比翼連理【一】

 その後の展開は、目まぐるしかった。琥珀が火傷や投獄による衰弱の療養をしている間に、すべて終わってしまっていた。

 それもそのはずで、身分の上下に関わらず、都の人間のほとんどが、奇跡を目の当たりにしていた。強い毒に倒れていたはずの第五王子が、白銀の姿になって風雨とともに現れ、無実の罪を着せられた伴侶を救う光景は、遠い昔の神話が立ち現れたかのようであった。彼に逆らえる人間はほぼおらず、聞き取り調査は驚くほど速やかに進んだらしい。

 紫嵐は遼雲とともに、大鉈を振るった。今回の陰謀に直接関わった者だけでなく、それ以外にも紫嵐たちはありとあらゆる不正や過去の暗殺事件の証拠や証人を揃えていた。

 紫嵐の殺人未遂事件の黒幕である奇劉は、決して自分の関与を認めなかった。だが、周りの者はそうもいかない。もはや紫嵐は神と同格と目されていて、奇劉が配下としていた兵士や官吏たちは、軒並み自身や主の罪を自白した。遼雲や琥珀の証言だけでは弱かったので、ありがたいことであった。

 紫嵐たちの断罪は、青龍王にも及んだ。ここまで一切姿を現していなかった王は、やせ衰えていて、なのに目だけはギラギラと薄汚い欲望に光っていた。

 龍が一番強いのだから、この世界のすべてを治めるのは自分たち青龍族であるという思い込みから、侵略戦争を考えていた国王は、自分の息子たちが無茶苦茶なことをするのを、静観していた。国内情勢がどうなろうと、知ったことではなかった。彼の耳目は常に外に向けられていて、他国につけいる隙を伺っていた。

 家臣団の報告で、琥珀が白虎の血筋の末裔であることを知って、紫嵐の毒殺を口実に宣戦布告することができると踏んで、詳しく取り調べを命じることもなかった。

 王がいつも閉じこもっている執務室の机の引き出しからは、白虎王への開戦通告の書状が見つかった。息子たち、妃やその実家が好き勝手にしているのを放置していたのが、彼の最も大きな罪であり、王の素質が疑われる部分であった。

 結果、奇劉を始め紫嵐やその母らの暗殺に関わった者たちは、荷担の度合いによって刑が決まり、だいたいは死を命じられた。火あぶりなどというむごたらしい手段でないのは、紫嵐の最後の慈悲であった。

 その他の親族も蟄居や位の没収を命じられ、最後には王も退位させられた。青龍国は現在、国王がいない状態である。

 回復して元気になった琥珀は、手元に戻ってきた紫嵐の逆鱗を弄びながら、王宮の庭園に来ていた。春になれば多くの花が咲くに違いない場所は現在、静謐に包まれている。王族が花を愛でるために作られた東屋の中で、ぼんやりとしていた。

「こんなところにいたんだ」

 話しかけてきたのは、黒麗だった。紫嵐たちが忙しくしている中でも、この男だけはいつも通りだった。姿が見えないと思ったら、急に出てきたり、街に下りたと言って土産を買って振る舞うこともあった。

「黒麗」

 風が吹いて乱れた髪を耳にかけながら、彼は「どうしたの。浮かない顔しちゃって」と、琥珀の顔を窺ってくる。

 せっかく体調も回復して、琥珀も紫嵐も元気になったというのに、憂鬱な気分を抱えたままでひとりで過ごしている。

 無言のまま、顔を見ようともせずに俯く琥珀に向けて、黒麗は飄々とした物言いで、「言えないなら当ててあげよっか?」と笑い、東屋から出て、庭園に下りた。ふわり、と足音ひとつしないしなやかな動作に、琥珀は「ああ」と思わず溜息をつく。

「駄目だよ~。君が何も言わないで出て行ったら、紫嵐が何をするかわからない。それこそこの国を、本当に滅ぼしちゃうかもしれない」

 この男には、敵わない。きっとあれだけの大仕事を果たした紫嵐ですら、黒麗の一段も二段も高いところから世界を読む力には勝てない。もしも彼が青龍族であれば、紫嵐は血統など問題ないとばかりに、黒麗を王に据えたに違いない。

