竹部 月子 さま。
数多ある素晴らしい作品の中より、拙作を選んで下さり本当にありがとうございます。
また、素敵な企画を開いてくださった主催者である犀川ようさまに合わせてお礼申し上げます。
自分の題名が記されていることに、夜中の仕事休憩中に思わず叫んでしまうほどの嬉しさです。
おばあさまのお話を伺って、ふと今思いを馳せております。きっとあの場所から引っ越して行った人達も同じようになさっているのかもしれません。
でも、失った故郷に思いを馳せていない日はないと思います。寂しさや懐かしさからではない、ただ純粋に故郷を脳裏に宿して、自分が育てて貰った大切な土地をふと思う……。
そしてその思いが思いの丈となり全国のLast Guardianの方々の活力の一部となって結びついている、だから、あの方は「何とも言い表すことのできぬ表情だった」と私は感じたのだと気づきを得ることができました。
心より感謝申し上げます。
章末のLast・Guardianには、真ん中を・で区切っていて、それは私の細やかな抵抗でもあります。心残りなく最後まで尽くせますようにと心より思うばかりです。
作者からの返信
鈴ノ木 鈴ノ子様
夜間勤務、お疲れ様でした! コメントをありがとうございます。
自分が「すごく良かった」という気持ちと、賞に選ばせていただいたのはこういう理由ですという説明って、似ているようでちょっと違って、ぬわー!難しいと転げまわっていました。
いただいたコメントを拝見して、鈴ノ木様に気持ちが伝わっていたことに胸をなでおろしています。
章末の「・」の意味に、今、ジンと痺れております。
たったひとつの点で、消えゆく伝統に抗ってくれと示す姿勢。
こういうのに触れてしまうと「カクヨムってたまらんなぁ」とにやけてしまいますね。
本文からは、くどいと思って削った内容なのですが
・心が凪ぐパワースポットの存在は、日常に疲れている人々の癒しなので、冒頭のツカミとして非常に優秀
・写真を撮っている描写から、この作者は良い写真資料も持ってそうだなーという下心が芽生えた
の2点もあります。
ド素人の感想だからと、一旦ひっこめたのですが、朝吹選者と同一作品推しということで、言うだけ言わせて下さい。
このLast・Guardian(あえての・) カクコン10短編本番にも出しませんか。
すでに完成された作品なので、このままポンと放り込んでみても良いですし、改稿して新規作品として出す苦労にも見合う素材だと思います。
このたびは素晴らしいエッセイに、選評を書かせて下さってありがとうございました。
鈴ノ木様の、今後のご活躍にマジで期待しております!
竹部月子さまの講評を読んで、そして再び作者さまの言葉を読んで……文字通り創作意欲が湧いてくる思いがしました。
決断というほどのものではなく、成り行きでなっちゃっただけなのですが、私は両親と同居しております。恥を晒せばニートみたいなもんです。家の仕事には参加しておりますが、本業の方は芳しく有りません。
収入源にもなり得ないほどですが、我が家には中途半端に広い農地があります。祖父母が切り拓いた農地で、何度も耕地整理をし、場所も形も変わっておりますが80年も続いた農地です。
若い頃は、いずれこの田畑も無くなっていくのだろうという冷めた諦めがあったのですが、自分で作業を手伝うようになりやがて作業の主軸が自分に移ってきたとき、この土地をやがて閉じねばならないということに、深い罪悪感と後悔を感じました。
続けていたところでどうなるものでもないのですが、それでも体の動くうちは続けるよ、と言った両親を見て……これが私にできる恩返し、ひいては介護でもあると思って続ける決意をしました。
正直なところ、足を引きずりながら毎日畑に立つ母に、もう無理だよと何度も言いかけたものです。しかし、母には何の趣味もありません。働くことが唯一のいきる意味と喜びだった人です。
これを取り上げたら、急激に体力と気力が落ちて寝たきりか入院生活に陥ることは自明の理です。
ならば、ほんの少しでも動けるうちは、それを見守り支えることが、健全な介護でもあるのではないかと、寝たきりで過ごす辛い時間を少しでも短くできるのなら、と。
この選択がどういう結果をもたらすのか、私には分かりません。そんなことより結婚して子供を持つ方が何倍も意義あることだとは分かっています。でも私にはできなかった、できる唯一の事がこれなんだと自分を偽り励まして、なんとか日々を生きております。
せめて私は、Guardianを支える一人として生きてみようと。
作者からの返信
天川様
コメント欄に真のGuardianが降臨しました。
私の選評には町に引っ越してもらった祖母の姿に、やるせなさを感じたと書いていますが、そこには天川様の感じられた深い罪悪感と後悔が含まれています。
まだ若くて身軽だった私が、あの海辺の村で祖母と同居すれば、彼女はあの住み慣れた寒くて不便で愛しい家に住み続けられたのです。
だけど私は、自分の生活を変えて、そちらの道を選ぶことはしなかった。
仕事というのは、とても深く自主性や責任感と結びついていて、年をとるほど新しい結び目を作るのは難しいとも感じました。
何もしないとボケるからと、町の台所で料理をしてもらっても、それは所詮手伝いであって、祖母が料理をするという主体的な仕事では無かったのです。
ますます丸く置物のように座り続ける祖母の背中を見て、「これが穏やかな老後の姿なのだ」と自分に言い聞かせ続けました。
天川様が身を置いておられるのは、私が選べなかったほうの道です。
何故選べなかったかといえば、そちらのほうが困難な道だと尻込みしたからです。
だから、他の人生のルートがより意義のあることだなんて仰らないでください。
天川様が同居されていることで、確実にご両親の幸福な生活が守られているのですから。
とはいえ、時々息抜きしつついきましょうね。
互いに選んだ別の道の先で、一緒に創作の話ができることを、とても嬉しく思います。