第17話

「うんぐっ」

 焼きそばパンをがっついていた服部半ペー子が、あまりにも強引に呑み込もうとして喉につっかえてしまった。

「うぐーっ、うう、み、みずーっ」って、苦しそうな顔で俺を見てる。

 水っていったって、ここは外だから蛇口がないし、ジュースを買うにしても自販機は遠いし。だいいち、俺は金を持ってないんだよ。

 お、具合のいいことに、ここにジョーロがある。どこの学校にもあるごく普通の水差しだ。誰かが花壇に水をやるために置いているんだな。水は満タンに入っているから、たぶん雨水だと思うんだけど、この先端のシャワーヘッドを外せばなんとかなるぞ。

 ほれ、ピンク忍者、水だぞ。

 鬼のような顔して奪い取ったと思ったら、ぐっびぐびと飲み始めたさ。もうさあ、ジョーロの水を全部飲み干す勢いだよ。おまえ、何リットル飲んでるんだ。象だってそこまでがぶ飲みしないぞ。

「ういー、死ぬかと思った。げっぷー。甘露甘露」

 ジジイかっ、おまえは。

 ぶひっ。

 うっわ、屁こいた。

 この露出くノ一忍者、見ず知らずの男の前で屁をこいたよ。信じられない。恥ずかしがる様子もなく平然としてるって。

「オエッ」

 な、なんかすげえ臭いんだけど。

 ふつう、これだけ離れていれば、屁のニオイなんて薄まるはずなんだけど、どういう仕様なんだか、激臭いぞ。

 風に運ばれるままに、ダイレクトで俺の鼻の穴を攻撃してくる。貧乏人のくせして、なんでこんなに屁が臭いんだよ。

「見よ、小太郎」

 くノ一忍者、今度はくさい棒イカ味を両手に持ってポーズをキメてる。屁のことはまったく気にしてないな。しかも、小太郎がうざい。

「これぞ服部流忍術・秘儀、二刀流両手食い。はりゃあー」

 ええーっと、両手に持った駄菓子を交互に食ってるだけだな。食い物にありつけたのがよほどうれしかったんだよ。ドヤ顔して、必死にかぶりついているのが痛々しいわ。まあ、小学校低学年レベルか。亜理紗のほうがまだ大人だよ。

 やば、もう午後の授業が始まってるじゃないか。早く教室に戻らないと。

「あ、どこいくの」

「教室だよ」

「そっちは、らめえ」

「うわああ」

 露出ヘンタイくノ一が、アニメ言葉を発しながら抱きついてきた。いいや、タックルしてきた。

「つう、いててて」

 なんか、落ちた。俺、どこかに落ちたぞ。凄く狭くて、しかも土臭い。それに重い。

 それもそのはずだ。服部半ペー子が俺の上に圧し掛かっているから。漬物石のごとく、俺を圧迫してよ。

「なんなんだよ、おまえは。とりあえず、俺から離れろよ」

「離れろったって、ここは穴の底だからな。重力的にそうはイカのキン〇マなのだよ」

 女子がキン〇マとか言うなよ。顔は可愛いのに、どうしてそんなにオヤジなんだ。

 しっかし、身動きができない。とにかく狭いんだよ。暗いし、穴の底ってどういう意味なんだ。

「これは、あたしが丹精込めて掘った落とし穴だからな」

 え、落とし穴なのかよ。

「なんで、落とし穴なんか掘ってんだよ」

 しかも学校の敷地内に。

「なんでって、あたしは伊賀もののくノ一だからさあ。敵が多いんだよね。ほら、風魔小太郎とか甲賀の五十三家とか、いろいろいるじゃん」

 イカン。

 こいつはイッちゃってるな。完全に妄想脳だ。オタクの内野裕也に近いものを感じる。小太郎は、風魔小太郎のことだったのか。

「あ、そこ触っちゃらめえ~」

 え、俺、なんかヤバいとこ触ってんのか。なんせ密着しているからな。

 そ、そう言えば、左手が毛深くて柔らかいものに触れてる。微妙に湿ってるし。こ、これは、あの、禁断の領域なのか。

 って、なんじゃこれは。

 なんかモフモフしてると思ったら、ネズミがいるよ。これ、ネズミじゃんか。

 あれえ、なんで俺はネズミを掴んでるんだよ。

「それピーちゃん。ジャンガリアンハムスターだよ」

 ハムスターかっ。

「なんでここにハムスターがいるんだ」

「あたしのペットなんだ。緊急時には食料になるけど」

 アホか。

「ハムスターを持ち歩くな。そして緊急時でも食うな。しかも、ピーちゃんって名前がハムスターらしくなくてイライラするわ。ハムスターだったら、ハム次郎とかハム之助とかだろう。しかもこの湿ってるの、ハムスターのオシッコじゃんかよ」

