第23話

「ふんぎゅっ」

「あ、ごめん」

 休日の朝だが、居間で寝ていた俺が京香に顔を踏みつけられてしまった。これ、ぜったいわざとだよなあ。

 京香は新聞配達に行かなきゃならないので、朝は早い。俺はナマケモノの居候なので、もうちょっと寝るんだ。おやすみ。

「ほらほら、恭介君、もう朝よ。起きて起きて」

 お母さんが、俺のおでこをポコポコと叩いてるよ。まだ六時前なのに早すぎる。って、八時だった。

 もうこんな時間か。昨日が疲れすぎて、寝坊してしまった。京香も亜理紗もいるよ。

「恭介、今日は亜理紗を放牧するからさ。朝飯はないぞ」

「亜理紗を、ほうぼく?」

 そういえば、寝る前にもそんなこと言ってたな。なんのことだかわからないが、朝飯抜きはきびしい。うっすい汁のそうめんでもいいから食いたいよ。

「恭介君、今日はね、おいしいものがいっぱい食べられるのよ。うふ」

 お母さんがすんごいうれしそうな顔してる横で、亜理紗が呆然としてるなあ。

 朝飯抜きなのに美味しいものって、いったいなにが始まるんだ。可愛い娘をどこかに売り飛ばすのか。

「さあさあ、お外に行きますよう」

「あ、ちょっと、まって」

 お母さんが俺を強引に立たせるけどさ。ちょっと、ちょっとう、せめて服を着させてよ。

「はい、じゃあ出発、ナウ」

 というわけで、文谷家全員でお外に出たさ。

 しばらく歩いて繁華街にやってきた。ショッピングモールと、あといろんな施設が集まった賑やかな場所だ。ここで亜理紗をつかってなにするんだろう。放牧している家畜でも盗んでくるのか。

「さてと、今日の獲物はどこだ」

 歩道橋の高みから、京香が下界を物色してる。まるで小動物を狩る鷹のような目つきだ。なんだか、怖い。

「う~ん、おいしそうなカモがいるいる」

 京香、ザコキャラのような下賤な笑みを浮かべている。

「じゃあな、亜理紗。しっかりと頼むよう」

「いえ~っ、さ~」

 京香が亜理紗の肩をポンと叩くと、幼女が敬礼して行ってしまった。

「おい、京香。亜理紗を一人にしたら危ないだろう。まだ、小学一年生なんだぞ。ヘンな奴に連れ去られたらどうするんだよ」

「それは大丈夫だよ。母さんが付かず離れずの距離を保って、しっかりと尾行しているからさ」

「はあ?」

 なにをしようとしてるのか、わけわからん。

「放牧、開始!」

 な、なんだ。

 歩道橋の端に立った京香が、あやしいポーズをとってる。念を送っているというか、雨乞いしてるっていうか、両手をそろえて、体全体をゆっくりと動かしている。

太極拳をやってる中国のオバハンか、海を真っ二つに割るモーゼのようだ。とにかく、下に向かって気合を放出してるぞ。

 おっと。

 下界には、人ごみにまじって亜理紗がいるじゃないか。幼女がさあ、おぼつかない足取りでフラフラと歩いてるんだ。

「ターゲット補足。亜理紗、こっちだあー」

 京香がそう言いながら、両手をゆっくりと動かした。

 あ、するとどうだ。

 亜理紗の進行方向が、京香の両手の動きに連動してるじゃないか。まるで、手から放たれた見えない糸で幼女を操っているかのようだ。マリオネット的な妙技だ。

 生徒会長はスカンク属性な王女だが、京香は魔法使い属性なのか。

「ぬおおおおおお」

 京香が気合を込めながら、その見えない糸を引き寄せると、幼女がすすーっと手前に引っぱられた。そして、ナップサックを背負ったいかにもオタク大学生な男に急接近してるぞ。これはインターセプトコースだ。

「ああー、これはダメだ」

 京香が呻って手の動きを止めた。なぜなら、その大学生のもとに女がきたからだ。同じナップを背負った腐女子でブッサな女だよ。二人はカップルなんだな。

「ならば、こっちだっ、ぬおおおおおお」

 今度は大きく右のほうに操ってるぞ。見えない糸に操られた幼女が、相変わらずのフラフラした足取りで右に動く。

「敵艦見ユ、方位096、速度3で北北東に移動中」

 どれが敵機だかよくわからない。京香がブンと両手を右側に振ったら、亜理紗が知らない男にぶつかったあ。

 ちょっと小デブで、メガネをかけた若いサラリーマン風だ。背広着てるし、全体的に地味っぽい。敵機は一呼吸おいてから、亜理紗をじっと見つめてる。

「おい、京香、亜理紗がヤバいぞ」

「ノンノン。これぞ文谷流、けがれなき子羊の放牧なのさ」

「意味わかんねえよ」

 なんで、うれしそうな顔してるんだ。自分の妹が危機的状態にあるのに。

「さあ、御馳走が待ってるよ。それっ」

「あ、ちょっと待てよ」

 京香が駆け出していった。俺も慌てて後を追う。どうやら妹を救出するようだが、ここで彼女の行動の真意を説明するため、しばし小デブリーマン目線と、その心理描写でもって進行することにしよう。


