第3話:約束
そこからの数週間はあんまり勉強に集中できなくて、そしてあっと言う間に当日になった。
前々日くらいから緊張しすぎてほとんど眠れなかったし、買い物で何を買ったかも、映画の内容もほとんど頭に入ってこなかった。
彼女と手を繋ぐたびに心臓が跳ねて、彼女が呼吸をするたびに胸がいっぱいになった。
「辰巳くん、今日なんか変じゃない? 緊張してる?」
ついには晩ご飯の時についに彼女にそう言われてしまう始末だった。
「そりゃね。好きな人と一晩過ごすってのは、やっぱり緊張するよ」
「えへへ。これから夜は長いんだから、今からそんなに緊張してたら心臓が持たないぞー」
そう言って彼女はパスタにクリームソースを絡めた。
頬張った時に少し口からはみ出たソースを拭う所作にすらどぎまぎしてしまう。
「でさ、香苗。このあとって」
「ん。ホテル予約してるから、そこ行こ?」
「……」
彼女に誘導されるがままに向かったそこは、予想通り高校生でも入れるラブホテルだった。
「ラブホテルって予約できるんだね」
「クリスマスイブは予約しないと入れないんじゃない?」
「たしかにそうかも。クリスマスイブに激混みのホテルに入れなくて雰囲気悪くなるカップルもいそう」
「絶対いるねー」
緊張を隠すように、僕は普段と同じような会話を心掛けた。
香苗もさすがに緊張しているのか、心なしか口数が少ない。
受付を突破して、103の部屋に入る。
ラブじゃないホテルにも修学旅行くらいでしか入ったことのない僕は、その部屋が一般的なホテルとどう違うのか余りわからなかった。でも、大きなベッドとその横に小さなテーブル、その上に乗った灰皿を見て、何となく自分が大人になったような感覚を覚えた。
「お風呂……は、ちょっと恥ずかしいからそれぞれではいろっか」
ひとしきり探索を終えた僕たちは、小さなテーブルの傍のソファに座って、どちらともなくそう言った。
大きなテレビからは有名な映画が流れている。
彼女がシャワーを浴びている間、僕は気が気でなかった。彼女もそうだと嬉しいなと思いながら、僕は入念に体を洗った。
二人でベッドに入って、少しだけ雑談をする。
香苗がはにかみながら「なんだか修学旅行の夜みたいだね」と言ったので、僕は「恋バナでもする?」と返した。
「わたしの好きな人、聞きたい?」
「教えてくれるんだ」
すると香苗は不意に僕の方を向いた。僕も釣られて彼女を見ると、目の前に彼女の顔が迫ってきて、唇に触れた。
「えへへ、これが答え。辰巳くんは?」
事態が呑み込めずにいると、香苗は目を閉じて僕の返答を待った。
僕も意を決して彼女にキスをする。
繰り返すこと数回。僕たちの唾液でお互いの唇がてらてらと滑る。
それが潤滑液になって、脳を痺れさす甘い快楽に繋がっていった。
「キスって、気持ちいいんだ」
「ね。初めて知った。君といると初めて知ることばっかりだ」
ぎゅっと抱き合いながら耳元で囁き合う。
二人しかいない空間だけど、なぜか自然と小声で話している。
半開きになった彼女の口から、唾液が零れる。
そんな所作一つ一つに、愛しさが溢れていく。
「大好き」
「突然だね」
「香苗、大好き」
「えへ、わたしも。わたしも大好きだよ」
香苗が僕の股間に手を伸ばす。
「ねえ、辰巳くん」
僕の口から情けない声が漏れそうになった。
それを全力で我慢して、彼女を強く抱きしめる。
「ねえ、香苗。大好き、大好き」
「わたしも大好きだよ」
僕は意を決して言った。
「だからさ、香苗。大好きだからこそ、僕はまだ君を抱けないと思っちゃう」
それが、僕が考えて出した結論だった。
「……え?」
「君は大学に行くんだ。二十歳になったら僕と別れて、許嫁と結婚する君は、二十歳からどんな生活を送ることになるかわからない。だから、大学だけは絶対に行ってほしい」
「……」
「でも、僕がここで一時の感情に流されて、もし子どもができたりしたら、君は大学に行けなくなる。だから、大学生になるまで、僕は君と、そういうことができない」
「……わたしのこと、好きなのに?」
「好きだから」
「……したくないの?」
「したいよ! でも、ごめん。ビビってると捉えてもらっても構わない。僕は今日、香苗を抱けないや」
「……そっか」
香苗は悲しそうな顔をしてから、もう一度僕にキスをした。
「じゃあ、大学生になったら、ね?」
結局香苗は第一志望の国立大学に合格して、僕は落ちた。
その代わりに実家から通える私立大学に入学が決まった。
同じ大学に通えなかったことは残念だったし、これまでのように平日も毎日一緒にいられるわけではなくなってしまったけれど、毎晩電話をして毎週末はデートに行こうねと約束をした。
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