第3話

 明朗は購買部に並ぶ商品のうち、イチゴサンドを鷲掴みにし、「僕の勝ちだ!」と勝利を宣言した。

 そうして、ほっとした時、群衆は殺気立った目で明朗を見つめた。

 「おい、待て!」山之内氏が猛々しく言った。

「何だ。僕は昼休みが終わる前に、これを持って先生のもとへ行かなければならない。放せ。」

「だめだ。そのイチゴサンドを置いて行け。」

「僕にはイチゴサンドの他には何も無い。その、イチゴサンドも、これから先生にくれてやるんだ。」

「その、イチゴサンドが欲しいのよ。あなたが先生に渡すくらいなら、私が先生に渡す。」村山氏も引く気はない。

「さては、君たち、僕が獲得するのを待ち伏せしていたんだな。」

 山之内氏や村山氏たちは、ものも言わず一斉に上履きを振り挙げた。明朗はひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、その上履きを奪い取って「気の毒だが正義のためだ!」と猛然一撃、たちまち、群衆のほとんどを殴り倒し、残る者のひるむ隙に、さっさと走って廊下をわたった。

 一気に階段を駈け上がったが、流石に疲労し、明朗は幾度となく眩暈を感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。立ち上る事が出来ないのだ。

 切れかけた蛍光灯の下で、くやし泣きに泣き出した。ああ、強敵の二人を撃ち倒し、ここまで突破して来た明朗よ。勇者メロスに勝るとも劣らない、もう一人の勇者明朗よ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。

 ドル友は、おまえを信じたばかりに、やがて廊下に立たされなければならぬ。おまえは、勇者メロスの稀代きだいの後継者、ここで頑張らねば、と自分を叱ってみるのだが、全身萎えて、もはや芋虫ほどにも前進かなわぬ。渡り廊下の便所前にごろりと寝ころがった。

 身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな不貞腐された根性が、心の隅に巣喰った。僕は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。勇者メロスも照覧、僕は精一ぱいに努めて来たのだ。動けなくなるまで走って来たのだ。

 僕は友を欺いた。ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。同時に、明朗ははたして自分の選択は正しかったかと自責の念にとらわれた。

 イケメンの先生はたいして悪ではないのではないか。実際、あのイケメンが僕に何かしたか。公共に対して何かしたか。それが定かでない。あの大人の考えていることは不明瞭だ。僕の心はいつだって波乱だというのに、なぜあんなに落ち着いていられる。なぜあんなに、真っ直ぐと立っていられる。

 いや、しかし、あのイケメンは隣のクラスのなんとかかんとかの名を持つ女生徒を悲しませたのだ。それは許しがたいはずだ。社会通念上、女子を泣かしてはいけない。いや、泣いてはいなかったかな、あんまり覚えてないや。

 とにかく、あのイケメンは悪だ、悪だ、悪だ。きっと、悪であれ。伝えるべきことをきちんと伝えないなんて、それはもう、強力な悪になりえる。少なくとも僕は許せないし、きっと社会もそれを許さない。そもそも、イケメンの先生なんて、反則すぎないか。なんであんなにカッコいいの?

「あんのイケメンめぇぇぇ、でも憧れるぅぅぅ」

 嫉妬と憎悪の果てに、明朗は新しい勇気を手に入れた。たとえ負の感情から生じる行動力であろうとも、構わない。自分以外の者も肯定していたい、大事にしたい、そう思った。

 廊下を歩く生徒たちを横目に、明朗は、脱げた上履きや乱れた制服を気にもせず、ただ青々しく走った。生徒会の連中とさっとすれちがった瞬間、不吉な会話を小耳にはさんだ。「芹輝が掃除狂いになってるぞ。」ああ、その男、その男のために、僕は、いまこんなに走っているのだ。急げ、明朗。もうイチゴサンドはこの手にある。自分の中の正義を、いまこそ知らせてやるがよい。風態なんかは、どうでもいい。呼吸も出来ず、二つ、三つ、イチゴサンドからイチゴがはみ出た。匂う。はるか向うから、職員室のコーヒーの香りがやってくる。いつまでも黒い黒い匂いは、なぜかいつもより優しい。

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