第6話 城下町へ

 レイが城下町に向かうことが決まった翌朝、城内は慌ただしい空気に包まれていた。

 王女の部屋では、数人のメイドたちが忙しそうに彼女の支度を進めていた。金糸で刺繍された薄青色のドレスが用意され、その上に軽いマントを羽織るようにと勧められる。王女は少しだけ不満そうな顔をした。

「こんなに堅苦しい服装でなくても良いのに……今日は城下町に行くだけなのですから。」

 メイド長は軽く咳払いをしながら、王女の意見に丁寧に反論する。

「城下町とはいえ、王女様が公の場にお出ましになるのです。少しでも失礼のない装いを心がけねばなりません。」

 王女は渋々ながらも頷き、髪飾りを整えられるままにしていた。

 一方、レイの部屋でも準備が進められていた。メイドたちが彼の衣装を整えながら、何やら賑やかに話している。

「レイ様、今日が初めての城下町なんですよね。緊張なさらずに、楽しんでくださいね。」

 その言葉に、レイは苦笑いを浮かべながら軽く頷いた。

「うん……楽しみだけど、どういう所か全然想像できないんだ。」

 それを聞いたメイドたちは微笑みを浮かべつつも、手際よく衣装を整えていく。

「城下町は本当に賑やかで、素敵な場所ですよ。市場では新鮮な果物や焼きたてのパンの香りが漂っていて、通りには笑顔の人々が溢れていますから。」

 その説明に、レイの胸には少しだけ期待が膨らんだ。

 準備が整うと、王女とレイは城の玄関ホールに集まり、護衛の兵士たちが待ち構えていた。銀色の甲冑を纏った彼らは、レイを一瞥し、軽く頷く。

「準備は整いました。お二人とも、護衛の手配は万全ですのでご安心ください。」

 そう告げたのは、護衛隊の指揮官らしい壮年の男性だった。その目には経験に裏打ちされた冷静さが宿っている。

 王女は頷きつつ、レイに向かって楽しげに笑いかけた。

「さあ、行きましょう、レイ。きっとあなたも城下町が気に入るはずです。」

 その言葉に、レイも少し緊張した面持ちで答える。

「うん、よろしく頼むよ。」

 二人を乗せた馬車が城門を出ると、城下町の賑わいが目に飛び込んできた。石畳の道沿いには色とりどりの店が並び、行き交う人々の笑い声や掛け声が響き渡っている。市場には新鮮な野菜や果物が所狭しと並び、その間を駆け回る子供たちの姿が見えた。風に乗って漂うパンやスープの香ばしい匂いが、レイの鼻をくすぐる。

 王女が窓から顔を覗かせ、目を輝かせながら言う。

「ほら、見て。あれが市場です。私も小さい頃、父に連れてきてもらったことがあるんですよ。」

 その言葉に、レイは目を細めながら市場の光景をじっと見つめた。活気あふれるその場所は、彼のこれまで見たことのない世界だった。

「……本当に賑やかなんだね。」

 馬車が進むにつれ、道端で手を振る人々や笑顔を向ける店主たちが見えてくる。王女が軽く手を振り返すと、それに応じて歓声が上がる。

 その光景を見ながら、レイは少しだけ口元を緩めた。

(こんな風景が広がっていたなんて……。)

 馬車が市場の近くで停まり、護衛たちが周囲を確認した後、二人は外に降り立った。王女は待ちきれない様子でレイに声をかける。

「さあ、行きましょう。市場を見て回りましょう!」


 レイは頷き、彼女と共に市場の中へと歩みを進めた。

 市場を歩く中で、レイは初めて人々の笑顔や活気に触れた。その光景に、彼の心はどこか温かいもので満たされていく。

 それを影の中から静かに見守るゼンは、目を細めながら呟いた。

「……これが、彼らの守りたいものか。」

 ゼンの心にも、一瞬だけ安らぎが広がった。それが一時のものだと分かっていても、彼はその景色を胸に刻み込もうとする。

(レイ、せめてこの瞬間だけは、無垢でいろ。)


 市場を一通り見て回った王女とレイは、その後、高級品が並ぶ商店街へと向かった。石畳の道沿いに立ち並ぶ店舗は、それぞれが豪華な装飾を施し、どれも格式の高さを感じさせる。

「ここが商店街です。市場とはまた違った魅力がありますよ。」

 王女が軽やかな声で説明する。店先に並べられた宝石や工芸品の数々が夕陽を反射し、煌めいていた。

「こんな綺麗なものがたくさん……。」

 レイは目を輝かせながら、一つ一つの品を見つめる。豪華な首飾りや彫刻品の精巧さに驚きつつも、どこか不思議な気持ちを覚えていた。

 ある店の前で、王女が足を止める。ガラスケースの中には、繊細な模様が彫り込まれた銀の指輪が並んでいる。

「レイ、これなんてどうですか?似合うと思います。」

 王女が指さしたのは、小さな青い宝石が埋め込まれた指輪だった。

「えっ、僕に?」

 レイは戸惑った表情を浮かべる。自分にそんなものが似合うとは思えなかったが、王女の期待するような目を見て、断る理由も見つけられなかった。

「はい、ぜひつけてみてください。」

 王女は微笑みながら指輪を手に取り、そっとレイの指にはめた。その瞬間、宝石が夕陽の光を受けて鮮やかに輝いた。

「……すごい。綺麗だ。」

 レイは思わず呟いた。その声を聞いた王女は満足げに微笑む。

 それは王女からしたらただの気まぐれであった。今日という記念日を忘れないための贈り物だ。

「やっぱり似合いますね。」

 その後も、二人は商店街を巡り、豪華な生菓子や絹織物などを見て回った。王女がとある菓子店で選んだ果実のタルトをレイに渡すと、彼は初めて味わう甘さに驚き、満面の笑みを浮かべた。

「これ、本当に美味しい!初めて食べたよ、こんなの!」

 レイの率直な感想に、王女も笑い声を漏らす。

「ふふ、それは良かったです。」

 夕刻、二人を乗せた馬車が、城下町を一望できる高台へと向かった。灯台のような形をした建物の階段を上がると、目の前には広大な景色が広がっていた。

 城下町の家々は夕陽に照らされてオレンジ色に染まり、川面は黄金色に輝いている。遠くには草原が広がり、その先には山脈が静かに横たわっていた。鐘楼からは夕刻を知らせる鐘の音が響き、景色全体に穏やかな空気を添えていた。

「ここは私のお気に入りの場所なんです。お城からの景色も好きですけど、こちらはほら、夕日がこんなにも美しいんです。」

 王女が手すりに手をかけ、遠くを見つめながら言った。その声には誇りと愛情が感じられた。

「……すごい景色だ。」

 レイはその壮大な光景に目を見張り、しばらくの間言葉を失った。彼にとって、これほど広がりのある世界を見るのは初めての経験だった。

「ここから見ると、国全体が一つに見えるでしょう?みんなが一緒に笑顔で暮らせる場所。私はそんな国を守りたいんです。」

 王女の言葉は、どこか静かでありながらも力強さを帯びていた。

「……守りたい、か。」

 レイはその言葉を噛みしめるように繰り返し、目の前の景色をじっと見つめた。彼の胸の中に、少しずつ何かが芽生え始めているのを感じていた。

 その様子を影の中から見守るゼンは、静かに目を閉じた。

(この景色の向こうに何が待っているのか、彼はまだ知らない。それでも……せめて、この瞬間だけは。)

 ゼンは心の中でそう呟きながら、影に身を潜め続けた。


 二人の背後には、夕陽に染まる壮大な城下町が広がっていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る