 だが、玄武族の男をこの国の頭に置くことはできない。世界の均衡が乱れる。それは黒麗自身が最も望まないことだ。

「でも、俺は邪魔だろ?」

 紫嵐は――もしかしたら、青嵐と名前を変えて――青龍国の王になる。今は空位となっているが、誰かが座らなければならない。奇劉を始め、紫嵐の兄たちは皆粛正されたため、正式に血を引く者は彼と遼雲しかいないし、後者は母親の身分が低すぎて、王子と認められていなかった。

 王というのは、血を繋ぐのも重要な仕事のひとつだ。青龍王だけじゃない。白虎王だって、正妃以外にもたくさんの妃を揃えていて、子どもがたくさんいる。朱雀は女王だから少々特殊ではあるが、彼女ならば、愛する男との間にたくさんの子を産むだろう。

 とにかく、紫嵐が王になるのならば、子どもを産めない男の伴侶は邪魔なのだ。

 琥珀はひらひらと、持っていた逆鱗を振る。

「これも、もう役に立たないんだから破棄しても平気だろ」

 紫嵐の毒を打ち消し、琥珀の傷を癒し続けた鱗は、短期間に何度も力を発揮したのが原因だろう、ぼろぼろになっていた。風にさらすと、そのまま崩れ落ちていってしまいそうで、琥珀はなんとも言えない気持ちになる。

 もう自分が、紫嵐が縛られる必要はない。だから青龍王となった彼には、新たな妃を迎えてもらって、幸せになるべきだ。

「君が正妃で、他に側室を迎え入れるんじゃだめなのかい?」

 病気や本人同士の相性によって、正妻との間に子を成せない夫婦はごまんといる。黒麗の提案は現実的な妥協点であったが、琥珀は首を横に振った。

「俺、我がままなんだ。紫嵐が他の誰かと仲良くしているのを見たら、苦しくなる。だったら最初から、離れた方がマシだ……なあ、あんたにとっては、その方が都合がいいだろう?」

 黄王陛下。

 振り向いた黒麗は、いつもの人を食ったような軽い笑顔はしていなかった。慈愛に満ちた目は、琥珀に向けられているようで、実は違う。

 彼の目は、あまねく、すべての人に向けられる。平等に愛を抱き、世界の調和を求める者。それが黄王。

「……どうして僕が、黄王だと?」

 肯定も否定もしない黒麗の言葉は、一定の熱を保ち、穏やかだった。

「野生の勘ってやつかな」

 紫嵐にしろ朱倫にしろ、黒麗と顔を合わせたときには、初対面の顔をしていた。黒麗と視線を合わせることで思い出したようだったが、実際には、「ない記憶」を植えつけられていたのだ。

 また、あちこちに首を突っ込む男が、朱雀の巫女である朱倫が託宣を受ける儀式に参加しなかったのはおかしい。琥珀は黒麗のことを疑っていた。彼は何もかもを知っているという顔をする。それは、人知を超えた存在であったからだ。

「黄王を祀る社にはね、いろいろな願いをする人間が来るんだけど」

 取り留めなく始めたのは、思い出話だった。

 黄王の神殿の本社は朱雀国、朱倫のいる場所だが、大きな街ではたいてい、黄王を祀る社がある。天帝は人知を超えた存在で、願い事をするのは不遜だが、黄王は人間を愛し、天帝との間を取り持つ存在であることから、願掛けも盛んにおこなわれる。

 幼い頃の紫嵐は、並々ならぬ覚悟で誓願を立てた。下に見られ、虐げられ、しまいには母を殺された子どもは、兄やその親族への復讐を誓い、そのために力を欲した。そして黄王になると誓ったのだ。

「そんなに真剣なら、と思ってちょうど代替わりを検討する頃合いだから、顕現したわけ。子どもの頃から意志も変わっていないようだし、青龍国のごたごたをどうにかすることができたら、代わってあげてもいいかな、って」

 朱倫の口を借りて告げた試練は、「お前の実家の問題をどうにかして、世界平和に貢献しろ」だったらしい。

「でもね」

 そこで言葉を切った黒麗は、柔らかな目を琥珀に向けた。

「……俺?」

 彼は頷く。

「黄王になって復讐をしたいという気持ちの中にね、彼にとっては雑念だったのかもしれないけれど、小さな小さな、可愛い願い事が隠れていたんだよ。自分を助けてくれたあの子にまた会いたい。あの子が幸せでありますように、って」

