第8話 図書室で極右思想を囁く結国さん

 「いいですか?殺していいのは共産主義者と売国奴だけですよ」

 

 彼女はさも当たり前だと言いたげな表情で物凄く思想の強い言葉を言い放った。俺は10秒ほど彼女が言っていることが理解できなかった。理解したく無かった。

 

 「えっ・・・・・・・・・は・・・・・・・・・・・・え・・・・・・」

 

 ようやく喉から絞り出せたのは、声とも言えない空気の流れ出る音だった。緊張と恐怖のあまり声まで忘れてしまったのだ。

 

 背中から嫌な汗が滝の如く噴き出す。大量の汗が頬を伝うのを鬱陶しいくらいに感じる。体は今すぐ逃げろと全ての細胞に訴えかけていたが、俺は結国さんから目を離せずにいた。

 

 俺の事なんざ知ったこっちゃないと言わんばかりに、彼女は続けて口を開いた。

 

 「愛すべき文化を破壊して社会を滅茶苦茶にする共産主義者や、生まれ育った国家を浅ましくも敵に売り渡す売国奴と違って、その蜘蛛さんには尊い命があります。無闇に命を奪ってはいけませんよ?」

 

 ・・・・・・怖い。ただただ怖い。この人ナチュラルに共産主義者と売国奴の事を生物としてすら扱ってない。おしっこ漏れそう。

 

 「共産主義者や売国奴は社会の癌です。いや、癌細胞未満の屑です。なんとかして社会全体で潰していかなければなりませんね」

 

 一番怖いのは上記の台詞を、まるで公園で遊ぶ児童を眺める時のように慈愛に満ちた表情で、眉ひとつ歪めずに言い放った事である。彼女に取ってこの発言は登校してきた同級生に『おはよう』と言う行為と同じで、挨拶となんら変わりない心境で言い放っていると言う事だ。

 

 誰かに注目されたい、自分は特別だと言う思いからの発言ではない。正真正銘、結国さんの心から出てきた発言であった。

 

 石区さんが赤ちゃんに見えるほどの、正真正銘の異常者が俺の目の前にいた。

 

 「悲しいことに世界には共産主義者と売国を唆す輩が浜辺の貝殻の如くたくさん存在しています。私たちはなんとかして輩を消していかなければなりませんね」

 

 お願いです。『私たち』に俺を含めないでください本当に。俺そんな事1ミリたりとも考えた事無いし、今まで普通に生きてきたんです。ただちょっと隣の席の子に陰謀論を吹き込まれる生活を送ってきていただけなんです。よく考えたら普通じゃ無いかもしれませんがどうか見逃してください。

 

 「共産主義者や売国奴共に国土を蹂躙されてはたまりません。防衛費をGDPの半分ぐらいまで上げて、日本全国の各家庭に携帯核兵器を配布すべきです。あなたはどう思いますか?」

 

 お願いです。俺を巻き込まないでください。そんな冷戦期まで存続してたナチスみたいな政策なんて御免被ります。もう家に帰らせてください。

 

 俺は知らず知らずのうちに後退りし始めていた。しかし2、3歩下がったところで背中に少し衝撃が走った。別の本棚が俺の後ろにあったのだ。

 

 なんだよ、図書室までこの極右に味方するのかよ、ふざけんなよ。

 

 「ゆ、結国さん。それ他の人にも言ってるんですか?」

 

 ようやく声の出し方を思い出した喉を振り絞り必死に話す。本気で言っているんですか?と言いたかったが、結局口から出てこなかった。もし言っていたら共産主義者扱いされて、街頭上に吊るされかねない。

 

 「いえ、こう言う事を言ったのは政無くんだけですよ。今日が初めてです」

 

  そう言って結国さんは俺が後退りした分、いやそれ以上に俺に近づいてきた。下手すれば吐息がかかりそうな位置まで追い詰められる。うるさく鼓動を奏でる心臓の音は、きっと命の危機によるものだろう。

 

 もうやだよぉ、なんで結国さんにこんなの吹き込まれなきゃいけないんだよお、おうちかえりたいよぉ。

 

 というかなんで俺にこんなこと言うんだよ。俺ちょっと会話しただけの同級生じゃん!!それがなんでこんなヤバい思想を初めて伝える相手にされるとかどう言うことなんだよ。誰か助けて。

 

 俺は泣きたくなった。赤ちゃんみたいに泣きじゃくりたくなった。前世で俺は何かしたのか?神様が取っておいたプリンでも食べちゃったのか?許してください悪気はなかったんです。俺は本当にあったのかも分からない前世の俺を殺したくなった。

 

