第2話 敵認定
SNSなどにおいて、
「誹謗中傷」
などが社会問題となり、そこで生まれてきた問題はいくつもあるだろうが、その中で、前章では、
「個人情報」
などというものが問題だということになるものを示したことに、
「ストーカー問題」
というものの存在が大きいということを、指摘した。
しかし、もう一つ、問題があるとも書いたが、その問題というものとして、
「詐欺関係の問題」
というものがあるということである。
これは、インターネットの普及が行われた、時代的には、
「世紀末」
と言われていた時代であるが、その頃になると、一つ大きな問題として、
「コンピュータウイルス」
という問題が出てきた。
インターネットの普及によって、一番変わったことは、会社などで、今までであれば、個人で指揮命令系統が流れていたものが、、メールというもので伝えられるようになってきた。
インターネットが普及する前というのは、
「相手の顔を見てしっかり命令しないと相手に伝わらない」
と言われたり、
「命令を受けるのも、相手の顔をしっかり見て聞かないと、相手に分かったどうか分からない」
ということであった。
だから、いくらネットの普及が著しいといっても、
「メールの文章だけ」
というと、普通は、
「相手に失礼ではないか?」
と考えてしまうような時代であった。
今でこそ、メールや、それに付随したコンピュータによる伝達というものが、主流になっているので、当たり前のことと思われるであろうが、昔の、
「アナログ」
と言われていた時代は、まさにそうだったのだ。
今では当たり前のメールであれば、
「言った言わない」
という議論になるということはない。
つまりは、
「相手に対して、証拠を残す」
ということが大切だということを、その時は、そこまで意識としてはなかったのではないだろうか?」
もっと言えば、メールのなかった時代であれば、それこそ、
「命令書」
というようなものをきっちりと書いて、印鑑まで押すくらいの入念さがあってこそでなければ、
「言った言わない」
という問題は解決しないということになるのであろう。
つまりは、昔であれば、
「言った言わない」
という議論をいったとしても、しょせんは、文章で残していないのだから、
「結局仕方のないことだ」
ということで、
「文章に残さなかった方が悪い」
ということは、やまやまだということになるのだろうが、それまでは、
「それはそれで、もう仕方がない」
ということで、結果的に、
「力の強い方が、正義だ」
ということになるのではないだろうか?
つまり、今でいえば、
「パワハラだ」
と言われるものが幅を利かせていた時代であり、それを皆、
「理不尽だ」
と思いながらも、
「それはそれでしょうがない」
ということになるのであろう。
それだけ、会社などでは、
「年功序列」
ということであり、
「会社の秩序は、その力関係で決まってくる」
ということになったのだ。
それを皆が、
「それが当たり前のことだ」
と考えていたから、
「トラブルにはなっても、最後には、理不尽でありながらも、その時代の理屈が解決する」
ということになるのである。
今でこそ、
「コンプライアンス」
というものが厳しく、上司の威厳などというものは、それほど力を持っていないということになると、本来であれば、
「カリスマを持った上司」
がいることで、その部署の秩序や、治安が守られているというのが、当たり前で、正しいことだと考えられていたものが、それを、すべて否定してしまうということになると、いくら、
「時代が変わった」
とはいえ、その問題をいかに解決するのか?
