なんちゃって犯罪

森本 晃次

第1話 SNS

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和5年12月時点のものです。とにかく、このお話は、すべてがフィクションです。


「SNS」

 いわゆる、

「ソーシャルネットワーキングサービス」

 と言われるものである。

 これは、社会的なネットワークを、WEB上で実現するものということのようだが、広義の意味でも、狭義の意味でも、それぞれに、社会的という言葉がいかに叫ばれるかということが問題となるのだろう。

「ソーシャル」

 という言葉は、最近ではいろいろなところで使われるようになり、最近身近に感じられるとことをしては、ここ数年において問題となった、

「世界的なパンデミック」

 と呼ばれる、伝染病が流行った時、その対策として一番叫ばれたこととして、

「ソーシャルディスタンス」

 ということで、

「その社会において、時と場合でその距離をある程度決めて、伝染病の拡大を防ぐ政策」

 というのが、その意味とされる。

 とにかく、

「ソーシャル」

 という言葉が、

「社会的」

 と訳される以上、その言葉の曖昧さは、しょうがないことであり、どうしても、

「広義な意味」

「狭義な意味」

 とそれぞれが存在しているというものである。

 SNSに関しては、今の時代では、そのほとんどが、

「狭義な意味」

 ということで用いられるようになり、そこで発生する問題が、それこそ、

「社会問題」

 としてクローズアップされるのも、

「狭義な意味」

 ということになるであろう。

「コミュニティ型の会員制サービス」

 ということで、SNSというものを定義すれば、分かりやすいかも知れない。

 パソコンやスマホなどの世界の中で、いろいろなコミュニティが、ネットワーク上に展開され、会員制であることから、ある程度のプライバシーは守られるのだが、中には、そう簡単にいかないということも多く存在し、