{な、なんだ。なにかが俺様の足に当たったぞ。せっかく人がいい気持ちで、休日に道行く女子小学生を眺めてロリコン魂を鍛えているというのに、邪魔するのはどこのクソボンズだ。しかも、怪しまれないように背広まできてるんだぜ、暑いのによう。どうせ、洟を垂らした丸坊主だな}

「い~た~い、の~」

{うおおおおおおおおお。こ、こ、こでばあ、なんという可愛らしい幼女、なんという美幼女。うつくしい、デンジャラスビューティーなほど可愛いじゃないか。ど、ど・ストライクー。ど、どうする。とりあえずさらうか。誘拐して、地球のど真ん中で愛を叫ぶか、天国に一番近い島でオママゴトをするか。いや、待て。まず、しゃがんでこの絶品幼女を愛でようではないか。力いっぱい、観察するんだ}

「あははは、お嬢ちゃん大丈夫かい。痛いとこないかい。お兄さんに見せてくれてもいいんだよ」

「ん~、だい~じょ~ぶ~」

{この可愛さは反則だあっ。こんなのがロリコンの目の前にいたら、誘拐しないわけないっしょ。きっと俺様は犯罪者となるが、もうどうだっていい}

「そうだ、お兄さんが美味しいものを食べさせてあげるよ」

{とりあえず食いもので釣ろう。おそらくこの近くに家族がいるはずだから、遠くへ連れ出してから誘拐実行だ、ふふふ。これぞ神隠しの術だ。ネットで怪奇スレがたちそうだな、ひひひ}

「お~い~しい~の~」

{おお、なんと幼女のほうから手を差し伸べてくるではないか。飛んで火に入る夏のロリコンだあ。こいつは春から縁起がいいぞ。さっそく手をつないじゃおう}

「ん~」

{おっほ、柔らかい。ちっちゃい手が柔らかくて泣けるう。これは、ロリコン野郎殺しだわ}

「あらあ、亜理紗。知らないお兄さんと手をつないでどうしたの。あなたまさか、うちの子を誘拐するとかではないですよねえ」

{こ、これはマズい。母親がすぐ近くにいたのか。油断した。この幼女があまりにもかわいかったので、ついつい我を忘れてしまった}

「い、いや、違いますよ。わ、私はけして怪しい者ではないです。ただの通りすがりのリーマンですよ」

「ただの通りすがりのサラリーマンさんが、どうして、うちの大事な娘と手をつないでいるのですか」

「こ、この子が迷子になっていたから、これから警察に行こうと思ってたんですよ、はは、はははは」

「ご~は~ん~に、いく~の~」

{わあ、ここで手をぎゅって握るんじゃない。誤解されてしまうやろうが}

「へえ、小さな子どもを連れ去ってお食事に行くって、やっぱり誘拐なんじゃないのかなあ」

「ちょちょちょ、まってまってくださいよ。これには深くて微妙に臭い訳があるんです」

{やばい、ヤバいぞ。なんとか誤魔化さないと、ロリコン罪で捕まってしまう}

「まあ、母親である私と一緒にお食事をするのなら問題ないですけどね」

「も、もちろん、そのつもりでしたよ。見知らぬ子どもと二人っきりで食事をするわけないじゃないですか、はははは」

{ハンバーガーでもおごればいいだろう。そして隙をついて逃亡だ}

「ほほほほほ。ちょうどお腹がすいていたところなの」

「わたしもね」


 と、ここで文谷家の全員が集まった。もちろん、俺もお邪魔してますよ。

「さあ、それではそこのファミレスに行きましょうか。京香、亜理紗、それに恭介君。なんでも好きなものを注文していいからね」

「うおっす」

「はい」

「あ、あのう、ひょっとして皆さんでお食事するのですか」

「当然だべ」と京香。

「あのあの、私はそのう、この亜理紗ちゃんの分は負担しますので、皆様の分は自腹ということでいいでしょうか」

 リーマンが気弱そうな顔してる。捨てられるために河原に連れていかれた、可哀そうな子犬の目をしてるよ。

「はあ、てめえ、なに言ってんだよ。わたしらは貧乏人なんだ。金なんて持ってるわけねえだろう。どうやってレストランに入るんだよ。入れないんだよー」

 金がなくてレストランに入場できないことを、京香が懇切丁寧に説明しているさ。

「ですから、皆様の食べる分は皆様で支払うということで」

 リーマンが必死だ。あんまり金持ってないのだろうな。 

「だから、金ねえからわたしらは入れねえ、っつってんだろう」

 京香、もうちょっと優しくしような。まるでコンビニでグダまいてるDQNだぞ。

「あらあ、私たちを置き去りにして、亜理紗と二人でお食事ってことは、やっぱり誘拐犯人だったんだあ。あ、あそこに交番があるから通報しようかなあ。お巡りさん、ここにロリコンのお兄さんがいますよう。うちの子がイタズラされちゃってますう。児童ポルノ法違反ですよう」