ということが問題となるだろう。
やはり、時代の一大転換期というものがあったとすれば、
「バブルの崩壊」
というものが大きかったかも知れない。
その理由として、
「終身雇用」
「年功序列」
というものの崩壊というのが大きかったに違いない。
「年功序列」
というものは、前述であったが、
「終身雇用」
というものがなくなると、今度は正社員である必要はなくなる。
だから、上司が部下に対しての厳しい教えなどというものが、根本から崩れていく。
「正社員」
だけが会社の仕事をしているという考えがなくなり、
「派遣社員」
などという考えが生まれて、
「非正規雇用社員」
というものに、安い給料で、賄えるところは賄えさせるという、会社にとっての、
「経費節減」
というものができているというもおのだ。
そうなってくると、
「社員を厳しく育てるということがなくなり、正社員が、なだめながら、派遣社員をうまく使って、仕事をさせる」
ということになるのだ。
だから、メールでの指示伝達というのも当たり前のことになり、逆にその方が、
「言った言わない」
ということでの証拠が残るという意味でも、
「メールによる伝達」
というものが、普及していくということが、本当に主流になってくるといっても過言ではない。
それが、そのうちに、
「便利なネット社会が、下手をすれば、命取りとなり、ウイルスの餌食になりかねない」
ということになるであろう。
そんな時代における
「メールのやり取り」
を、便利にすることを許さない連中がいた。
やつらは、その、
「便利なアイテム」
というものを、自分たちに都合のいいものということで扱うようになったのだった。
そのアイテムというのは、
「専門家の集まり」
としては、これほどありがたいものはない。
なぜかというと、
「コンピュータの時代」
というのは、その道のスペシャリストであれば、これほど扱いやすいものはないのだが、
「古い頭で凝り固まった人間からすれば、これほど、厄介なものはない」
といってもいいだろう。
だから、パソコンが普及してきた時代においては、
「ある程度仕事をこなしてきた中高年くらいになると、自分たちの時代の人間では、使いこなせない」
という人間と、
「学校でしっかりと勉強してきて、パソコンという武器を使って、これからの世の中を乗り切っていく」
という両極端な人間が生まれた。
パソコンが得意な人間は、
「ウイルス作成」
という難しい任務に従事する人間を、お金という餌を使い、
「いくらでも、お金は手に入る」
という甘い状況を見せておいて、
「社会の役に立つための就職」
というそれまでと違い、社会は、ちょうど、
「バブル崩壊」
という時代になってしまったせいもあって、
「何と理不尽な」
ということを思わせる時代であった。
何といっても、バブル崩壊となる数年前は、逆に職探しをしている学生にとっては、
「売り手市場」
だったのだ。
何といっても、
「事業を拡大すればするほど儲かる」
という時代で、だから銀行も、
「過剰融資」
などというものを使い、
「バブル崩壊」
などということは、夢物語ということで、想像もしていなかっただろう。
しかも、
「銀行は絶対に潰れない」
という、
「金融機関の不敗神話」
というものを、真剣に、そして真面目に信じていたに違いない。
だから、銀行は簡単に、
「過剰融資」
というものを行い、そして、実際に自転車操業の油が切れなかった来ていることにも気づかないということになったのだった。
だから、どんどん社員を雇い、事業をどんどん拡大することに躍起になるのだった。
もし、少しだけ、
「怪しい」
と思った人がいたとしても、
「一時的なものでしかない。すぐに景気が良くなり、今までのように、儲かるに違いない」
というように信じて疑わない人がほとんどだったということであろう。
だから、
「バブルの末期は、人手不足だった」
ということで、その人手不足を解消するために、
「企業は優秀な人材をつなぎとめておくことに必死だった」
ということである。
「人材はいくらいてもいい」
というくらいに、内定者を、
「一人として手放したくない」
ということになる。
つまり、内定者を全員足止めする必要があるわけで、中には、いくつもの内偵をもらっている社員もいるだろう。
大企業であっても、他にもらった会社が自分のところよりも格が上の会社だってあることだろう。
つまり、
「いくつもの一流企業から内定をもらっている」
という優秀な人材である。
そのために、入社前に、
「研修と称して、海外旅行に連れていったり、下手をすれば、クラブでの接待のようなこともしていたに違いない」
人材を引き留めておくことは、得意先から仕事を請け負うよりも、もっと大切なことではないだろうか?
