第4話 覗きの現場
そんなお城というのは、その場所によって、当然、遺構であったり、縄張りが違うのだから、公園も、場所によってまったく違っていたりするというものだ。
さらに、この土地は、昔から、いろいろな勢力が、いわゆる、
「群雄割拠」
ということで、絶えず、その戦を細かいところで繰り広げていたこともあって、
「城をこまめに作り変えていた」
ということで有名なところであった。
一つの国で、まるで三国志のように、それこそ、
「三すくみ」
であったり、
「三つ巴」
という形で作られていたりするのであった。
この土地は、三つ巴というよりも、三すくみと言った方がいいかも知れない。
そういう意味では、
「お互いに、うかつには手を出せない」
という意味で、さらに、それぞれに強固な城を築城することで、余計に攻めてに欠けるといってもいいかも知れない。
そもそも、三つ巴であれば、
「一つが力を入れれば、それぞれに、同じ力を発揮することで、その均衡は保つことができる」
ということで、その力を
「いかに近郊に保つか?」
ということを考え、この場合も、
「うかつには手を出すことができない」
といえるだろう。
しかし、もっと厄介なのは、
「三すくみの関係」
ということで、
「三つ巴」
という、正三角形の形では、お互いに、
「自分が潰れないようにするには、
「相手を倒すこともできないが、無理をして均衡を壊せば、下手をすれば、それぞれに潰れてしまうことで、結果として、生き残ることができない」
ということになるのだ。
しかし、三すくみというのは、
「自分を含めたそれぞれが、それぞれに対しての力関係がしっかりしていて、しかも、それぞれの他の二つに対して。強弱という意味での均衡が保てている」
ということになるのだ。
三つ巴が、
「平衡状態」
ということの力関係によって、その均衡が保たれるのに対し、三すくみというのが、
「それぞれの力関係が、ひっぱる力として、平衡状態になる」
という均衡がいかに保たれるかということが問題になるのだ。
だから、
「三すくみというのは、動くこともできない力関係」
ということになる。
つまりは、
「お互いに、その力関係を距離とみなして、動いてしまうと、均衡は、片方に寄ってしまうことで、余計に、動けない」
ということになるのであった。
もし、自分が動いてしまうと、自分は当然のごとく、自分が優位に立つ相手に襲いかかることになる。
そうなると、自分は、襲い掛かったものを滅ぼすことはできるのだが、そのせいで、自分を襲おうとしている、自分よりも強い力を持った相手の抑止力と、自分から外してしまうということになるのだ。
それこそ、
「自殺行為」
というもので、
「力関係というものの均衡」
というのは、
「自分の中に、
「正と負」
という関係がそこにあり、それを自らが壊してしまうと、残った二つの力関係からすれば、
「圧倒的に自分が不利」
ということであり、最終的に生き残るのは、
「自分よりも強い相手」
ということになるのだ。
だから、三すくみの場合というのは、
「自分から動くことのできない」
ということだといってもいいだろう。
それを考えると、
「三すくみというのは、力の均衡を抑止するのは、バランスだ」
ということになるのだ。
三つ巴」
というものの場合は、その力自体が拮抗しているので、どことどこがぶつかったとしても、どちらが勝つかということの想像はつかない。
だから、最初に手を出そうがどうしようが、力関係に対しては関係がないのである。
しかし、
「二回戦やるよりも、一回戦、つまり決勝だけであれば、体力的にも有利である」
ということから、できれば、相手が潰しあいをしてくれるのが、一番ありがたいということになるであろう。
それを考えると、三つ巴というのは、
「一歩間違えれば、永遠に終わりのない戦になるかも知れない」
ということだ。
こちらが、
「これ以上戦えば、体力がない」
と分かったところ、相手も同じタイミングで同じことを考えるだろう。
勝負がつかないほどの力関係であれば、
「交わることのない平行線」
ということになり、
「三すくみにおける抑止力」
というものを感じなくとも、戦になれば、決着がつかないということで、それが、
「抑止力」
というものの代用をするといっても過言ではないだろう。
つまり、
「三つ巴」
というものにも、
「抑止力」
というものは存在し、結局、
「三すくみと三つ巴の違い」
というのは、
「永遠に続く平行線」
というものなのか、
「どこかで限界のあるものではあるが、力関係という意味では平行線でしかない」
ということで、三つ巴というのは、
「無限に続く平行線」
といってもいいかも知れない。
ただ、その場合は、
「交わることのない」
ということに関しては、信憑性のないものなのかも知れないということで、
「平行線というものは、無限に続くものと、どこかで限界というものがあるというものの、両方が存在する」
といってもいいのかも知れない。
それを考えると、
「この国の三つに及ぶ、三大勢力というものが、三つ巴だったのか、三すくみの関係だったのか?」
ということをどう証明すればいいのだろうか?
