第5話 対話
訓練を終えて廊下を歩くレイは、どこからか聞こえてくる声に足を止めた。
「王女様、それは少しご無理では──」
「ですが、私が直接お会いしてみたいのです」
曲がり角の向こうからは、侍女たちと王女らしき人物のやり取りが聞こえてくる。好奇心に駆られたレイがその方向を覗き込むと、そこには華やかなドレスを身にまとった一人の少女──この城でただ一人の王女が立っていた。
「そもそも、私たちはまだ子供同士ですわ」
王女は小さくため息をつきながら、周囲の侍女たちにそう告げる。
彼女の声には、どこか柔らかな響きがありながらも、芯の強さが感じられた。侍女たちは一瞬戸惑った様子を見せたものの、すぐにその場を譲った。
王女はふと顔を上げ、廊下の向こうに立つレイの姿に気づいた。
「あなたが……レイですね?」
彼女は少しだけ驚いたような表情を浮かべると、歩み寄ってくる。レイはどう対応すべきか分からず、なんとなく姿勢を正した。
「初めまして。私はこの国の王女でございます」
王女は軽く頭を下げながら自己紹介をした。その所作には王族としての気品が漂い、レイは一瞬気後れする。
「えっと……こんにちは」
レイも慌てて挨拶を返すが、少しぎこちない。
「あなたがあの英雄の……」
王女は一瞬言葉を飲み込んだ後、首を横に振る。「いえ、そんなことより……どうしてこの城にいるのか、不思議に思っていましたの」
彼女はそう言うと、レイをまっすぐ見つめた。その瞳には好奇心が隠しきれずに揺れている。
「貴族の方ではないのに、どうしてこの城に住んでいるのかしら?ずっと気になっておりまして」
「それは……」
レイが答えに詰まった瞬間、影の中からゼンが現れる。
「……知る必要はない」
低い声が響き、王女の足元に黒い影が差し込む。驚いた侍女たちが小さく悲鳴を上げ、王女の護衛が一歩前に出ようとするが、彼女が手を上げて制した。
「怖がらせてしまったのなら、申し訳ありません」
王女は落ち着いた表情でそう言いながら、ゼンの赤い瞳を見つめる。
「でも、私は知りたいのです。あなたたちがこの城でどのように過ごしているのかを」
ゼンはしばらく沈黙した後、レイの方を向いた。その視線に気づいたレイは、どうするべきか迷ったが、王女の好奇心に満ちた視線を前に、ゆっくりと頷いた。
「分かりました……お話ししましょう」
ゼンは影に潜みながら、王女とレイの接触を見守る。
王女の純粋な好奇心に基づく行動には、疑念の余地がない。しかし、彼女を取り巻く大人たち──特に、レイの力を危険視する者たちが彼女を利用しないとは限らない。
「レイは無垢だ。だが、その無垢さゆえに狙われる」
ゼンはそんな考えを抱えながら、王女との会話を冷静に見守る。そして、必要があれば即座に行動を起こす準備をしている。
(私に何ができる?私の手札には何がある?)
いくら考えても答えは出ない。だが、あの夜に見たことが真実なのならば、必ず突破口はある。
ゼンは誰にも知られずに一人思考の渦の中に飛び込んでいった。
バルコニーは城内でも最も高い位置にあり、城下町や遠くの草原、さらにその向こうの山脈まで見渡せる場所だった。夜風がそっと吹き抜け、遠くの地平線には満天の星々が瞬いている。
王女は手すりに両手をかけ、景色を見つめていた。その横顔は、どこか夢見がちで輝いて見える。
「ねえ、レイ。」
ふいに王女が振り返り、楽しげに問いかけてきた。
「ここから見える景色、きれいだと思わない?私のお気に入りの場所なんです」
レイは、目の前に広がる壮大な景色を一瞥する。街並みの明かりは小さな宝石のように瞬き、遠くには月光に照らされた山々が静かに横たわっていた。確かに美しい。だが、彼にとってこの風景はどこか現実感が薄いものに感じられた。
「……きれいだね」
そう答えたものの、レイの声にはどこか曖昧な響きがあった。
その様子に気づいたのか、王女は首を傾げて尋ねる。
「どうしたの?」
レイは少し視線を落とし、ためらいながら口を開いた。
「僕、城から一歩も外に出たことがないんだ。本当の景色を、まだ知らない。」
その言葉を聞いた王女の目が丸くなった。
「えっ!一度も外に出たことがないのですか?どうして?」
レイは困ったように眉を下げ、答えを探すようにして言った。
「外に出る理由が、なかったから……かな。でも、今度外に出られることになったんだ」
王女はその言葉を聞くと、一瞬考え込むような表情を浮かべたが、すぐにぱっと明るい笑顔を見せた。
「それなら、私もついていきます!」
「えっ……ついてくる?」
思わず聞き返したレイは、驚きで目を見開く。
王女は胸を張り、誇らしげに言い放った。
「もちろんです!外の世界を見てみたいのは私も同じですもの。それに、レイと一緒ならきっと面白い冒険になるはずです!」
その無邪気な提案に、レイはどう返事をしていいかわからず、ただ口を開いたまま固まってしまう。
そのやりとりを影の中から見守るゼンは、静かに息を吐いた。王女の純粋さは疑いようもない。だが、彼女を取り巻く大人たちが彼女の行動を利用しない保証はどこにもない。
「無邪気だが、それが一番の危険でもある……」
ゼンはそう心の中で呟きながら、彼女とレイの様子を冷静に見守り続けた。無垢というのは時にその純粋さで思わぬ行動に出ることもある。そして、ゼンはもし何かが起これば、即座に動く準備を整えていた。
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