「誹謗中傷」

 ということが、SNSの最大の特徴としての、

「匿名性」

 というところから、大きな問題となっているのであった。

 その、

「誹謗中傷」

 などによって、精神が病んでしまい、そのまま追い詰められる結果になり、

「自殺してしまう」

 ということが、たびたび社会問題となることも少なくなかった。

 まだ、社会問題として浮かび上がれば、社会が問題にしてくれるからいいのだが、なかなか

「SNSの匿名性」

 ということから、自殺をしても、追い詰められた人が、

「誰から追い詰められたのか?」

 ということが分からず、容疑者を特定できないことから、なかなか警察も介入できないということもあったのであろう。

 何といっても、リアルな世界と違い、SNSというのは、言葉だけのやり取りとなるので、誹謗中傷を行った人間を特定しても、そこから、

「逮捕したり」

 さらには、

「起訴に持ち込む」

 ということは難しいであろう。

 特に以前は、誹謗中傷をした人間を特定するために、

「開示請求」

 というものを行うのも、難しかった。

 何といっても、

「個人情報保護」

 という問題が絡んでいるだけに、変に相手を特定しようということになると、ネットワーク情報を掴んでいる、

「プロバイダー」

 などの通信網に対してのサービス会社が、簡単には開示することはなかったのだ。

 しかし、自殺などの問題が深刻化してきたり、実際に、

「開示請求に値する」

 というような、誹謗中傷が増えてくると、

「相手が匿名性の隠れ蓑の向こうにいる以上、手出しすることができない」

 ということで。今では、

「開示請求をするための壁というものが、かなり低くなってきた」

 といってもいいだろう。

 それは、大いに、

「抑止力」

 というものも孕んでいるといってもいいだろう。

「下手に匿名性だからといって、簡単に誹謗中傷を行うと、開示請求されてしまい、裁判に持ち込まれ、お金の問題だけではなく、匿名性が崩れてしまい、

「社会的制裁」

 を受けることになりかねないということになるのだ。

 もっとも、

「悪いことをすれば、裁かれる」

 ということが当たり前だということになると、

「開示請求というものが、抑止力となって、犯罪を未然に防ぐ」

 という、社会的には、一番いい形になるのではないだろうか。

 それを考えると、

「開示請求によって、本当に誹謗中傷というものが減るかどうか、見極める必要がある」

 というものである。

 実際に開示請求によって、裁判に掛けられ、制裁を受ける人も少なくないと思いたいものだ。

 実際にどこまでの制裁なのかというのも分からない。

 以前であれば、

「探偵を雇ったりして、証拠を見つけ、それを裁判で争う」

 などということをしても、誹謗中傷などで訴えることとすれば、

「侮辱罪」

 であったり、

「名誉棄損」

 というものということでの論争ということになるだろう。

 しかし、たいていの弁護士から言われることとしては、

「弁護士や探偵料でかかった金と、裁判で勝訴したとしても、相手からもらえる金を比較すれば、明らかに、原告側が損をするということになりますが、それでもやりますか?」

 ということであった。

 弁護士の仕事、つまり、

「弁護士理念」

 というものの最優先順位というのは、

「依頼人の利益を守ること」

 というものである。

 弁護士における、

「守秘義務」

 であったり、

「裁判での証拠集め」

 などというのは、そのすべてを、

「依頼人の利益」

 を最優先で考えなければいけないということになるだろう。

 それを考えると、当然、

「損をすると分かっていて、弁護士がそれを勧めるわけはない」

 だとすると、

「裁判というものをどうするかを決めるのは、依頼人なのだろうが、そのために、正しい知識で、迷走しないように導くのも、弁護士の仕事だ」

 ということになるであろう。

 ただ、

「有名人や著名人というものが、SNSによって攻撃され、自殺に追い込まれる」

 などということになると、その話題は、マスゴミによって大いに持ち上げられ、社会問題としてクローズアップされる。

 マスゴミというと、

「ろくなウワサを流さない」

 ということが叫ばれていたが、この件に関しては、

「珍しく、社会正義という観点に立つマスコミ」

 ということで、ついつい、

「マスコミの応援をしたくなる」

 ということにもなるであろう。

 そういう意味で、SNSという問題は、特にここ5年くらいの間、つまりは、

「時代が令和になった頃から、それまで泣き寝入りをしていた人に、光が当たる」

 ということになってきたといっても過言ではないだろう。

「時代が進展してきた」

 といっていいのか、それとも、

「やっと、社会が時代に追い付いてきた」

 ということになるのか、言葉にするのは難しいところであった。

 SNSにおいての、

「誹謗中傷」

 であったりするものも、最近では、

「開示請求」

 というものの規定を緩めたり、

「侮辱罪」

 あるいは、

「名誉棄損罪」

 のようなものの罰則を強化したりということをすることで、裁判を起こしやすくするということを、法改正において、行うようになったきた。

 もっとも、

「遅すぎる:

 というくらいで、さすがに、警察も政府も、

「何かが起こってからでしか、対応しない」

 ということで、

「被害を未然に防ぐ」

 という言葉が、

「やつらの辞書にはない」

 ということなのだろう。

 ナポレオンの辞書には、

「不可能という文字はない」

 というのと同じで、皮肉な言葉として伝えられてもいいのかも知れない。

 そんなSNS界隈での、一番の罪というと、やはり、

「匿名性」

 ということではないだろうか?

 何かを発信する時も、名前も、ハンドルネームなる、本人が勝手に決めた名前であり、SNSの会員になる時だけは、本名や住所などを書く必要があるが、それとて、実際に調べるわけではないので、ハッキリとはしない。