「いまあんたの顔とったから、これからネットで拡散しようかなあ。インスタとかさ」

 お母さんと京香の、ネチネチ攻撃が容赦ない。リーマン、目を白黒させて焦ってるなあ。仮に警察に通報されたら、この状況じゃあ言い逃れできないだろう。

「わ、わ、わかりました。大きな声を出さないでください。出しますから、皆様のお食事の分も出しますから、誘拐犯とか言うのはやめてください」

 勝ち誇ったお母さんと京香の顔が怖いよ。女って、基本的に悪党の属性を持ってるよなあ。

 まあでも、そのおかげで俺もファミレスで飯が食えるわけだ。朝飯抜きだったから腹減ってんだよ。

 さっそく、近くのレストランに入店したよ。落ち着かないのか、リーマンがそわそわしっぱなしだ。

「あの、あの、このランチセットなんていいんじゃないですか」

 リーマンが涙目になりながら、780円のランチセットを勧めてるさ。

 だが、文谷家は当然のように無視する。そして、反社会的なロリコン野郎に正義の鉄槌を下すのだった。

「わたし、贅沢和牛ステーキに特上うな重、ジャンボエビフライ7本と生ウニてんこ盛りパスタに絶品ベーコンピザ、季節限定トロピカルフルーツパフェと本物わらび餅。あとサラダバーとドリンク飲み放題ね」

「う~ん、そうねえ。私は熟成サーロインステーキ700グラム、地鶏の山賊焼き、漁港直送海鮮丼、ジャンボエビフライ17本、大トロのお刺身三人前、フカヒレスープにシーザーサラダに生ビール飲み放題とハーフワイン、お持ち帰り用ゴージャス幕の内弁当四つ。そんなところかしら」

 あひゃあ。

 京香とお母さんの注文が情け容赦ねえ。これっぽっちの遠慮も慎ましさも憐憫もねえ。

 これはもう、ただ貪欲なだけだ。ゾンビのような食欲が突き抜けてるぜ。バキューム一家だ。

 だがしかし、オラも負けてはいられないぞ、クリ〇ン。

「ええーっと俺は、北海道の豪華海の幸シーフードグラタン、熟成イベリコ豚のポークチャップ二人前、ふわとろオムライス大盛りで、男子はやっぱカレーでしょう、ということで、本場インドの王族カリーセット、生チョコパフェと超絶イチゴパフェ、あとはサラダバーとドリンク飲み放題。あ、スープバーも」

 ふふふ、どうだ。店員の姉ちゃんのオーダー端末がいい具合に唸ってるぞ。絶望するリーマンの顔が溶けてるなあ。洟を垂らして財布の中を確認してるけど、手持ちの現金じゃ足りないみたいでクレジットカードを取り出したよ。これは精算するときが見ものだな、ヒヒヒ。ロリコンは高くつくってことだ。

「お~こ~、ちゃま~、らん~ち~」

 亜理紗は、お子様ランチをご所望だ。

「さ~い~じょ~、きゅう」

 しかも、最上級にグレードアップだぜ。

 うっわ、なんだこの最上級お子様ランチの値段は。一万七千円とかありえんぞ。

 ははは。

 料理が次々と運ばれてきた。机にのりきらないから、カートが控えてるよ。すんごい量で、他の客たちの驚愕の視線が熱いな。

「それじゃあね、いただきま~す」

「いただきマンモス~」

「いただきます」

「い~ただ~き~マす~~」

 食ってる食ってる。

 すげえ勢いで貧乏人が食ってるよ。百年くらい飯を食ってなかったのか、ってくらいガッツいてる。インパラに食らいつくリカオンの群れみたいに貪り食ってるさ。もちろん、俺もだけど。

 そんで、お母さんがバックからタッパを出して、エビフライを放り込んでる。ちなみにそれ、持ち帰ったらダメなやつだからコソコソとやってるさ。

 さらにさらに、京香が本場ドイツの極上ソーセージ盛り合わせ9人前追加で、シャウトだぜ。

「ああ~、ああー、来月の支払いがー」

 リーマンがショックで病人のような顔してる。水をひたすらに啜りながら深淵をさ迷ってるなあ。これに懲りて、ロリコンから熟女趣味に変えたほうがいいぜ。


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