第9話 あいも変わらず陰謀論を囁く石区さんと時々極右思想を囁く結国さん

図書館で結国さんに極右思想を散々吹き込まれた次の日、俺は重しでも着けたのかってほど重い足取りで学校に向かっていた。もうこの段階で帰りたい。

 

 『だから、今日のことは秘密ですよ。2人だけの秘密』

 

 俺の唇に人差し指を当て、自身の唇にも反対側の手の人差し指を当てた結国さんの言葉を思い出す。あれは間違いなく脅しだろう。

 

 正直言って、俺はこのことを公安かどっかに伝えようかと思っていた。あんなのが一般人に擬態して生活していると考えたらおちおち夜も眠れない。

 

 ただ、色々考えた末に公安への通報は辞めることにした。もし約束を(ほとんど一方的に結ばされたものとはいえ)破ったら結国さんに何されるかわからない。

 

 最悪、ロープにぐるぐる巻きにされた上で街宣車の後ろに括り付けられた後、そのまま引き摺られそうではある。こんな世紀末な光景が浮かんでくるほどに俺は結国さんを恐れていた。

 

 ああもうとにかく家に帰りたい。俺は学校に登校するだけで命の危険を感じていた。なんか前にも命の危険を感じてた時があったよな?あの時は若干こちらの妄想もあって過剰な反応になってしまったけど、今回は妄想でもなんでも無いからより一層ヤバい。

 

 そんなことを考えながら歩いていたら、いつのまにか教室の前に着いていた。着いてしまった。

 

 冷や汗をが頬を伝う感触を感じながら、教室のドアを開けて自分の席へと急ぐ。できるだけ周囲は見ない、結国さんと目が会ったらどうなるか分からないからだ。

 

 「おはよう、政無くん」

 

 自分の席に着いたら、先に登校してきていた石区さんが挨拶してきた。そうだった彼女の存在もあったんだった。石区さんのことを失念していたことを若干後悔する。冷静に考えて石区さんを忘れるとか大問題じゃねえか。

 

 「・・・お、おはようございます」

 

 自分でも分かるぐらいに挨拶に元気が無い。石区さんはどこか心配そうにこちらを見てきた。

 

 「大丈夫?ちゃんと寝れてる?」

 

 すみません昨日は一睡も出来ませんでした。布団の中で街宣車が突撃してこないかと怯えていました。

 

 「ちょっと昨日夜遅くまでゲームしすぎてしまいまして・・・・・・」

 

 やはりここは適当なこと言って誤魔化すに限る。本当の事を言ったら結国さんに何されるかわからない。

 

 「そう・・・・・・気を付けてね」

 

 石区さんはそう言ってこちらに身を寄せてきた。俺のことを心配してもらって申し訳感じなくなる。

 

 「それで・・・・・・ちょっといいかな?」

 

 石区さんがいつものように陰謀論を俺に語ろうとしている。いつもは辟易していた時間が、昨日の一件を経たせいで凄いマシに感じてきた。もはやワクワクすら感じ始めている、末期だな。

 

 それで今日は一体どんな陰謀論が来るんだ?まあ俺も散々石区さんに付き合わされてきた身、いまさら多少のことでは動じな・・・・・・

 

 「月面にはね、クマムシが繁殖してコロニーを形成していて、そこで各国首脳を量子もつれ状態にしているの」

 

 ごめんやっぱ無理だわ。こんな訳分からん文章なんか慣れる訳ないに決まってんだろ。

 

 「なんで月面にクマムシが居るのかっていうと、何年か前にイスラエルの宇宙船が月面に墜落して中に入っていたカプセルからクマムシが流出したからよ」

 

 朝っぱらから怪文書を脳内に流し込まれている俺の横で、石区さんは今日も生き生きしている。ちなみに、後で調べてみたところクマムシが月面に取り残されたのは本当らしい。なんでそんなSF映画の冒頭みたいなことが現実でも起こるのだろうか。

 

 「クマムシ達は月面の過酷な環境で異常な進化を遂げたわ。頭脳は人間とほぼ同等、身体は人間の数倍、そして乾眠状態とほぼ同等の生存能力を持ったまま活動できるようになったクマムシは人類への復讐を企てるの」

 

 なんか実際にありそうだなそういうB級映画。月面ナチスよか現実味があるから困る。高温と放射線に耐えられるクマムシボディなら確かに異常な進化を遂げてもおかしくない。俺も大分思考が石区さんよりになってきたな、結国さんよりかはマシか。

 

 「クマムシ達は全員覚えているの。同族が凍らされたり、致死量の放射線を浴びせられたり、量子もつれ状態にさせられたり」

 

 すごいな、今挙げられたクマムシへの所業は、全部石区さんの妄想じゃなくて現実の出来事なんだから。いくらなんでも一種の生物にやる実験じゃないだろ。あと量子もつれ状態ってなんだよ。

 

 「コロニーを築けるぐらいまで繁殖したクマムシは月面に落ちていた宇宙船の残骸をリバースエンジニアリングして、粛々と地球侵攻の準備を進めていたわ」

 

 なんかクマムシ側に感情移入してきたよ。これクマムシ側から見たらめちゃくちゃワクワクするやつじゃん。石区さんの陰謀論を聞いてワクワクする日が来るとは思いたくなかったよ・・・・・・

 

 「しかし、月面でクマムシのコロニーを確認した各国首脳は月に和平の使者を送り込んできたわ」

 

 壮大なSFが始まるかと思ったら戦闘すら起こらず終わった。いやクマムシと戦争なんか起こったら大変なのはそうだけど。

 

