続けていた。



   ---



 結論から言えば、会議の流れは事前想定の通りだった。

 リーダフェロンⅢの各地から直接、或いは遠隔で参加した数百名の代表者達は、幾度かの休憩を挟みつつも盛んに議論を戦わせていたが、私はその間、傍観に徹していた。

 統一連邦の版図は広大であり、全てを直接統治することは煩雑に過ぎる。よって、それぞれの連邦管区なり自治区なりに与えられる権限は比較的大きく、特に惑星単位での行政に関しては広範な裁量権が認められていた。また、その行為が連邦全体に不利益を齎すものでない限り、基本的には上位機関が介入することはない。

 そうして――議論はいよいよ最後の、最も重要な局面に差し掛かった。つまりは、ミスリル権益の問題に。


「諸君らも知っての通り! ミスリルは創設神ミセリアが生み出したる神の恵み、聖遺物である! ならば必然の帰結として、我ら神教会の管理下に置かれるべきであると考えるが、如何かッ!」


 まず気炎を上げたのは、やはりミセリア神教の法皇だった。齢八十に迫る老体とは思えぬ大声たいせいを張るのは、機先を制し主導権を握りたいという思惑の現れだろう。

 それぞれの代表者も意図を察してか、負けず劣らずと各々の主張を展開し始める。その中には頷けるものもあれば、ほとんど言いがかりに近いものまで含まれていたが、何れもが、どうにかしてミスリルの採掘権を確保せんとする意志の表れだった。

 程なくして、参加者たちの主張が出尽くした頃、彼らの視線は自然と私の方を向き始める。この場において、最も高い権限を持つ者の言葉を待つように。


「総督星下。何か、お言葉を頂戴できれば」

「――ええ。それでは……」


 場の雰囲気に圧されるように、議長を兼任する自治国元首が発言する。

 私はそれに対し、僅かな間を置いて口を開いた。


「リーダフェロン星系総督府の決定を通達します。当該ミスリル鉱脈が発見されたアロメシア大陸北端部に関しては、現時点を以って、総督府直轄領へ組み込まれます。詳細はこの図の通りです。ご確認下さい」


 柔らかく、丁寧な、しかし断定的な口調で告げた私は、円卓状になっているテーブルの真上に巨大な疑似実体ホログラフを投影する。そこには、対象地域の立体画像が描画され、星系総督権限による統治権移行が行われる領域が明示されていた。

 たちまち議場にざわめきが広がっていく。比率としては納得三割、諦念四割、不満三割といったところだろう。

 その中でも不満持ちの筆頭格であろう法皇が、青筋を立てんばかりの凄まじい表情をしながら口を開き――。


「ですが」

「っ、ぐ……」


 予想された反応に対し、被せるように言葉を発することで気勢を削ぐ。

 軽い意趣返しを交えつつ、私は続けた。


「この件に関する補填として、以下の措置を行います。まずは――」


 接収対象となった地域を領土に持つ国家への損失補填。更に、周辺諸国、惑星全体と対象を拡大しての、各種技術的・知識的・経済的・物資的支援策の数々。リーダフェロンⅢの現地文明にとっては、どれもが先進的かつ魅力的なものばかり。

 彼らの興味はたちまち、得られたかもしれなかった利益よりも確実に得られる利益の方に向き、本題だったはずのミスリルの存在は洗い流されていく。こうなっては、法皇が何を言おうと風向きは変わらないだろう。

 もちろん、ミセリア神教向けの飴も用意してある。彼らは別に、悪役ではないのだから。


「次に――」


 間もなくして一連の議論はまとまり、自治評議会は閉会を迎えることとなった。



   ---



 夕映えの空を小さな翼竜の群れが飛んでいく。カラスを少し大きくした程度の彼らは、この星で最もありふれた『鳥類』の一種だ。

 評議会の終了後、私はなんとなしに、政庁屋上の展望テラスを訪れていた。旧エルキス王国の王宮を改築したこの建物は、今は亡き大国の栄華を物語るように、幾つもの荘厳華麗な装飾や尖塔で彩られている。


「ふぅ……」


 天を仰げば、リーダフェロンⅢを周回する二つの衛星が薄っすらと窺える。

 彼方には、微かに、本当に微かな星々の輝き。空に浮かぶ、けれど、手を伸ばせど容易には届かない、遥か光年先に在る天体が放つ核融合反応の炎。


 ――そのうちの一つに、太陽という名の星がある。


 光をも超えて星の海を往く術を得た今の私なら、手が届く望みだ。

 しかし、光速の壁を突破できたとしても、時間の壁を超えることは出来ない。


 ――いや、手段がない訳ではない。


 だが、『インフラトン様物質制御さを利用した宇宙のれた回主観的再構築』帰定理の実行には、一つの重大な欠陥がある。宇宙の外側高次元時空に抜け出してしまった者が、再び内側四次元宇宙に戻る手段がないのだ。

