第5話:提案
僕は浮気されている。
それがこの一週間考えて出した結論だった。
この一週間、香苗は普通に電話を掛けてきたし、いつも通りに話しかけてきた。僕もできるだけ平静を装って応答して、ついにデートの日がやってきた。
聞いてみよう。
悶々とした気持ちを抱えたまま過ごすのは限界だった。
それに、あの男が許嫁だったらどうだ?
許嫁からしてみたら、僕の方が浮気相手になるし、彼女が許嫁とどこで何をしていようが僕に口を挟む権利はない。
僕はその状況を受け入れたんだから。
夜七時。
ディナーを食べ終わって、食後の紅茶を飲みながら「カラオケでも行く?」と言う話をしていた時に、僕は切り出した。
「ちょっと大事な話――というか、聞きたいことがある」
「……なあに? 改まって」
「……」
自分から切り出しておいて情けないが、この次の言葉を発するまで、一分以上を要した。
「先週の日曜日さ、体調大丈夫だった?」
「え? うん。ごめんねー、デートキャンセルしちゃって」
「僕さ、見たんだよね」
「なにを?」
「朝帰りしている香苗を」
「……見間違いじゃない?」
「…………」
「いや、見間違いじゃないや。それは、わたし」
僕の真剣な目を見て、確信をもって問われていることを察したであろう彼女は、目を伏せてそう言った。
「相手の男の人って誰? 許嫁の人?」
「ちがう。サークルの人」
「……あんな時間まで何してたの? 飲み会?」
そう聞くと香苗は数十秒ゆっくりと考えて、紅茶を飲みほした。
「場所、変えよっか」
半ばふわふわとした意識のまま、案内されるがままに辿り着いたのは繁華街の中に佇むラブホテルだった。彼女は慣れた手つきでパネルを操作して、407の部屋の鍵を受け取った。
「すわろっか。それとも先にシャワー浴びる? あの時みたいにさ」
部屋に入った瞬間、高校三年生のクリスマスイブの出来事がフラッシュバックした。あの時とは全く別の緊張感に襲われている。
「……話そう」
「わかった」
それから彼女が語り出したのは、耳を塞ぎたくなる話だった。
相手はバレーサークルの先輩。
最初は複数人の宅飲みだったこと。
だんだんと二人で飲むようになったこと。
土曜日、サークルの集まりに行かずに二人で出かけていたこと。
先週はたまたまホテルで寝てしまっただけで、これまでも何度も、前日に先輩と性行為をしてからデートに臨んでいたということ。
最後まで聞いた僕の口から弱弱しく「なんで?」という言葉が漏れた。
「なんでって」
「僕のこと、好きじゃない?」
「なんでそうなるの? 好きだよ、大好き」
「僕のこと好きなのに、なんでそんなことしたの?」
「だって辰巳くん、全然抱いてくれないじゃん?」
即答だった。
「それは――」
「辰巳くん、クリスマスイブのこと覚えてる? わたしがどれだけの覚悟で提案したか、どれだけ家族に根回しして、どれだけ恥ずかしい気持ちになりながら部屋を予約して、どんな覚悟で当日に臨んだか、わかってた?」
「……」
「わたしは好奇心が強い。それで、君と色んな初めてをしたい。知ってたよね?」
無言で頷いた。
「君はその覚悟を踏みにじった。大学? どーでもいいよ。どうせ二年しかいれないんだよ。そんなことより、君と初めてえっちする方がわたしにとっては重要だった」
香苗は淡々と、それでいて感情的に言葉を吐く。
「でもまあ、そこはいいんだ。その時の君は約束してくれたんだから。大学に入ったらしようって。でも君はいつになっても誘ってこない。覚えてる? あれから一度もキスすらしてないんだよ、わたしたち」
「……」
「そんな中で、容姿なら君よりかっこいい人に誘われた。だったらその人とヤッた方がよくない? あと一年と少しの間、誘われ待ちをするよりもさ」
「…………」
「だから、君の問いに答えるとね。うーん、最初は好奇心。ヤッてみたい。でも本当に一番ヤりたい人は誘ってくれない。だから二番手で妥協した」
でも、と彼女は言葉を続けた。
それが大したことなかったら一回限りでよかったんだけどさ、と彼女は言葉を続けた。
「知ってる? セックスって、すごく気持ちがいいんだぁ」
香苗は僕の知らない表情で、声で、態度で、そう告げた。
「別に好きとかはなかったんだけどね? でもお互い裸になって、いっぱいちゅーして、気持ちのいいところをじっくり探すの。相手の反応ひとつひとつを確認しながら、ただただ気持ちよくなるために触る。最小限の会話で、わかるのはお互いの表情とか声、態度だけ。それでね、入れたままぎゅーってされると、心まで満たされていって、頭の中が真っ白になって、もっと、もっとほしいって気持ちが溢れてくるんだよ?」
いつの間にか、僕の股間が硬くなっていた。
恍惚の表情を浮かべる香苗に、犯されている香苗に、僕は後ろ暗い興奮を覚えていた。
香苗は僕のそこを凝視して、嬉しそうに僕の上にまたがってきた。
「興味ないんだと思ってたけど、辰巳くんもわたしで硬くしてくれるんだ。えへへ、嬉しい」
彼女の癖のようなえへへという笑い方が、全く知らない笑い方に見えた。
耳元に口が寄せられる。
あの時のように、彼女の吐く言葉が、熱い塊となって耳の中を犯す。
「ね、えっちしようよ」
「…………したい」
「えへへ、じゃ、ベッド行く? それともここで?」
「で、でも、ゴムとか持ってないし」
「何言ってるのー、ここってラブホテルだよ? ゴムはあるって」
香苗は枕元を指差しながら、それに、と言葉を続けた。
「知ってる? 生でえっちするほうが、もっと気持ちいいんだよ?」
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