第43話
「今日は、ご苦労さんだったねえ。たくさん食べていってよ」
風呂屋のロビーで、俺たちは急ごしらえの食卓を囲んでいる。銭湯の主人が、約束通り晩飯を用意してくれたんだ。
おでんだけではなくて、エビフライやら唐揚げやら豚の角煮やらサラダなんかが並んでいる。ジュースのペットボトルもあって、ちょっとしたホームパーティーみたいだ。
風呂場での騒動は、なんとか大事にならずに収束したさ。
京香にのされた半ペー子は一時的に気を失っていたが、女子たちがお湯をぶっかけているうちに覚醒して、元気いっぱいに跳びあがって健在ぶりをアピールしたよ。
すぐに京香に食ってかかって、えらい剣幕で怒っていた。
「いや~、悪い悪い。友達とプロレスごっこしたかったのよ、友達と」
「と、ともだちって、あたしとともだち?」
「そうだよ、半ペー子は大事な友達だからさあ、やっぱ友達とは風呂場でプロレスでしょう」
「そ、そうなんだ。ともだちって、やっぱプロレスだよねえ、うんうん。ともだちともだち」
だけど京香に友達であると連呼されて、すぐに機嫌がよくなった。
基本的にアホで孤独なJKなので、友達って言われると舞い上がっちゃうみたいだ。なにかとトラブルメーカーだけど、半ペー子のそういうところが憎めないんだよ。
デッキブラシの直撃を受けた裕也も、無事の帰還を果たした。ただし、鼻が毒バチに刺されたように腫れているけどな。
まあ一瞬でも生徒会長のあられもない姿を見られたわけで、すんごく満足した顔してるよ。ニコニコしっぱなしだ。ロックンロールっていうよりも、民謡を歌っている小学生って感じだ。
俺は、女子たちが風呂場からいなくなるまで洗面器タワーの中にじっとしていたわけだが、熱気と臭さにやられて散々だった。やっと外に出られた時には、体力の限界付近をさ迷っていた。
半ペー子は、粗相してしまったことを気にしていた。風呂につかりながら、女子たちに必死になって口止めをしていたな。
「みんな、このことは絶対誰にも言っちゃダメだからね」
「わたしからも頼むわあ。ちょっとがんばりすぎちゃったからさあ」と言ったのは京香。さすがにやりすぎたと反省しているようだった。
「わかったわかった。誰にも言わないよ」
「そうそう。あれは事故だったんだから、しょうがないって」
「私も幼稚園児の時はよく漏らしてましたよ。半ペー子ちゃん、気にすることないです」
みんなで半ペー子に優しくしていた時は、友達っていいなあと思ったよ。
そういえば、俺に友達って呼べる存在がいただろうか。半ペー子みたいに、なにかをしくじったら、こんなふうにフォローしてくれるやつらがいたっけなあ。
いいや、そんな情に厚いやつなんかいなかったな。逆に弱みを見せたら、徹底的に嘲笑され、蔑まれ、立ち直れないくらいに潰そうとするやつらばかりだったよ。
「とくにダーロンには内緒だよ。絶対絶対内緒なんだから。もしバレたら、あたし死んじゃうんだからね」
「わたしたちが言いふらすわけないだろう」
「うんうん。やっぱり文谷京香は親友だよ」
いや、京香うんぬん関係なくして、俺は存分に知っているんだけど。誰よりも間近で見ていたし、足元から舞いあがる臭気に内臓すべてがかき回されたからな。でも気にしてないよ。じっさい、たいしたことないんだ。
そういうわけで、無事に一件落着したから、みんなで仲良く晩ご飯というわけだ。
銭湯のオヤジの挨拶が終わって、みんなでいただきます、を宣言する前に半ペー子がエビふりゃーにかぶりついた。
「ぴゃあー、うんめえ。なにこのエビ、うますぎて死にそうだよー。もう死んじゃうって。あっはー、このブタ煮もうんめえ」
ったく、行儀の悪い奴だな。
可愛い顔して、ほんと手癖は悪いし、尻はしまりがないし。あと、腸内の善玉菌を増やせよな。おまえの腹の中、絶対にプレデター的な悪玉菌が巣くってるぞ。
「いただきます」
「じゃあ、私も食べちゃおう。いただきます」
「おじさん、いつもありがとうございます。いただきます」
