第45話
連休になったので、俺たちは銭湯の親父が運転する小さなバスで空港へと向かっていた。
このバスがかなりの年代物で、中はボロっボロだ。なんだか砂っぽいし、座席のあちこちが破れてるんだ。車内のあちこちに工事現場のヘルメットやらスコップがおいてある。ふだんは工事現場への労働者派遣用なんだろうな。
乗客は文谷家の四人と熱海に桜子委員長、もちろん生徒会長も一緒だ。
学校ではないのでみんなふだん着で、俺は熱海の親父さんのおさがりである、ちょっとばかりヤンキーな格好だ。生徒会長だけはセーラー服なのだが、今日は激臭なしのノーマルでプレーンなのを着ている。この旅行に、わざわざ臭覚迷彩はいらないからな。
お母さんと亜理紗は一番前の席で、俺たち高校生は真ん中あたりに固まっている。みんな貧乏人なので、お菓子類がないのは、ちょっと寂しいかな。
「うっほうっほ、南の島でマイダーロンと、ああしてこうして乳を吸って揉まれて、そんでエロ動画サイトに投稿して、ウホホー」
俺の後ろの席で卑猥な言葉を口ずさんでいるアホは、服部半ペー子だ。こいつにもリゾート旅行の権利が与えられていたのは想定外だったよ。バイトの時、しっかりといたもんな。しっかり出すもの出していたし。
あのアホ父親も来るのかと思いきや、警備員の仕事が忙しくて来れないとのこと。ちなみに、家族が一緒なのは文谷家だけだ。熱海も桜子委員長も、家は自営業で連休中は休めないそうだ。生徒会長の家族は、まあ、その件は触れないほうがいいだろう。
「うう~ん、ああ~う」
なんか、隣の席で京香がモゾモゾしている。具合悪いんだろうか。バスに酔ったのかな。
「恭介、そういうことは、あんまり、そのう、ダメだって」
「え」
なぜか京香の顔が火照っていて、うつむきながらも、あっちの方を向いてる。なんか、吐息が熱く感じるのは気のせいか。ビミョーにエロいっていうか、アダルティーな雰囲気を醸し出してるぞ。
「わたしたち兄妹なんだよ。お母さんも亜理紗もいるんだし、熱海たちだって」
「ええーと、と、と、だから、なんの話をしてるんだ」
「なにって、恭介がわたしの足をさすってるじゃないの」
「はあ?、俺がそんなことするわけないだろう」
「えっ」
俺たちの視線が同時に下を向いた。
あれえ、京香の足になにかがまとわりついているではないか。ふっさふさのぬいぐるみだ。いや、動いてるから生きてるか。なにがしかの哺乳類だと思うんだけど、なぜにバスの中にいるんだ。
な、なんじゃこりゃあ。
「うわあ」
「あひゃあ」
俺たちは即座に椅子の上に立って、なぜか万歳のスタイルをしようとしたが、天井に頭と手がつっかえて、それはできなかった。首が曲がった、ひどく窮屈な体勢だ。
「ちょっと、そこの二人、なにやってんの」
「文谷くん、このバスにはサンルーフはついてませんよ」
「そうそう。ひょっとしてフラッシュモブ的なものなの」
労働者派遣用のバスで、なにが楽しくてフラッシュモブしなければならないんだ。わけわからん生物が、足元に蠢いているんだよ。
「ここにヘンな生き物がいるんだって。なんだよこいつ、あっち行けよ。シッシッ」
京香が追い払おうとするけど、その生き物は退散するどころか、逆に椅子に上がってきたよ。斜め後方にいた熱海と桜子委員長と生徒会長がやってきて、怪しげな目で見ている。
「なにこいつ」
「どこから入ってきたの。床下?」
「バスは走行中ですから、外部からの侵入は不可能ですね」
三人であれやこれやと話しているが、誰もそれを捕まえようとしない。万が一、噛みつかれたらヤバいからな。
「ああ、それ、風と共にテリーヌ。あたしの愛犬。ペットなの、ペット。オナペットね」
後ろから半ペー子が来て、当然のように言ったよ。
つか、おまえ、オナペットの意味わかってないだろう。
「え、なに?」
「風と友になんだって」
「いや、だから風と共にテリーヌだって」
半ペー子の言ってることが、わけわからんぞ。
「それ、風と共に去りぬ、じゃないの。昔の名作映画じゃん」