 結国さんがぐいっと俺に顔を近づけてきた。ほんの10分ほど前には聖女みたいに思っていた顔に、今では『万歳』の2文字と日の丸が描かれた鉢巻が巻かれている幻覚が見えた。

 

 「だから、今日のことは秘密ですよ。2人だけの秘密」

 

 結国さんは『しー!』って子供にするように俺の唇に左手の人差し指を当てて、自身の唇に右手の人差し指を当てた。ほんの10分前ならドキドキしていたであろう光景も、今では命の危機でドキドキしている。

 

 「わ、わかりました・・・・・・」

 

 全力で承諾した。遠心力で頭が吹っ飛ぶんじゃ無いかってぐらい頭をブンブンさせて承諾した。 俺の様子がどこか滑稽だったのか、結国さんは微笑みながら「そんなに一生懸命にしなくても伝わりますよ」と言っていた。お前が言うな。

 

 俺はこの後逃げるようにして家に帰った。というか逃げた。家に着いてすぐにシャワーを浴びた後、一目散に布団へと直行した。そのまま布団にくるまって寝ようとした。

 

 怖くて眠れなかった。目を瞑ったら黒塗りの街宣車に乗った結国さんが、軍歌を鳴らしつつ後ろに共産主義者らしき人間を引き摺りながら追いかけてくる夢を見た。

 

 もう嫌だ、石区さんが恋しい・・・・・・

 

 

ーーーーーーーーーーーーー

 

 

 

 政無くんが逃げるように帰っていくのをじっと見つめる。辺りは既に暗く染まっていた。

 

 「ふふっ」

 

 中々に面白い人だった。やはり自分の見込みが正しかったことを実感してガッツポーズしそうになるが、誰かに見られているかもしれないので止めておく。

 

 「石区さんが羨ましく感じますね」

 

 彼と毎日お話しできてる彼女に、少し嫉妬してしまいそうになる。ああいう逸材は今後そう簡単には出てこないだろう。

 

 あそこまで思想の強い言葉を投げつけられて、文句の一つも出てこないのはもはや才能だ。普通の人間だったらとっくに逃げ出している。

 

 別に私が言っていることが嘘というわけでは無い。余すことなく全て私の本心だ。

 

 だが実際に実行したり、賛同者を集めたりすると言ったことはするつもりは無い。敬愛する日本の法律を自らの手で破るということは、流石の私でもしたく無かった。

 

 少し、悪戯してみたくなったのだ。あの訳の分からない陰謀論を嫌な顔せず聞いている政無くんに、私の全てを伝えたらどうなるか気になったのだ。

 

 私は昔から同年代の人より賢かった。だから私の思想は一生胸の中に秘めていようと思っていた。最初の頃はうまく行っていた。

 

 けど、歳を重ねていくにつれて、私の胸に秘めた思想を世に解き放ちたいという欲求が強くなってきた。人間、秘密にしようとすればするほど周囲に言いふらしたくなる習性があるらしい。

 

 なんとかしてこの欲求を発散しようとした。勉学に打ち込んでみたり、小説を書いて心を鎮めようとした。だが私の欲望は際限無しだったらしい。誰かに言いたい思いが、この胸の脂肪の塊のように際限なく膨れ上がっていった。

 

 そんな時である。教室の片隅で陰謀論を聞く彼を見かけたのは。

 

 彼は隣の席の彼女・・・・・・石区さんに、近くに寄ってギリギリのところでうっすら聞こえるレベルの声で、陰謀論を語り掛けられていた。

 

 正気かこの人。私は石区さんを見てそう思った。

 

 普通教室で陰謀論なんざ語らないし、ましてやそれをわざわざ特定の誰かに聞いてもらおうなんか思いつきもしなかった。

 

 だがそれ以上に驚いたのは聞いてる方、政無くんの方だった。彼はカブトガニはエイリアンの幼虫という何言っているのか分からない陰謀論を、時々相槌を打ちながら聞いていたのだ。

 

 その時、私は理解した。彼女は自分の全てを曝け出せる存在に出会っていたということに。

 

 心底羨ましかった。一回彼と話をしてみたかった。私の全てを伝えて、彼がどう思うのかを観察したくなった。

 

 だから今日この場で彼に話しかけた。私の思想全てを伝えたのだ。

 

 青い顔をして帰っていった彼を思い出すと、怖がらせてしまったと少し後悔する。今度会ったら拒絶されるかもしれない。

 

 拒絶されようがされまいが謝ろう。もし拒絶されなかったら・・・・・・その時はその時だ。

 

 私は明日を考えて、少しばかりクスッと笑った。

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