 とにかく、

「発言者が、リアルでどこの誰だか分からない」

 ということが、

「匿名性」

 ということである。

 どこの誰だか特定することができず、逆に、

「個人情報保護法」

 なる法律まであることで、

「法律が匿名性ということを擁護している」

 ということで、逆に、今の時代で、匿名性ではなくなってしまえば、

「誰もSNSに手を出す人はいない」

 ということになるだろう。

 確かに、

「個人情報保護」

 というのは、昔から言われていて、

「プライバシーの保護」

 というのは、民主主義の基本である、

「基本的人権の尊重」

 という、

「日本国憲法における三原則の一つ」

 ということになるのだ。

 だから、

「個人情報の保護」

 というのは当たり前のことであり、だが、その法律が制定されたのは、大日本帝国が、敗戦によって滅亡し、民主国家である、

「日本国が成立し、日本国憲法が制定されたタイミングということではなかったのであった」

 というのは、個人情報という言葉が注目されるようになったのは、時代とすれば、戦後から、ちょうど、半世紀近く経った頃であった。

 というのは、科学の発展著しい世界において、時代が、昭和から、平成へと移り変わった時期くらいに、ちょうと、コンピュータの普及が進み、会社などでは、

「社員一人一人の机の上に、パソコンというものの端末が置かれるようになった時代であった。

 そもそも、この個人所法の保護をしないと大変まことになると言われはじめるきっかけになったことは、二つだったのだ。

 その一つの問題が、いわゆる、

「ストーカー問題」

 というものであった。

「人を好きになるがゆえに、その人のことが気になって、すべてを知らずにはいられなくなる」

 という感覚である。

 中学生、高校生の中には、それまでにも、

「好きになった人がいたとして、その人がどこに住んでいるのか知りたい」

 ということで、思わず、相手をつけて家くらいは確認したいということで、実際に、あとをつけるというくらいの行動くらいはあっただろう。

 しかし、それを取り締まる法律があったわけではない。人の後をつけて、家を確認したとしても、

「だからといって、それ以上のことをしない」

 というのだから、別に、相手を襲ったり、危害を加えたりしたわけではないので、

「犯罪の未遂」

 ということにも当たらない。

 もし、そこで、凶器を持っていたりすれば、

「凶器準備集合罪」

 であったり、

「銃刀法違反」

 などという法律に抵触するのだろうが、そうではないので、結局何かの罪に当たるということではないのだ。

 しかし、今であれば、

「相手をつけるようなことをしただけで、犯罪となる」

 のである。

 それが、

「ストーカー行為防止法」

 という法律に該当するのであり、それも、

「ストーカー行為」

 というのが、ひどくなるからであった。

 その一つとして、

「相手の家を見つけるだけで満足できなかった」

 という人が、

「毎日のように待ち伏せをしたり」

 あるいは、

「夜中に何度も無言電話をかけてみたり」

 さらには、

「玄関先に、ストーカーが見ているなどということを匂わせる、無言の圧のようなものをほのめかす行為」

 それらは、今までの法律であれば、ほとんど裁くことはできなかったが、やっと、それらを、

「ストーカー行為」

 と認定し、

「ストーカー行為は、立派な犯罪だ」

 ということにするのであった。

 これも、社会問題となり、中には自殺する人が出てきたことで、やっと、政府も重い腰を上げ、国会にて、法案を成立させたということになったのだ。

 もっとも、それまでは、そこまでエスカレートすることはなかったのに、急にそういうストーカーが増えてくるというのは、それだけ社会が不安定な状態になってきたというのか、警察にしても、政府にしても、

「社会秩序や、治安を守る」

 ということができ、さらには、しなければいけない立場の連中がしっかりしないから出てきた犯罪だといえるのではないだろうか?