といっても過言ではない。
それを考えると、
「どんなことをしてでも、人材を逃すわけにはいかない」
ということで、入ってきた新入社員は、それこそ、ぬるま湯に浸かったかのような社員だったのだ。
しかし、数年たてば、その立場はまったく変わってしまう、
「ぬるま湯」
だった彼らは、今度は逆に大きなしっぺ返しを食らうことになる。
というのは、
「バブル崩壊」
という煽りを食うことで、会社は、
「収益が得られないのであれば、経費節減しかない」
ということで、一番の、
「金食い虫」
である人件費を削ることを手始めに考える。
それが
「リストラ」
というものであり、そのやり方として、ターゲットに上がるのは、
「数年前に、甘い汁を吸わせた連中」
というものが、一番のやり玉にあがるだろう。
ある程度の給料も保障して入社させたのだから、かなりの条件で入社にこぎつけたはずだ。
そうなると、今度は、その給料分が、
「もったいない」
ということになるのだ。
今までラクをさせていた分、今度は、そのツケからか、一番最初のリストラ候補になるわけだ。
彼らは、
「将来の幹部候補」
ということで雇ったのであって、今はまだ、そのための研修期間だというようなものであった。
しかし、実際には幹部候補として雇ったはずなのに、まだ、第一線で仕事をしているのだ。
「同じ成果であれば、給料が安い連中を残す方がいい」
ということで、このままの経済であれば、幹部候補とはいえ、給料を食いまくっている連中を残すことで、目先の商売が先ゆかなくなっているので、そういう意味では、
「リストラ候補」
というと、まずは、
「金食い虫から」
ということになってしまうことであろう。
そんな人たちから、会社は、遠慮なく切っていくのだ。あれだけ、会社は、
「必要な人材」
ということで、囲い込みに走ったはずなのに、社会が変わったことで、会社も容赦しないということになる。
そうなると、今度は、
「優秀な人材」
というものが、
「失業者」
ということで、社会に溢れることになる。彼らは会社から、
「余剰人員」
ということではじき出されたのだ。
もっとも、それは、
「最初にはじかれた」
というだけのことで、残った人たちも、そのうちに、どんどんリストラ対象にされてしまう。
段階を経て、どんどん人員が減っていき、そのうちに、
「早期退職募集」
などということで、
「今のうちに、自分から退職を言い出せは、退職金は、少し色を付ける」
ということであった。
確かに、どんどん会社から段階を経て人が辞めていくというのを見せられると、会社側も、
「冗談ではない」
ということで、
「いずれは自分が」
と怯えながら、仕事をしなければいけなくなる。
そして、いつの間にかリストラ対象となり、いきなり、会社から首を言い渡される。
そうなると、家庭を持っている人は、さすがに家族に、
「会社を首になった」
とはいえずに、朝は会社に行くふりをして出かけ、夕方まで、どこかの公園で時間を潰す」
というような、そんな惨めな人が増えたのであった。
職探しをしても、見つかるわけはない。
どこの会社も人キリに走っているので、失業者が街にあふれるばかりであった。
そんな、世知辛い世の中であったが、最初に首を切られた若い連中に目を付けたところがあったのだ。
それが、いわゆる、
「闇の組織」
と言われるところで、そこは、
「本当に優秀な人材」
というものを求めていた。
しかも、それは、
「コンピュータによるシステム開発に長けた人」
ということであった。
特に、
「プログラミング言語に明るい」
という連中であった。
特に、リストラの初期に首を切られた、
「優秀と思われる連中」
というのがたくさんいたと思われるそんな若い連中こそが、
「闇の組織」
としてはありがかたった。
その組織というのは、
「コンピュータウイルスを開発して、社会を混乱させる」
ということを目的とした組織であった。
その組織の最終目的は分からないが、
「今のうちに、金をためておく」
という目的は、どの組織にも共通して言えることであった。
そして、その共通目的のせいなのか、その組織のやり方は酷似していた。