少なくとも、戦は行われていたということであり、
「それでも、三つともすぐに潰れるということはなかった」
というのが、その答えだったといってもいいのかも知れない。
その三つの城のうちの、
「一番小さくて、目立たない城」
というところが、最近では、一番、
「カップルが最近多いところ」
ということで、ひそかに有名になっていた。
小さい公園なだけに、覗きも多く、その分、警察の方としても、そこは分かっていたのだが、プライバシーの問題もあって、勝手に警備を強化するということもできなかった。
「カップルを覗くというのは、立派な犯罪なのだろうが、だからといって、警察も暇じゃないしな」
ということだったのだ。
確かに、カップルが多いから覗きが増えたというだけで、他の事件が起こったわけではない。
「トラブルからの喧嘩」
であったり、
「ひったくり」
などという、
「警察が出動しなければいけない」
というような事件の発生というわけではない。
それでも、警察のパトロール地帯ということもあり、一応警備にも当たってはいる。そのたび、警察官としても、
「おいおい、いい加減にしろよ」
と言いたいくらいに大胆なカップルもいたりする。
そんなカップルのことを交番で話す、上司と若い警官であったが、さすがに上司は、長年の経験からか、それくらいのことでいちいち驚かない。
むしろ、若い警官の方が照れている様子を見て、
「最近の若い連中はシャイなのかね?」
というのであった。
「シャイというと?」
と、若い警官が聴くと、
「いやいや、俺たちが若かった頃というと、アベックに対して、必要以上な反応で、本当はいけないのだろうが、自分たちもできることなら、覗いてみたいなんて、血気盛んだったものだよ」
というのだった。
すると、若い警官は、キョトンとしている。まるで、頭のてっぺんに、マンガみたいな、
「?」
マークがいくつも出ているような感じであった。
すると、若い警官が聞いてきた。
「アベックって何ですか?」
というではないか?
という、実に意外なリアクションが返ってきて、
「ん? そっちか?」
と思わず、上司は聞いたものだ。
「いやいや、アベックって言わないか?」
というので、
「いいえ、初めて聞きました」
というのだ。
そこで、上司も、少し冷静になって考えてみると、
「ああ、そういえば、最近、アベックって言わなくなった気がするな」
というと、
「ええ、少なくとも自分は聞いたことがないです」
といって、実に真面目な顔で答えたのだ。
それを見ると、さすがに、さらに冷静になった上司は、
「だけど、アベックホームランとかいう言葉だってあるんだけどな、それも聞いたことないか?」
と聞くと、
「ええ、初めて聞きます」
と言われて、今度は上司の方が、自分の頭に、
「?」
マークが写っているのを感じたものだった。
「いや、アベックというのは、今でいえば、そう、カップルのようなものかな? 例えばだけど、相合傘を刺しているような男女がいれば、アベックなんて言ったりしたものだよ」
と言いながら、上司はカップルという言葉と比較して考えていた。
実際に初めて聞く若い警官は、それ以上を想像することなどできるはずもなく、勝手に想像しようにも、同じ、
「そうぞう」
という言葉であっても、
「自らが作り出す」
という意味での、
「創造」
という方になってしまいそうな気がするのであった。
すると、少し考えがまとまってきた上司が、
「カップルというよりも、アベックという方が濃密な気がするかな?」
と呟くと、
「それはどういう意味ですか?」
と、若い警官はまだピンと来ていないようで聞き直した。
「カップルも、アベックも、それぞれ、他でも単語として使うことはあるのだけど、カップルという言葉の方が、もう少し広い意味に感じる。アベックという方が、人間に近い感覚があり、カップルというのは、つがいという言葉全般を表しているかのように感じるんだけど、気のせいなのかな?」
というのだった。
もちろん、言いながら、
「いや、本当にそうなのかな?」
と感じながら答えていたが、それも、言葉の意味が言いながら、次第に曖昧になっていくように感じているからだったのだ。
若い警官とすれば、
「話をする方が混乱しているのだから、分かるわけもない」
ということに、自分で気づいているのだろうか。
さすがに警察官ということで、そのあたりの勘であったり、考察というのは、訓練されたものであってしかるべきだと本人は思っただけに、なかなか理解できないことを、
「それだけ、時間が経っているということであろうか?」
と感じているのであった。
警察官というものは、
「時代の流れに対して敏感にならなければいけないのか?」
ということを考えることもある。
特に、毎日のように、パトロールに出かけ、市民と一番寄り添っている立場にいると思っている交番勤務の警察官は、世間の話題に対して、
「一番敏感でないといけない」
と思っている。
若い警察官は、
「こんなところで、ずっと終わるつもりはない」
と思い、近い将来、刑事課で、刑事として事件の捜査に携わるということを夢見ているといってもいいあろう。
しかし、中には、自分の父親くらいの年齢の上司がいて、その人は、
「きっと、交番勤務のまま、定年を迎えるんだろうな」
と思うのであった。
最初は、
「耐えられないだろうな」
と、プライドが邪魔すると思っていたのだが、一緒にいると、本人は、
「まんざらでもない」
と思っていて、
「年を重ねるごとに、そう感じてくるのではないか?」
と感じ、
「自分もいずれはそうなってしまう」
ということを思うと、これほど恐ろしいことはないと思うようになるのであった。
それを思うと、
「先輩や上司の行動をしっかりと見ていないと、いずれは、自分を見失ってしまうことになりかねない」
と考えるのだ。
そんな交番勤務の若い警官が、その日は、佐久間城というところを警備するようになっていた。
ここは、前述のように、他の城址公園に比べると、少し小さめだった。
しかし、その分、掃除が行き届いているからなのか、こぎれいになっている。それだけに、アベックの数も多いようで、それは、こじんまりとした公園なので、そう感じるからなのかも知れない。
ただ、きれいだというのは、この城址公園は、比較的新しく、実際に、この辺りの城址公園を整備した時、一番最後に整備された公園だから、それも当たり前といってもいいだろう。
そういう意味では、最初に整備されたところは、
「そろそろ、再整備が必要」
ということで、最初に整備された時が、昭和の終わり頃ということで、実際に、老朽化も考えられる頃であった。
ただ、元々他の公園があったわけではないので、公園として、一つだけだったこともあって、アベックにしろ、何かのイベントにしろ、ここしか集まるところがなかったということで、その当時の連中が、結構荒らしてしまっていたことが原因ではないだろうか?
