第2話

 明朗はイチゴサンドへの道のりを甘く見ていた。もちろん、本校において一番人気の品物であるということは心得ていた。群れる人をかきわけ、この色白い手をぐいと伸ばす必要があることは承知していた。しかし、競争は想像を遥かに超えていたのだ。

 まず、同じクラスの山之内氏は非常に強敵であった。彼は大きな体格を武器に、周囲に怒号を浴びせながら、購買部のおばちゃんの元へと前進する。恐れをなした群衆は、彼が近づくと、大きな隙間をつくっていった。もはや彼は自身の腕力を持て余していた。彼がイチゴサンドを手に入れるとき、毎度のようにイチゴがはみ出ていた。

 加えて、隣のクラスの村山氏も尋常ではない。ときおり、奇声をあげながら、前進する。しなやかにその身を扱い、群衆の間を縫っていく。イチゴサンドは彼女の手に吸い込まれるようにして、瞬く間に消えていく。

 イチゴサンドは一日に二つしか売られていない、本校における超限定品である。すなわち、明朗がイチゴサンドを手に入れるためには、この二人に勝たなければならないことを意味していた。しかし、来る日も来る日も、明朗は二人には勝つことができなかった。そうして、十日が過ぎた。

 僕は、今度、廊下に立たされる。そのために走るのだ。身代りの友を救う為に走るのだ。先生の奸佞(かんねい)邪智(じゃち)を打ち破る為に走るのだ。走らなければならぬ。そうして、僕は廊下に立たされる。さらば、僕のクラスの掃除の責務よ。

 まだ中学生の明朗は、つらかった。幾度か、もういいかな、もうやめようかな、疲れちゃったよ、と思った。それでも、えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら走った。

 今日もまた、教室を出て、廊下を横切り、購買部に着いた頃には、いつものように山之内氏と村山氏は乱闘を繰り広げていた。明朗は額の汗をこぶしで払い、彼らの乱闘に交じった。

 イチゴサンドは、きっとおいしいだろう。しかし、僕には、いま、なんの気がかりも無い筈だ。それを先生に食べさせてあげれれば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。離任式までには、まだ一か月以上あるじゃないか、と持ちまえの呑気さを取り返し、好きなアニソンを、フンフンと歌い出した。翌日、翌々日と、怠惰なレースを繰り返した頃、降って湧わいた災難、明朗の足は、はたと、とまった。

 見よ、前方の購買部を。今まで購買部では見かけなかったイケメンの姿がそこにあるではないか。男子生徒たちは気さくに先生に話しかけ、女生徒たちはメロメロになっているではないか。例の山之内氏も例外ではなく、「先生、イチゴサンド譲りますよ!」などと述べている。村山氏も「先生、バレンタインは何チョコがいいですか!」などと訊いている。

 そうだ、そうだった!

 早急に先生に届けなければならないものがある!

 明朗は茫然と、立ちすくんだ。あちこちと眺めまわし、また、声を限りに「先生!」と呼んでみたが、イケメンは購買部を華麗にスルーして、いよいよこの場を立ち去ろうとしていた。

 明朗は群衆の後ろでうずくまり、男泣きに泣きながらメロスに対して哀願した。

「ああ、鎮めたまえ、荒れ狂う生徒たちを。時は刻々に過ぎて行きます。今はお昼休みの中頃です。終わりのチャイムが鳴ってしまわぬうちに、イチゴサンドを手に入れることが出来なかったら、あの良い友達が、私のために廊下に立たされるのです。……今だ、群衆がイケメンに目を奪われている今こそ好機!」

 群衆は、明朗の叫びをせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。浪は浪を呑み、煽り立て、そうして時は、刻一刻と消えて行く。

 今は明朗も覚悟した。群衆に混ざる他無い。

 ああ、勇者メロスも照覧あれ。濁流にも負けぬ正義の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。

 明朗は、ざんぶと流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う生徒たちを相手に、必死の闘争を開始した。満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきと掻きわけ掻きわけ、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、勇者メロスも哀れと思ったか、ついに憐愍れんびんを垂れてくれた。押し流されつつも、見事、商品棚の脚に、すがりつく事が出来たのである。ありがたい。僕はいま、勇者メロスのようになれている、そんな気がする。

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