「ウイルスをばらまくことで、個人情報やパスワードを盗むことで、簡単に、金を手に入れる」
というやり方であった。
そもそも、崩壊したバブル経済というのは、
「実態のない、泡のようなもの」
ということで、
「実態がないからこそ、あんなにあぶく銭と言われるようなものが蔓延ることで、誰もが、バブルの崩壊を想像もできなかった」
ということである。
「事業を拡大すればするほど、本当に儲かった」
それは事実であった。
しかし、そんなバブル経済というものにも、
「限界があった」
ということである。
古典で、そんな当たり前のことは、習ってきたではないか。そう、
「平家物語」
というものを勉強していれば、そこから学ぶことはたくさんあったはずだ。
「諸行無常」
「盛者必衰」
などという言葉が冒頭で並び、一代で栄華を手に入れ、
「平家にあらずんば人にあらず」
などという言葉があったくらいに、栄華を誇った平家が、数十年で一気に滅んでいく姿が描かれているではないか。
または、それから、500年後くらいに、今度は、
「豊臣家の滅亡」
というのも、同じように、一代で築いた天下が、その人が死んだことで一気に滅亡へと追いやられるのであった。
そもそも、平家には、
「教訓:
というものがあった。
敵であった、
「源頼朝」
を、義理の母の命乞いということで、本来であれば、処刑するべきものを、
「命を助けて、島流しにした」
ということで、結果的に、彼に平家一門を滅ぼされることになった歴史があった。
それを、知っていた徳川家康は、
「豊臣家の滅亡」
へと舵を切ったのだった。
豊臣家、平家というのは、実は結構似ているところがある。
「一代で、栄華をほしいままにした」
ということもその一つであったが、清盛が、
「まだまだ武家が貴族の使い走り」
という状態であったものを、
「昇殿が許される」
というところまで短期間で上り詰め、貴族の官位の最高位までいき、天下を握るところまで行ったのに対し、秀吉も、農民の出でありながら、信長亡き後、その敵を討ったということで、一気に立場を引き上げ、さらには、休むことなく、天下統一を一気に進めたことで、まわりも、
「従わなければいけない」
という状態になった。
しかも、秀吉には、
「たぐいまれなる、人たらし」
と言われる、
「人心掌握術」
というものがあった。
それを考えると、
「平家と豊臣家」
というのは、
「その前後の歴史にまで似たような影響を与えた」
ということで、
「時代が離れていても、歴史は繰り返す」
ということを証明しているかのようであった。
そんな、
「いつまでもある」
と思われるような、
「平家の世」
であったり、
「戦のない世」
というものを確立したかに見えた、
「豊臣政権」
であっても、
「カリスマ性の人物が、一人いなくなっただけで、いとも簡単に崩壊するという政権だったのだ」
しかし、これは、
「もろ刃の剣」
のようなもので、
「カリスマ性がなければ、天下の統一などできるわけもなく、かといって、二代目が、初代よりも優秀なのか? というところなので、果たして、本当に、天下泰平の時代が来るのかというと実に難しい」
カリスマ性の人間というのは、えてして、後世を考えてはいるが、自分にカリスマ性があることをどこまで分かっているかということで、子供がどこまで自分に近づけるかということが分からず、結局、
「今までの家臣に、委ねるしかない」
ということで、
「カリスマ性のある主君が死ぬのを待っている」
かのような家臣ばかりだと、まず、一代で滅亡する運命だといってもいいのではないだろうか?
バブルなどもそんな時代だったのかも知れない。
誰もが、
「神話」
というものを信じて、崩壊した時も、しばらくは、信じられないということだったのではないだろうか?
そういう意味で、
「盛者必衰」
であったり、
「諸行無常」
という言葉は、
「形あるものは、必ず壊れる。無限ではない」
ということを示しているのであった。
だから、バブルというのも、
「実態のないもの」
ということで、
「夢まぼろしのごとくなり」
といってもいいのではないだろうか?