今のように、
「タバコであったり、酒類など、基本的には公園で吸ったり飲んだりしてはいけない」
ということになってからは、おとなしくはなっているが、昔は、ほとんど、誰も何も言われることもなかったことで、散らかり放題だった時もあったのだ。
今でも、若干は、
「荒れ放題」
という状態になっているが、
「まわりの目」
というものがあることで、必要以上に、何もできるわけではないのであった。
だから、昔からある公園は荒れ放題。今のように、高齢者が、公園を掃除するというようなこともない。
今の時代は、
「政府のせい」
ということで、
「高齢者が働かないと生きていけない」
という時代ではなかったので、それこそ、、一部のボランティアが掃除するか、あるいは、バイトでんも雇って、たまに定期的に掃除をするかという程度であった。
今の時代は、
「少子高齢化」
ということが叫ばれ、会社が定年退職になっても、年金受給まで、五年あるというのが当たり前になっている。
本来であれば、会社が、本人が望めば、
「65歳までの継続雇用」
というものをしなければいけないはずなのだが、それをしたくないために、その社員に、
「定年退職になれば、辞めます」
と言わせようとするのだ。
何しろ、経費節減なのかどうか分からないが、
「継続雇用」
ということになると、
「給料の三割カット」
というのが当たり前のようになり、当然、立場は、
「嘱託社員」
あるいは、
「契約社員」
という扱いになるだろう。
しかし、実際にそうなって給料が下がったとしても、やることは、
「今までと一緒」
ということになるのだ。
「定年になれば、継続勤務を、契約社員として給料は下がるのはしょうがないとして、あとは、ゆっくり余生を過ごす」
ということを考えていた人には、あまりにもきつい状態である。
そもそも、昭和の頃までは、
「55歳で定年になれば、そこから年金が普通に出て、悠々自適の第二の人生」
というものができるというのが当たり前だった。
「定年になったら、嫁さんと、世界一周旅行にでも行こうか?」
などという、今では、完全に夢物語という時代なのだが、実際には、
「本当にありえることだった」
といってもいいだろう。
しかし、今では、それまでもらっていた給料の半分以下が年金の金額ということになり、その中から、健康保険や市県民税まで払うということになるというのは、理不尽極まりないといってもいいだろう。
やはり、十数年前に、政府が、
「消えた年金問題」
というものを引き起こしたのに、本来であれば、
「警察に捕まってもよかったり」
さらには、
「裁判に掛けられてもしかるべき」
ということなのに、そんなことはなく、時間が経てば、国民も忘れているということになっているのだった。
しかし、今の時代において、
「誰が、政府の悪行を正す」
というのか、
野党もすっかり、
「腰抜け」
になってしまい、まったく機能していないことから、
「政府のやりたい放題」
野党は、
「生き残りのために、政策が違うとしても、なりふり構わず、選挙に勝ちたい一心で、プライドを簡単に捨てるのだから、誰が期待するというのか」
というレベルに置かれているのである。
ちょうど、この一番新しい城址公園が築かれたのは、そんな
「消えた年金問題」
と言われていたころで、
「まだまだ新しい」
といってもいい公園だったのだ。
だから、狭くても、きれいだということで、アベックが集まってくる。
だが、それでも、
「賑やか」
ということはない。
「そもそもきれいなところを汚したくない」
という思いがあるからなのか、小さな公園でも、汚れが目立つこともなく、声が響くこともない。
それだけに、余計に不気味だといってもいいだろう。
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