 だから、

「ストーカーに狙われないようにする」

 ということで、個人情報の保護というのは、不可欠だということになるのであった。

 ストーカーに関しては、

「ストーカー防止法」

 よいうものが、独立して存在しているので、直接、

「個人情報保護」

 という観点に、携わっているということではないのかもしれないが、それよりも、もう一つの方が、厄介で、犯罪の形としては、

「ハッキリとしている」

 といえるのかも知れない。

 もちろん、ストーカーの方が、

「身体的な危険」

 という意味では、その恐怖からの問題が大きいともいえるが、もう一つの問題の方が、今の時代は、別の意味での怖さがある。

 それが何かというと、

「コンピュータウイルス」

 などというものが原因で、個人情報が流出してしまい、その結果、

「詐欺」

 であったり、サイトが乗っ取られることで、パスワードや、金融機関への侵入で、

「いとも簡単に、金を取られてしまう」

 ということになってしまうということになるのであった。

 だから、詐欺行為というものであったり、パスワードを盗まれるということで、会社などでは、

「情報セキュリティ」

 ということが盛んに言われるようになり、新しく、部署を設置する会社も多かったりするというものだ。

 会社の情報を、家に持ち帰ったり、その途中で、なくしてしまうなどという単純ミスが、大きな問題を引き起こしたり、

 さらには、

「無知から、触ってはいけないところをクリックしてしまったりして、会社のパソコンがウイルスに感染し、会社の個人情報が、相手に筒抜けになってしまったり」

 などということが、横行したりするというのが、大きな問題である。

 本人は、

「そんなつもりはなかった」

 といって、

「知らなかったんです」

 といっても、その罪から逃れることはできない。

 もちろん、一番悪いのは、

「情報を抜き取るために、ウイルスを仕込んだ連中だ」

 というのは当たり前のことであるが、それら手口が会社などでも周知徹底されているのに、社員がそれを、

「知らなかった」

 といって通用するわけはない。

 そして、たいていの場合、そういう無知な人というのは、何とかごまかせると思うのか、

「流出したかも知れない」

 と分かった場合、本当は会社に自分から申告しなければいけないものを、どうしても、

「保身のため」

 ということで、報告を怠ってしまうというのが、多いパターンであろう。

「会社に対しての報告義務」

 というのは当たり前のことであり、それを怠ると、下手をすれば、

「会社から訴えられる」

 ということも、十分にあり得ることであった。

 こういう場合に限らず、報告義務というのは、いろいろな場面で考えられるというものだ。

 たとえば、

「ひき逃げ」

 という犯罪があるが、もし、これが、ひき逃げではなく、最初にちゃんと報告していれば、罪とすれば、そこまでひどいものではない。

 というのは、

「ひき逃げには、大きくわけで、3つの犯罪がある」

 ということであり、まず、最初に普通に考えられるものとして、

「業務上過失致傷」

 あるいは、

「業務上過失致死」

 と言われる、

「業務上」

 とつく問題である。

 つまり、人を業務上過失によって傷つけたり、それによって死んでしまったという場合の、これは、最初から申告していた場合でも、問われる罪ということで、

「当然の罪」

 といってもいいだろう。

「過失」

 という言葉がついてはいるが、運転というのは、

「免許のいる」

 というもので、

「専門的な技術を必要とし、それを身に着けている人間」

 という人が犯した罪なのだから、

「過失といっても、その罪はかなり重い」

 ということである。

 下手をすると、

「業務上過失」

 という言葉のつかない。

「傷害罪」

 あるいは、最悪の場合は、

「殺人罪」

 というものが適用されるといってもいいだろう。

 そして、もう一つの罪としては、

「救護義務違反」

 というものである。

 自分が引き起こしたことで、目の前で苦しんでいる人を、見捨てて逃げるのだから、ある意味、これが一番卑劣なことであり、

「ひき逃げという罪の一番の本質だ」

 といってもいいかも知れない。

 もし、ここで死んでしまえば、

「あの時に通報していれば、助かったかも知れない」

 ということで、これが悪質となると、

「殺人罪の適用」

 ということもあるだろう。

 たいていの場合は、

「自分がここで名乗り出てしまうと、バレてしまうことを恐れる」

 ということで、例えば、

「飲酒運転」

 であったり、

「無免許運転」

 などをしている時に犯した犯罪だとすれば、犯人が名乗り出ることができないのも当たり前というもので、逆にいえば、

「飲酒運転をしている」

 ということから、あるいは、

「無免許」

 などのように、ちゃんと免許を持っていないということで、

「事故を起こしても当たり前」

 という状態だから、

「運転してはいけないという状態」

 ということを分かっているから、そこから逃げたわけであり、それだけの機転が利くということは、

「気が動転していた」

 という理屈は通じない。

 だから、

「ひき逃げにおける、救護義務違反という問題は、その判決において、そのような罪に問われるかということで、一番大きな意味を持ってくるものに違いない」

 そもそも、

「保身のために、苦しんでいる人を見捨てる」

 という、まるで畜生にも劣るというものである。

 さらにもう一つ、ひき逃げにおける犯罪としては、

「警察への報告義務」

 ということである。

 これを怠ると、明らかに、

「事故を隠滅の意図あり」

 ということになるであろう。

「少しでも、時間が経てば、自分がやったということをごまかせるのではないか?」

 といって、ごまかせるというものである。

 しかし、これも、

「犯行が絶対にバレない」

 とおうことでなければ、バレてしまうと、心証は非常に悪いものになる。

 何といっても、

「ごまかそうとした」

 ということになれば、

「犯行を完全にごまかそうとした」

 つまりは、

「偽装工作に近いことになってしまう」

 ということで、裁判の際の情状酌量も薄れていき、

「執行猶予もつかない」

 ということになり、本来であれば、

「ひき逃げなどするものではない」

 ということになる。

 それでも、どうしても、

「ひき逃げにしないといけない」

 ということになるとすれば、

「捕まれば余罪によって、完全にもっとひどい罪刑に処せられる」

 ということが分かっている場合であろう。

 極端な例かも知れないが、

「例えば、誰かを殺して、その相手を車の中に積んでいる」

 などという場合は、また違ってくる。

 ただ、そうなると、ひき逃げなどということはしないだろう。昔であれば、

「一緒に車の中に積んで、そのまま逃げ去る」

 ということになるだろうからである。

 ただ、逆に今ならそれをすることもないのではないか?