そういう意味で、信長が好んだと言われる、
「敦盛」
の一説である、
「人間50年」
しかも、彼が暗殺されたのも、ちょうど49歳で、
「50歳に満たなかった」
というのも、何かの因縁があったということなのかも知れない。
バブルが弾けてからというもの、間違いなく世の中は変わった。
特に会社経営などということが大きく変わったことで、社会構造も大きく変化したのである。
特に、
「雇用体制の変化」
というのは大きな問題で、今も、いろいろなところで、問題が出てきているといっても過言ではないだろう。
特に、
「非正規雇用」
というものが大きい。
何といっても、
「年功序列」
「終身雇用」
というものが崩壊した。
「だから、一つの会社に、ずっと勤めるということが、それまでのように、美徳ということがなくなってきた」
ということである。
昔であれば、
「もっと実力主義でもいいのに」
と思っていたのは、まだまだ膨れ上がっていたバブル経済だったからのことで、崩壊してしまうと、
「実力があろうがなかろうが、会社の事情で簡単にはじかれてしまう」
「実力があれば、会社が手放さない」
というかも知れないが、それを見極める人間自体に、そこまでの眼力があるかどうか、怪しいものだ。
片っ端から首を切っておいて、残った人の中から、人事などが選ばれるのだから、
「まるでくじ引きだ」
というような会社だってあるかも知れない。
それを思うと、
「会社というのは、世の中がパニックになると、これほど脆いものもない」
といってもいいだろう。
それだけ、
「世間が信じていることをそのままマネして、それが正しい」
と考えるという、
「本当に自主性があるのか?」
という考えだから、結局は、
「右倣え」
ということで、奇抜なことができるような体制ではないということなのであろう。
それを考えると、
「バブル崩壊」
というと最初は気づかなかったくせに、少しずつでも気づいてくると、あとは、
「慌てふためく」
というだけのことになってしまう。
そうなると、
「もう、会社になど期待はしない」
ということになり、会社の方も、
「いい人材を育てる」
ということを忘れてしまったかのようになるのだ。
バブル崩壊後というと、
「非正規雇用の採用」
というものと、もう一つの対策としては、
「吸収合併」
というものである。
中小企業などで、経営が危ないところであっても、将来的に見て、有望な企業だと見れば、大企業は、
「買収に走る」
ということになる。
それで、どちらの会社も助かるということであるが、吸収された側の社員は、溜まったものではない。
当然、辞めていく人も多いだろうが、それも、会社全体で見れば、
「浄化」
という意味でいけば、いいことなのだろう。
銀行などの金融機関は、ほとんど合併で大きくなったところが多く、最初の頃は、4つくらいの会社が合併したことで、
「名前を残したいのかどうなのか」
ということで、やたらと、くそ長い名前の会社があったものだった。
それを思うと、
「昔が、どの会社だったのか分からないところ」
と、
「分かるけど、ものすごく長い名前」
という少し不細工な名前の企業があったりしたものだ。
どちらがいいというわけではないが、それも、時代だったということであろう。
そんな時代に、
「コンピュータウイルス」
などを使って、一儲けしようという組織であったりするものが、蔓延っていた時代だから、
「ソフト開発ができる」
という人間が重宝された。
もちろん、
「設計できる人」
というのも必要であろうが、それよりも、たくさんの類似ウイルスを開発するということで、
「設計者」
というよりも、
「プログラム作成力のある人」
という方が、多く雇われたかも知れない。
なぜなら、
「コンピュータウイルス」
というものが、いたちごっこだからではないだろうか?
