第3話

 歩いていると公園の横に差し掛かった。夕暮れ間際の時間でも多くの人が公園にいた。ランニングをしている人や追いかけっこをして遊ぶ子供もいれば、木の下で寝転がっている人もいる。奥に見える一面がガラス張りの体育館からはボールを使って遊んでいる人が見える。おそらくバスケットボールだろう。リーベルも時折、声の提案に従って公園に来ることがある。本当は運動などしたくないのだが、減点はされたくなかったし、この制度に疑問を抱いているとはいえ、ランクが下がることは受け入れがたいことでもあった。


 長らく提案を断り続けて運動をしていないと、体を動かしてくださいという専用の小冊子が自宅に届く。脳を通していつものように情報を伝えればいいのにと思うのだが、現物で支給した方が効果的というのが世間の人々の大方の予想であった。

 本当の所は誰も知らなかったが、その見解は概ね当たっていると言えた。そもそも小冊子は最終通告書とも称され、これ以上提案を断り続けたらランクを下げるぞという宣告でもあった。それにその冊子自体が不名誉の称号のようなもので、持っている所を見られればたちまち噂話の的になる。もちろんドローンの監視がある手前、批判をするわけにもいかないので、皮肉合戦となるのだが。


 リーベルも一度だけこの冊子が送られてきたことがある。専門学生だった頃、教師から与えられた課題に奮闘するあまり、知らず知らずの内に提案を何度も断ってしまっていたのである。当時の担当教師はリーベルの才能を買い、気にかけてくれていた。だからと言って、評価を甘くしてくれるわけではなく、むしろ他の学生よりも数倍も難易度の高い課題を出すことが多かった。その教師はリーベルが四苦八苦しているところを見かけると、構内の売店でソフトクリームを御馳走してくれた。冬でもそれは変わらず、そのせいで学生時代は無類のソフトクリーム好きとして知られていた。実際嫌いではなかったし、熱のこもった体を冷やすには丁度良かったので周りからそのように認知されていることも特段気にはならなかった。学校の卒業後にその教師の結婚式で知らされたことだが、その教師は売店の店主のことが気になっていたらしく、少しでも顔を合わせたいがためにそこの売店でしか買わなかったらしい。めでたくリーベルの卒業後に二人は結ばれ、二人の間ではリーベルのことをキューピットだと思っているらしく、今でも時々、ソフトクリームが箱で送られてくる。長らく餌付けされた結果か、仕事でつまずくことがあるとあのソフトクリームが無性に食べたくなることがあるので大いに助かっていた。


 冊子が届いたとき、運の悪いことにバークスとウィンストンが、リーベルの住んでいた宿舎の部屋に遊びに来ていたところだった。もしかするとわざとそのタイミングで送ってきたのかもしれないと思うこともある。

 バークスはスポーツ好きで学校の同好会にも加入していた。ほぼ毎日のように小麦色の肌を汗で輝かせ、多種多様なスポーツを同じくスポーツ好きの仲間たちと楽しんでいた。通知を見たバークスはサークルに入るよう勧誘し、ことあるごとにスポーツをさせようとしてくるようになった。それまでも、誘われることはあったが、自分でやっているからいいと断っていた。しかし、今回のことでその言い訳が使えなくなり、断り切れずに参加しなければならなくなった。バークス本人は一緒にできて嬉しそうだったが、普段から動きなれていているサークルメンバーに囲まれ、一人下手なプレイをするのは申し訳ないようで気が進まなかった。断り切れないときはウィンストンも誘うのだが、頑として首を縦にふることはなかった。リーベルとしては、一回ぐらいは巻き込んでやりたいと手を変え品を変え誘ったのだが、結局卒業するまで一度も参加させることはできなかった。


 公園を通り抜ける頃にはあたりはすっかり暗くなっていた。街並みもオフィス街から飲食店街へと様変わりしている。夕飯時のため、家族ずれや仕事帰りの人たちが多く出歩いていた。道路沿いに並んだ街灯と隙間なく並んだ飲食店の灯りが通りを照らし出している。それらが、光の道のように一直線に地平線の彼方まで続いているように見えた。


 リーベルはこの光景を見るたびに思い出すことがあった。それは六歳のとき両親と一緒に外食をしたときのことである。まだ幼かったリーベルはこの一直線の道の先にはきっと何か素晴らしいものが待ち受けているに違いないと、何の理由もなくそう確信していた。両親に道の端まで行きたいと言うと、何もないぞとそっけなく返されてしまった。それでも、自分の目で確かめるまでは両親の言葉を信じることはできなかった。両親がリーベルに対して嘘をついたことは一度もなかったが、この時だけは両親の言葉が嘘であると信じて疑わなかった。

 説得するのは無駄だと諦めたのか、いいドライブになると思ったのか、はたまたその両方か、父は車に出発するよう伝えた。リーベルはいち早く道の先を見ようと何十キロも手前から車の前方だけを集中して見ていた。そのとき両親がどんな表情をしていたのか、どんな会話をしたのかは覚えていない。ただ興奮でほてった体に窓から入り込んだ夜風が気持ちよかったことは鮮明に記憶している。

 二十分ほどかけて移動した先にはこの街を円形状に囲む巨大な壁があるだけだった。夜のために頂上が影で覆われ、永遠と高くそびえ立っているかのように見えた。幼きリーベルは光の道に対して抱いていた希望とは正反対の絶望をこの真っ黒な壁に植えつけられることになった。リーベルは激しく落胆すると、その様子を見て微笑む両親をにらみつけてふてくされた。帰りの車中では意気消沈してずっと下を向いていた。その間もあの壁と道のことを考え続け、壁の先にまだ道が続いているのだという結論を出して、なんとか機嫌を取り直した。


 半年後、壁の外へ旅行に行ったとき、航空機の窓からワクワクして壁の外側を見下ろしたが、道はおろかそこあったのは一面の草原だけだった。リーベルは再び落胆し、その旅行をしばらく楽しむことができなかったのは言うまでもない。

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