 そもそも貧乏人が、ペットを飼うんじゃない。

 いてててて。

 こいつ、俺の指を噛んでやがるぞ。ジャンガリアンハムスターは、よく噛みつくんだよなあ。痛いの嫌いなちびっ子は、ゴールデンハムスターにした方がいい。

「ハム次郎って、ダサ、くそダサいわ。江戸時代ですか、はあ?」

「いや、例えばの話しだろう。そんなに非難されるほどでもないわ。ピーちゃんよりも全然ハムスターらしいだろう。だいたいピーちゃんって、ババアがインコにつける名前だろうが」

「ババアのウ〇コは緊急時の食料にはなりません。キリッ」

 もういいわ、わけわからん。

「そんなことより、この落とし穴からさっさと出るぞ」

「ふふふ、何も知らないドシロウトが。この穴は深さ三メートル以上あるから、そう簡単には出られないんだ。しかも、さっきのジャンガリアンハムスターというのはウソで、じつは下水溝から拾ってきたげっ歯類だ」

 あぎゃ。

 それ、ドブネズミじゃん。

 うわあ、きたねえ。てか、さっき指を噛まれたけど大丈夫なのか。ペストとかコレラとか水虫にならないだろうな。

「ペットで緊急用の食料じゃなかったのかよ。ドブネズミなんて持ってくるなって。おまえ、ほんとうに女子高生か」

 ドブネズミに触れるJKって、全国でおまえぐらいだぞ。

「そんなことより、ここを脱出しないと、あたしたちは即身仏になっちゃうよ」

 だから、そう言ってる。

「三メートル以上あるんだろう。おまえが掘った穴なんだから、どうにしてくれよ」

「深さはいいんだけど、幅が狭いのよ。身動きできないのよね」

 いったい、どうやって掘ったんだよ。

 あ、そうだ。

「俺がこのまま立ち上がればいいんじゃないか。そんで、おまえが俺の肩に乗れば地上まで行けるだろう」

 われながら、グッドなアイディアだ。

「ちょっと待った。あたし、あんたにおまえ呼ばわりされたくないんですけど」

「ああ、それはごめん。じゃあ、なんて呼べばいいんだ」

「そうねえ、モンゴリアンデスワーム・アブドーラ・ザ・デンデデン・不二子でいいよ」

「長えよ」

「じゃあ不二子で。恥ずかしいのなら、ふ~じこちゃ~んで」

「余計恥ずかしいわ。服部半ペー子じゃなかったのか」

「じゃあ、半ペー子で。それと、タヌキうどんの天かす大盛りね」

 ああ、なんかこいつとの会話のやり取りが腹立たしいな。京香や生徒会長たちに囲まれていた頃が懐かしい。

「そんで、あんたの名前は」

「俺は佐々木、いや文谷恭介。違う学校の制服を着てるけど、今日、この学校に転校してきたんだ」

「やっぱ、モンゴリアンデスワームって存在すると思うんだ。矢追がモンゴルに行けばいいのよ。イモトでもいい」

 こいつ、俺の話しを聞いちゃいねえ。

「じゃあ、小太郎の肩に足を乗せるから、ゆっくりと立ち上がって」

 だから、俺は風魔小太郎じゃないって。いいかげんに小太郎から離れろよ。

「いたたた」

 半ペー子が俺の身体を踏みつけながら肩に上ろうとしているけど、なんだかとっても痛いんだ。

「あたしの靴、底に画鋲が装着されてるんだ。だって忍者だから」

 自慢かよ。もうなにがあっても驚かないからな。

 なんか、肩に画鋲がグッサグサ刺さってるけど、うまく乗ったようだな。

 よし、じゃあ、立ち上がるぞ。でも穴が狭すぎて屈伸しづらい。忍者を一人乗せてるので、なおさらだ。

「がんばれ、小太郎。それっ、それっ」

 声援ありがとう、半ペー子。でも、俺は恭介だ。

「むおおおおお」なんとか立ち上がれそうだ。

「ふおおおおお」なんで半ペー子まで力んでんだよ。肩に画鋲が突き刺さる。

 ぷふぇ~。

 うわああああ。

 半ペー子が、すかしやがった。微妙な音がする、すかしっ屁をしやがったよ。

 あぎゃあ。

 めっさ重い毒ガスが頭上から落ちてキター。

 臭い、臭っ、おえーっ、目に沁みるう。気持ち悪いよう。なんよ、これ。


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