 なぜなら、

「今の時代は至るところに防犯カメラというものがある」

 ということで、すぐに身元がバレルのは必至だからである。

 下手に表に出て、車に死体を積んでいるところでも見られると、その行動から、

「何か怪しいと、警察に勘ぐられてしまうのも、必至である」

 それを考えると、

「そのまま放置して、ただのひき逃げということにしてしまった方が、怪しまれるということはない」

 ということになるのだ。

 だから、今であれば、結局、

「ひき逃げ」

 ということにしないといけないだろう。

 もし、死体を積んでいるとすれば、急いで死体の始末をしてしまい、そこから、車を廃車にするなどの手配をする方がいい。

 というのは、

「廃車にしなければ、防犯カメラにナンバーが写っていることから、いずれは、ひき逃げをした車ということで手配をされるだろう」

 しかし、逆に、先に始末をしてしまうと、

「犯人は、ひき逃げをしたことで、車を廃車にした」

 ということで、廃車にしたということに何ら不思議だとは思わずに、やり過ごすことで、犯人とすれば、

「ひき逃げということだけの罪で逃れることができる」

 と考えるに違いない。

 最初は、ひき逃げをしてしまうと、

「最初に人を殺した時の理由が何であれ、ひき逃げまで起こしてしまうと」

 その時に考えることとして、

「これほど運が悪いということもないだろう」

 と、

「泣きっ面にハチ

 とでも思うかも知れないが、それよりも、冷静になって考えると、

「ひき逃げを表に出すことで、本来の悪行をごまかすことができるかも知れない」

 という、悪知恵が働くというものではないだろうか?

 本来であれば、ひき逃げというのは、その場で名乗り出る方が。本当であれば、刑事罰にまでなることはなく、相手が、死んだわけでなければ、被害者が、

「穏便に」

 といえば、刑事罰を食らうことはない。

 それを、逃げたりなどするから、相手の心証を最悪にしてしまうことで、被害者が、

「告訴」

 ということになり、刑事罰でも、民事でも争うことになるのだ。

 民事なら、普通にあることなのでそこまで大きな問題ではないだろう。

 任意保険にさえ入っていれば、相手の病院代や治療費、それから車の修理代まで、任意保険で賄えるというものだ。

 しかし、これが刑事罰ということになり、最悪、

「前科がつく」

 などということになれば、それは、

「会社を懲戒解雇」

 ということになったり、

「前科ということが分かってしまうと、再就職もままならない」

 ということになりかねない。

 それだけではなく、下手をすると、

「家族がバラバラになってしまう」

 ということにもなりかねず。

「離婚問題」

 なども一緒に絡んでくると、

「人生、これで終わった」

 ということになるだろう。

 だから、冷静になってみると、一度はその場から逃げたとしても、あとで自首するということになるかもしれない。

 もちろん、その場から、救護義務違反も、報告義務を怠って逃げたということであれば、いくら後から自首したといっても、

「ひき逃げ」

 ということに変わりはなく。

「自首」

 ということになるわけでもない。

 だからこそ、その場で潔い態度を取らないと、時間が経てば経つほど、普通であれば、不利になるということであった。

 それでも、逃げるというのは、

「逃げなければならない、のっぴきならぬ理由がある」

 ということで、それを警察は考えて、

「余罪がないか?」

 ということを調べるかも知れない。

 その時、

「奥さんが行方不明」

 などということになっていて、しかも、本人が、捜索願を出していなければ、余計に疑われるに違いない。

 だから、そんな時は、ウソでもいいから、捜索願を出しておかなければ、ひき逃げということに対して、疑わしい行動をしているのが分かれば、改札も、

「何か逃げなければいけなかったのっぴきならぬ事情が何か?」

 ということを探るに違いないだろう。

 それを思うと、

「ひき逃げというのは、実に、あとから余計なことを考えさせる事件である」

 ということでもあるのだ。

 ある意味、他の何かを引き起こした時、一番併発したくないのは、

「ひき逃げ事件なのかも知れない」

 ということになるであろう。


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