「そうそう。かなり昔だよねえ」
「ビビアン・スーとクラーク・ケーブルですね。私、ビンテージものが好きなんです」
その映画、俺も知ってるよ。中学の時、視聴覚室で無理やり見せられたんだ。校長の趣味で全校生徒の必須だった。みんな、爆睡だったけどな。
「あたしのお母ちゃんさあ、若い男つくって家出るまでは、よくテリーヌ作ってくれたのよ。すんごい美味しくてさあ。大好物だったんだよねえ」
だから、その大好物のテリーヌと名作映画が、どう繋がったらペットの名前になるんだよ。相変わらず、アホの考えることは意味不明だわ。
「お母ちゃんの酢飯は天下一品なの。お揚げも、すんごいぶ厚くて、あま辛の醤油がしみしみでさあ」
テリーヌじゃねえし。
それ、いなり寿司じゃんかよ。江戸前すぎて、テリーヌの要素がビタ一ミリもない。おまえの母親はテリーヌと称して、いなり寿司を娘に食わせていたのか。とんでもないウソつきだな。
「半ペー子、そんなのどうでもいいから、この犬の話をしなさいよ。てか、こいつをどうにかしろよ。なんでわたしにすがりついてくるんだよ。どうやって持ち込んだんだって」
京香がヒスってるぞ。意外と小動物が苦手なのか。それとも本能的に危ういものを感じているのだろうか。
「去年ね、お父ちゃんと三丁目のため池にドブ貝獲りにいったんよ。そしたら、草むらの中にいたんだ。やっぱさあ、忍者にはペットが必要でしょう、ってことで連れて帰ったのよ。ハッ〇リくんだって犬いたし」
ペットを飼う動機が安易すぎる。しかも、おまえはコイツを忍者犬に仕立てようというのか。
「ねえ、これってさあ、どう見ても犬じゃないんだけど」
「そうそう。犬っていうより、イタチじゃないの」
「イタチって、こんなに尻尾がふさふさしてましたか」
熱海、桜子委員長、生徒会長が、半ペー子のペット犬説に異議申し立てをしてるよ。
ええーっと、ということは、これは犬じゃないのか。白黒の縦マダラな模様って、たしかに犬っぽくないよな。ううーん、コイツ、どっかで見たことあるような気がするんだけど、どこだったっけなあ。なんか、モヤモヤする。
「ハクビシンじゃね」と熱海
「なにそれ、美味いの」
「カメ五郎さんが食べていましたね」
ああ、言われてみれば、それっぽいな。犬よりハクビシンのほうがすっきりとくるよ。半ペー子のことだから、犬と野生動物の区別がつかないんだよ。
「ちょっとさあ、気になるからネット民にきいてみるよ」
「うんうん。それがいい」
さっそく熱海がスマホで画像を撮って、この犬っぽい謎動物は何?
ってスレをたてたよ。
「きたよきたよ、たくさんレスがきたからテキトーに読んでいくね」
以下、謎動物に対するネット民の反応だ。
{犬とか馬鹿か。スカンクじゃん}
{ありえねー、どう見てもスカンク}
{それ、わりとまじでスカンクやろ}
{さわると死ぬで、つか肛門やべえから}
{狂犬病まったなし}
{スカンクが座席に座ってて草}
このほかにグズリとかラーテルとかノロイとか、レアで想像上の動物名も候補に挙がっていたけど、ネット民の総意としては、スカンクという結論に至ったようだ。
「これは、どうやらスカンクで決まりみたいね」
「そうそう。テレビでお笑い芸人がさわってたっけ。どこかで見たことあると思った」
「なんだ、スカンクか。犬じゃないのかよ」
「野生のスカンクって、日本にいたのですね」
「俺もそう思ったんだよ。たぶんテレビで見たんだな。ああ、スッキリした」
みんなの心につっかえていたモヤモヤが解消されて、ほんのひと時の平穏が訪れた。
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
「・・・」
おっーーーー、ひゃあーーー。
す、ス、スカンクだー。
「うぎゃあ、スカンクだー」
「イヤー、イヤー、ありえない、ありえないっしょ」
「うわあ、うわあ、うわあ」
「き、危険です。危険ですよ。触らないほうがいいです。と、とくにオナラは剣呑なのです。バイオハザートのマックスレベルです」