というのも、最初に、コンピュータを攻撃するソフトを、組織がつくると、今度は、コンピュータメーカーであったり、警察のサイバー課などで、その、
「駆除ソフト」
というものを作成し、ウイルスを無力化させるだろう。
しかし、その間に、今度は組織は、別のソフトを作成し、それをばらまくことで、前のソフトを無力化させることになるだろう。
そうやって、
「開発競争」
を繰り返すことで、ソフト開発が、
「いたちごっこ」
を繰り返すということになるのであった。
これは、
「核開発競争」
というものと違い、
「抑止力」
というものがまったく絡まないものだ。
そういう意味で、
「本当の、伝染病などにおいてのウイルス」
と同じようなもので、
「ワクチンを作ると、ウイルスは、変異を繰り返すことで、相手に対抗する」
ということになる。
それは、結局、無限に続く、開発競争と、変異といういたちごっこに過ぎないということで、それが、世の中の構造となってしまうと、最後には、
「気力の問題」
ということになるのではないだろうか?
少なくとも、数十年前から続く、
「いたちごっこ」
は、その性質を変えてまで、いまだに終わることのない戦いを続けていることになるのであった。
それを思うと、
「世の中における戦いは、そう簡単に終わるものではない」
といえるであろう。
そういう意味で、ウイルスソフトの細菌の傾向は、
「一人の情報を抜き取ることで、そこからどんどん、ウイルスを拡散させ、人に対しての、疑心暗鬼を生み出すということで、最初から予測していたことなのかどうか分からないが、想定以上の効果がもたらされているのではないだろうか?」
敵対勢力というものができれば、相手をかく乱させるということが、どれほど攻撃において有効なものだといえるのかどうか、それが大きな問題だといっても過言ではないということだろう。
そんな中で、最近の、
「コンピュータウイルス」
の中には、
「敵認定」
というものの仕掛けが入っていると聞いたことがあるが、果たして、そこに信憑性があるのかどうなのか分からないが、
「不特定多数」
というものを狙い撃つよりも、
「確実に効果を生み出せる」
ということになるのではないだろうか?
コンピュータの中で、どのアドレスやアカウントがその人とのSNSなどのつながりで、お互いに信じあっているかということさえ分かれば、相手を崩すなど、実に簡単なことだといえる。
そもそも、SNSというものは、
「争いが絶えない」
といってもいい。
匿名性のもので、誰かを攻撃しようものなら、簡単にできるわけである。
だからこそ、逆に、攻撃された側は、本当はその人ではないと思っていながらも、
「たかが、SNSん、されどSNS」
と言わんばかりに、
「信用しろといっても、それは無理というものだ」
と、ほとんどの人は、
「相手を信じたい」
と口では言いながら、その匿名性に、
「信じられない」
という思いを抱かずにはいられないのである。
それが結局。相手に対して、
「敵認定」
という思いを抱かせ、
「疑心暗鬼」
というものから、
「猜疑心」
というものを抱かせることで、抱いた本人にも、最後には、
「自分すら信用できない」
という思いにさせるのだ。
そうなってしまうと、人間の今までの一番の強みであった。
「信頼関係」
というものが、脆くも崩れ、本来であれば、
「高等動物」
という強みを失ってしまう。
もっとも、その信頼関係というものは、元々脆くも薄っぺらいもので、誰かに標的にされると、あっという間に崩れてしまうものだったのかも知れない。
「高等動物」
というものが、どれほど信頼できるものなのか、意外とそれを一番知っているのは、
「コンピュータウイルス」
なのかも知れない。
それこそ、コンピュータウイルスというものは、
「人間よりも頭がよく、冷静に判断できるものなのかも知れない」
といえるだろう。
「人間らしい」
という言葉があるが、これは、
「疑心暗鬼」
であり、
「猜疑心の強い」
という負の部分の性格のことをいうのであって、本当に人間というのが、
「本当の高等動物なのか?」
と思わせるのであった。
「そもそも、皇道動物という表現も、人間が勝手に言っているだけで、他の動物は、そんなことを思っていないのかも知れない」
「一番弱いものが人間だ」
ということになると、それは、
「敵認定」
というものができるということに限られるのではないだろうか?
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