 「クマムシ側は人類に対して、総人口の半分を量子もつれ状態にするよう要求してきたわ」

 

 とんでもねえこと要求してきやがったな。というか量子もつれ状態ってなんだよ。

 

 「各国政府はこの申し出を拒否、代わりに国民の代表として首脳陣を月面に送ることにして、それをクマムシ側も容認したの」

 

  すごいな、全責任をトップに押し付けて月に飛ばしやがった。あとよくクマムシ側も承認したなその話。

 

 「それで今我々の前に出ている総理大臣とかは実は影武者で、本物は月で量子もつれ状態にさせられているの」

 

 俺の脳裏に人型のクマムシに囲まれ量子もつれ状態にされる総理大臣の姿が思い浮か・・・・・・浮かばねえよ。というか量子もつれ状態ってなんだよ。

 

 ・・・・・・まあ、いつも通り狂気を感じる内容ではあったが、なんだかB級映画みたいだったおかげでなんとか耐えれた。なんならB級映画の方がヤバいかもしれない。月面ナチスってなんなんだよ。

 

 「・・・・・・なんか、楽しそうに見えるわね政無くん」

 

 きっと結国さんの影響ですね。あれに比べりゃ石区さんの話はまだ楽しい部類に入るし、向こうはツッコんだら死みたいな空気で神経がもたない。

 

 「まあ、ちょっと色々とありまして」

 

 本当に色々とあった。少し前に陰謀論者に絡まれ、絡まれ、ついには極右に絡まれるとか普通の人間だったら経験する訳ないだろう。ふざけんなよボケが。

 

 「よかったら、何があったか聞かせてもらえない?」

 

 やめてくれ、命が何個あっても足りなくなる!!

 

 

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 

 「政無くん、少しいいでしょうか?」

 

 放課後そくさくと帰ろうとした俺の背中に、どこか優しい感じの声が掛けられた。昨日図書室で掛けられたばっかの声だった。

 

 冷や汗がダラダラと垂れてくるのを感じる。後ろに、俺の後ろに結国さんがいるとか聞いてねえよ!!

 

 各個の細胞がバラバラに逃げ出しそうなほどの恐怖の中で、俺はゆっくりと振り返る。逃げ出そうとしてはいけない、その選択は死だと俺の魂が投げかけていた。

 

 「えっ、えっと、結国さん」

 

 しどろもどろで振り返ると、西陽に照らされながら微笑む結国さんの姿が俺の目に映った。一枚の絵画かと疑うような幻想的な光景が、俺には地獄からの使者を目の前にしたような光景に見えた。

 

 「お、俺にな、何のようでしゅか!?」

 

 噛んだ。終わった。

 

 「ふふっ、そんなに慌てなくても大丈夫ですよ。そんな取って食ったりしませんから」

 

 1ミリたりとも信頼できない言葉を投げ掛けられても困る。絶対地雷踏んだら殺されるだろコレ。助けて石区さん。

 

 ああそうだった。石区さんはさっき、歯医者があるからと言ってさっさと帰って行ってしまったんだった。つまり、この教室では結国さんを止められる人間は存在しないことになる。

 

 どうしよう。土下座でもしようか?靴でも舐めようか?鉄砲玉にさせられるのか?どれも嫌だ帰りたい。

 

 俺が恐怖と混乱で頭が真っ白になっている最中、彼女はゆっくりと口を開いた。

 

 「先日は変なことを聞かせてしまって申し訳ございません。本当にありがとうございました」

 

 そう言って彼女は俺に深々と頭を下げた。突然の出来事に混乱しきっていた脳内が混沌に満ちる。彼女は続けて口を開いた。

 

 「私、昨日みたいに誰かと心の内を語り合いたかったんです」

 

 アレが心の内に入ってるとか頭おかしいよ。何をどうしたら国民皆核武装とかいう考えが出てくるんだよ。

 

 「私のことを怖いと思いましたか?私はああいう風に考えることはあっても、それを実行したりは決してしませんよ。少しだけ安心できましたか?」

 

 どこに安心できる要素があったんです??というかなんであの思想でそこら辺の線引きができてるんだよ、逆に怖えよ。

 

 「今でも私のこと怖いと思っているのでしたら、それでも構いません。出来るだけ貴方の視界に映らないように致します」

 

 そう言うと結国さんが俺との距離を一気に詰めてきた。一体何をする気だ?

 

 「その上で言います。もし貴方が嫌じゃなければ・・・・・・」

 

 そう言うと結国さんは、こちらを真っ直ぐ見つめていた目線を逸らし、少し照れたような表情を見せながら視線を上目遣いに戻した。

 

 「私のお話・・・・・・たまにでいいので聞いていただけますか?」

 

  ・・・・・・俺は・・・・・・・・・・・・

 

  「・・・・・・・・・・・・わかりました」

 

  断れなかった。承諾してしまった、俺の馬鹿!!

 

 「・・・・・・ありがとうございます。それから・・・・・・」

 

 突然結国さんが俺に触れるギリギリまで接近してきた。胸が俺に当たるかと言った位置まで来て、結国さんは俺に囁いた。

 

 「明日からも・・・・・・よろしくお願いしますね」

 

 そう言った彼女は、俺に優しく微笑んで教室から出て行った。教室に残ったのは俺1人、痛いほどの静寂が場を支配していた。

 

 この大馬鹿野郎、なんで断れなかったんだ。俺は今後の人生のことを考えて鬱になりそうだった。

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