俺含めて、皆が一斉に逃げ出した。最後尾の長座席に一塊になって、ワナワナと慄いているよ。
「みんな、なしたの。屁っコキ虫でもいたの」
スカンクの飼い主だけが涼しい顔だ。こいつはたぶんわかってない。アホだから、自分の飼っているのが危険動物だと認識してないんだ。犬だと思ってるんだよ。
「半ペー子、それはスカンクだ」俺は大声で叫んだ。
「へえ、スカンクって種類の犬なんだあ。あたし、てっきりシェパードかマルチーズかと思ってたけど。やっぱダーロンは物知りでたよりになるね」
ダメだ。無為のアホに物事をわからせるには、俺はまだ若すぎるんだ。
「は、半ペー子。とにかくそれをどうにかしなさいよ。どっかにやれや、早く、早く、うわあ、もういやっ」
京香の声は、ヒスを通りこしてもはや半狂乱だ。そしてそれは、みんなの心の声を代弁している。ものすごく悲痛な叫びなんだよ。ムンク的な、あの表情なんだって。
「どうにかって、さっきまでバッグの中に入れてたから戻ってくんないよ。風と共にテリーヌさあ、機嫌悪くなると、すっごい臭いオナラするんだよ。どんくらいかっつうとさあ、前に酔っぱらったお父ちゃんがこいつの尻の穴に指をつっ込もうとして、顔面にひと浴びしたんだけど、一瞬死んだからね。あ、お父ちゃん死んだなって思って、救急車呼んだもん。そんで」
半ペー子の説明が続いているが、スカンクが座席から降りて、中央の通路にひょいと出てきたぞ。なんか床をガリガリやって唸ってるよ。これは機嫌が悪そうだ。
「あ、ヤッバ。風と共にテリーヌ、めっちゃ不機嫌になってる。これ、一発やりそうだよ」
半ペー子が慌ててこっちに逃げてきたぞ。しかも、スカンクも一緒にやってきた。そして、尻をこっちに向けて尻尾をあげている。肛門が丸見えなこの体勢は、ひょっとして攻撃してやるぞって意思表示ではないのか。
「ああ、これくるわ。すんごいのがくるよ」
半ペー子がウンウン頷きながら言ってるんだけど、こいつは、ほんと当事者意識がない。全然、他人事のようだ。なんか腹立ってきたぞ。
「ちょちょちょ、冗談じゃないって」
「半ペー子、なんとかしなさいっ」
「ムリムリ、ここまでイキんだら、一発ださないと気がおさまらないんよ。風と共にテリーヌって、そういう頑固一徹な一面があるから」
そんな頑固者を飼ってるんじゃねえよ。
「こんな閉鎖空間で毒ガスを撒き散らされたら、どうなるのよ、餡子」
「みんなでのたうち回って、場合によっては死者が出るかもしれません」と悪臭の専門家も、さじを投げた。
あひゃあ、逃げ場なしだ。ど、どうするの。これは絶体絶命だって。
「そうだ、誰かが顔で受けとめればいいんじゃね。スカンクのガスを全部吸えば大丈夫よ」唐突に、熱海が言いだした。
よくよく考えれば、その提案のどこに科学的な根拠があるのか不明だが、不覚にも、なんだかグッドなアイディアに思えてしまった。
「そうそう。臭いガスさえ吸っちゃえば、ここはセーフティーゾーン」と桜子委員長。
「それはいい案です」生徒会長までもが賛同する。
「急いで、急いで口で吸え。ほら、ほら、もう出るって。すぐ出るって。いま出るって」
京香の金切り声をもって、この場の方向性が直進する。
みんなで寄ってたかって半ペー子の手足身体を押さえつけて、グイっと顔を引き立てて、スカンク君の肛門と対面するようにした。
「ちょっ、ちょっと、なにすんのう。あ、だめだって。こいつのオナラ、まじハンパないんだから。お父ちゃんに聞いてみなさいって。シャレになんないんだって」
スマン、半ペー子。みんなのために犠牲になってくれ。骨は拾ってやる。ヴァルハラで逢おう。
「死ぬって、死んじまうんだって。ホントにホントになんだからね。ああ、やば、テリーヌのアナルがモヘモヘしてるう。これ、発射だから。ファイナルカウントダウンなんだってばー」
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