 第三先端技術実験局の主導によって行われた数次の接触実験では、その全てにおいて、志願者のロストが確認されている。恐らく、原理的に成立しない可能性が高い。


 ――だから私は、あの時には帰れない。

 ――今、この強化視覚に映る太陽の光は、あの時よりも遥かな過去だというのに。


「どうして……?」


 そう呟いた時。


「――ウィーウェ星下ッ! こちらに居られましたか!」


 聞き慣れた声が耳に届き、私はそちらに視線を向けた。


「エルメシャン、どうしましたか?」

「いえ、なかなか馬車へお戻りになられないもので、何かあったのかと思いまして。……出過ぎた真似を致しました、申し訳ありません」


 甲冑の重みを感じさせない足取りでこちらに走り寄るなり、周囲に目を配るエルメシャンだが、当然、何もありはしない。

 程なくして早合点だったことに気付いたのか、居住まいを正して頭を垂れる彼の姿に、思わず笑みが浮かんでしまう。まったく、頼りになるようで、どこかしら妙な愛嬌のある男だ。


「いえ、いいのですよ。伝えておかなかった私にも落ち度があります」

「そのようなことは……!」

「さあ、待たせてしまいましたね。戻りましょう」


 このままでは更に恐縮しそうだったので、多少無理矢理にでも会話を打ち切って歩き出す。

 戻ったら残りの仕事を片付けるか、と思っていると、意外な言葉が聞こえてきた。


「……星下!」

「……? どうしました?」

「先程の評議会の件ですが、ありがとうございました!」

「ありがとう、ですか……?」


 足を止めて振り返ると、続けて飛んでくる感謝。

 少し意味が分からず、聞き返してしまう。


「総督星下のお立場であれば、本来なら補填など不要なはずです。接収するとお命じになれば、我らは従うより他にありません。星下はそれだけの絶対的な権力を持っておられます。ですが、そうはなさらなかった。そのことに感謝を申し上げたかったのです」

「……それは、ただの政治的配慮です」

「そうかもしれません。……いいえ、きっとそうなのでしょう。ですが、そうであっても、感謝しない理由にはなりません」


 よく分からない。事実、私はそこまで感謝されることなどしていない。

 単に、必要な資源を徴発し、安定を維持するための蜜を吸わせただけだ。私でなくても、統一連邦の行政官なら大抵は同じ手段を取るだろう。


「……」


 反応に困って押し黙っていると、エルメシャンは続けた。


「今だけの話ではありません。勝利した直後でさえ、星下は我々のことを慮って下さった」

「それは、どういう?」

「戦に敗北し、降伏した王国の騎士や兵士たちを、それだけではなく王族や貴族ですらも、ただの一人も処刑せずに適切な罰をお与えになられました。その時に、私は決めたのです。生き残った命に懸けて、星下に忠誠を尽くそう、と」


 彼の言葉は恐らく、戦後処理のことを意味しているのだろう。

 私がこの惑星に艦隊を率いて降下した時、大部分の国家や勢力は即時降伏を申し出てきた。空を覆い尽くす、全長数キロから、時に数百キロにも達する巨大な航宙艦群を目の当たりにして、たちまち戦意を挫かれたのだろう。事実、それは私の想定通りの反応だった。

 だが、ミセリア神教を国教に掲げるエルキス王国は、神の名の下に徹底抗戦すべしとの聖戦宣言を出し、直接対決路線を取った。私はこれに応じ、地上での会戦による誰の目にも明らかな勝利を企図して、それを実現させたのだ。

 結果として、決定的敗北を喫した王国は崩壊し、ミセリア神教はその権威を著しく傷つけられることとなった。


 私はその後、速やかに統治機構を再建させた。王族や貴族といった旧支配階級は公職追放としたものの、必要以上の厳罰は与えず、それ以外の騎士・平民階級は積極的に再雇用を行い、現地文明による統治の安定を図る計画だった。

 だから――なるほど、確かに彼の言う通り、一見して慈悲深い支配者に見えるのかもしれない。旧エルキス王国では王侯貴族の腐敗が酷かったと聞くから、尚更そう思えるのかもしれない。しかし――。


「……そう、ですか」


 私は再び否定の言葉を発そうとして、口を噤んだ。代わりに、同意を示しておく。

 別に、ここで反論する合理的理由はない。彼がそう思うなら、思わせておいた方がいい。忠誠を抱いてくれているなら、コントロールもしやすいだろう。


「わかりました。感謝、受け取ることにしましょう」

「ありがとうございます!」


 頷くと嬉しそうにする。見た目は髭の生えた中年男なのに、こうしてみると少年にも思えるから不思議だ。

 もっとも――私の実年齢からすれば、彼らの全員、子供以外の何者でもないのだが……。


「納得しましたか? では、行きましょう」

「はっ!」


 そうして歩き出す私達の周囲が、ふと薄暗くなった。

 見上げるまでもなく、私はそれを知っている。リーダフェロンⅢの地表に点在する主要都市の上空を、きっかり一自転ごとに一回の周期で通過していく定期便だ。

 241-38級艦隊統制型重航宙戦艦18番艦、固有艦名『プラネータ惑星』。全長300キロを超える巨大な直方体が音もなく空を進む姿は、ある種異様であって、それでも安らぎを覚える光景だった。


 私は、想う。

 かつて、全てが滅び去った後に目覚めた私たちが、未知の文明の宇宙船を目の当たりにして、恐れよりも先に、自らが孤独ではないことに対する安堵を抱いたように。

 彼にとっての私が、もしも恐怖の対象でないのならば――それはそれで、きっとだろう、と。


 そう考えてみると、この瞬間にも何かしらの意味があるように感じられて。

 惑える心が少しだけ――ほんの少しだけ、穏やかになった気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

果てなる星の惑い人 TSペルペト @TS_Perpet

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画