「ぼくも食べるう。いただきます」
半ペー子の食い意地を見せつけられて、みんなも猛然と食い始めた。ここに服部半歩の親父さんがいたら、きっと娘に負けず劣らずの食いっぷりを見せたんだろうけど、シフトが入ったとか言って帰っちゃったみたいだ。
いろいろあって疲れ果てていた俺も相当に腹がへっていたので、さっそく箸を伸ばしたが、鶏のから揚げをつまんでふと思ったんだ。
そういえば、今夜の文谷家では何を食っているのだろうと。
俺と京香はここでご馳走にありついているわけだが、お母さんと亜理紗は、あのみすぼらしい食卓で二人きりの寂しい食事だ。
どうせ塩だけ焼きそばとか、モヤシだけの野菜炒めを、しかも限定量しか食べてないはずだ。モヤシを一本一本すする幼女の、幸薄な表情を思い浮かべてしまった。なんかとんでもなく薄情な気がして、とてもじゃないが料理に手がつけられないよ。
隣に京香がいるわけだが、同じく神妙な顔つきで黙っている。料理にぜんぜん手をつけていない。断言してもいいが、俺と同じことを考えているんだ。
京香が顔をあげてこっちを見た。俺はウンと頷いた。
「せっかくだけど、俺と京香は家に帰るよ。もう遅いし」
「うん、お母さんと亜理紗が待っているからさあ、悪いけど、わたしたちは帰るわ」
一瞬、みんなが俺たち見て動きを止めた。すぐに熱海が、ふっと笑みを浮かべて言ってくれたんだ。
「そうだね。二人は帰った方がいいよ。でも、私たちは腹いっぱい食っていくから」
「そうそう。小さい子がいる家はなにかとたいへんなのね」
そう、それでいい。
みんなが俺たちに気を使って帰ってしまっては、ここのオヤジさんと生徒会長の顔をつぶしてしまうことになる。それは礼儀としてやってはダメなんだ。
「そうかい。まあ、せっかくたくさん作ったから家に持って帰んなよ。いま、タッパーに詰めてやるからさ」
オヤジがタッパーを用意してくれて、料理をきれいに詰めてくれたよ。すごくありがたい。
さっき禿げオヤジと言ったけれど、あれは嘘だ。いや、ホントだけど侮蔑のニュアンスは引っ込めるよ。銭湯オヤジとタッパーに感謝だ。
さらにオヤジが車で送ってくれたよ。親切すぎるだろう。禿は絶倫で悪党ってのは、都市伝説だな。
「お母さん、いま帰ったよ」
「遅くなりました」
「まあまあ、もっとゆっくりしてもよかったのに」
居間に行くと、お母さんと亜理紗が食卓の前にちょこんと座っていた。今日の献立は、やはり塩だけ焼きそばで、しかもまだ手をつけていなかった。俺たちを待ってくれていたんだ。
「なんかあ、銭湯のおやじさんにいろいろもらってきたんだ。みんなで晩飯にしようよ」
「あらあら、それはラッキーね」
お母さんが皿を出して、タッパーの料理を小さな食卓いっぱいに並べてくれた。おでんは温めなおして熱々になったよ。カツオの出汁が効いたいい匂いがする。亜理紗の小さな顔が、ほっこりとしてるよ。
「亜理紗、おでん食うか。ここのはすごく美味いんだぞ」
「ん~。あ~でん~、おい~し~い~の~」
「おうよ、滅茶苦茶うまいんだぞ。とくにこの牛スジは絶品だ」
俺が勧めると、亜理紗のつたない手が、牛スジが刺さった串を持とうとした。ちょっと危なっかしい手つきだな。
「亜理紗、串が刺さったら危ないからとってあげるよ。かしてごらん」
「ん~」
串から肉片を外しては亜理紗の口に放り込む。スジ肉だけどトロトロになっているから、あんがい食べやすいんだ。
ちっさな口を一生懸命にモグモグ動かして食べてるよ。一心不乱に食べている亜理紗が可愛すぎて泣けてくるう。
「お~に~いちゃ~ん」
「ん、なんだい亜理紗」
「お~い~ちい~の~」
京香がこっちを見てニヤついてる。お母さんが塩焼きそばを大盛りにして、俺の前に差し出した。
我が家で、そして家族で囲む食卓は最高だよ。
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