 ラン、と口をついて出た。ずっと忘れずにいてくれた。再会を、幸せを願ってくれた。

「願わくは、自分があの子を幸せにしたいと」

 それは、黄王になって親兄弟を一掃するのとどちらが強い願望だったのか。無意識の力、というのはあると思う。復讐には相当の意志の力が必要で、常に意識をして、気を張っていなければ続かない。

 レンとの再会を願うのは、彼の心の中の一番柔かな部分が訴えるものだ。何よりも純粋で、あたたかな願望を、黄王は受け止め、叶える。

「君と再会して、紫嵐は変わった。君を愛し、君に愛され、黄王になる以外の道があったことを思い出した」

 愛を知った男に、その愛を捨てさせるなと黒麗は言う。復讐を遂げた後に、愛する者が消えたとなれば、紫嵐は自分の存在意義を見失うかもしれない、と。

「世界に絶望し、愛せなくなった人間は、王ではいられない。君に捨てられたら、青龍王となったとしても」

 国を救った英雄が、今度は国を亡ぼすことになる。そうなれば、黄王は紫嵐を罰さなければならない。天帝の意にそぐわないから。

「遼雲や、黒麗が傍にいてくれたら……」

「無理だよ。血の繋がった家族では補えないし、それに僕は、もう行かなきゃならない」

 黄王になるに値するだけの人物かどうか、黒麗は見極めるために紫嵐に近づいた。結果は「否」。此度の代替わりはしないと言い切った彼は、「玄武族の黒麗」の痕跡も人々の記憶の中から存在を丸ごと消して、貴山に戻るのだという。

「そんな……」

 旅の仲間としてずっと一緒に過ごしてきた彼のことを忘れてしまうのは、嫌だった。この会話も、もうすぐなかったことになってしまうのだ。自分はまだいい。気の置けない唯一の友人として付き合ってきた紫嵐の記憶から跡形もなく消え去るのは、酷なことだ。

 黒麗は琥珀を抱きしめた。力強く、優しく、父親のように。

「君たちを見守っている。だから……」

 どうか、幸せに。僕にこの世界を諦めさせないでおくれ。

 耳に吹き込まれた言葉を最後に、ぬくもりは消えた。



「あれ……?」

 誰かがそこにいたような気がするのに、誰だっただろう。

 首を捻る琥珀に、声がかけられる。

「琥珀? どうした」

「紫嵐……」

 忙しい合間を縫って探しに来たのだろう。紫嵐はどこか疲れた様子で琥珀の隣に立つと、ぐるりと庭園を見回した。

「ここはいいな。人がいなくて、安心する」

 国王の代理を務めている彼は、ひとりきりになれる瞬間はほとんどない。療養中の琥珀の見舞いに来るのだって、人を引きつれてのことだったのだ。

「どうした。そんなに不安そうな目をして」

「あ……」

 言わなきゃ、と、なぜか強く思った。つい先ほどまで、紫嵐が王になるのならば自分は引き下がり、どこか遠いところに行かなければならないと考えていたのに、まずは彼自身の意志を聞いてみないことには、自分がうかつな行動に出るわけにはいかないのだと、思い直した。

 本当に出ていけと言われたらいやだな、と恐る恐る琥珀は、自分の不安や考えを吐露した。言葉は拙く、子どもみたいに感情的になりそうになったところもある。紫嵐は黙って話を聞き、こともなげに答えた。

「私は青龍王にはならない」

「は?」

 思わず不遜な声を出してしまった。周囲に人がいたら、また咎められるところだった。紫嵐は琥珀を伴侶として扱ってくれるが、王宮の人間はそれでも身分をわきまえろという目でじっとりと睨みつけてくる。

 やべ、という顔をした琥珀に、「ここではお前が心安らかではいられないだろう?」と、紫嵐は言った。

「そりゃそうだけどさ……」

 王権に伴う政務に国事行為、人前に出ない仕事出る仕事、どれもこれも性に合わないのは明らかであった。

「王の代わりはいる。遼雲もいるし、それこそ叔父上の子に託すこともできる」

 直系と呼べる血筋でなくとも、青龍王になる資格のある者は、まだまだ多い。その中で素質がある者に託し、ならば紫嵐は一体、これからどうやって生きるつもりなのだろう。

 彼はそっと、琥珀の手を取った。骨ばった手。もう二度と、血に濡れてほしくない。

「だが、お前の伴侶は、私しかいない。そうだろう?」

 比翼の鳥、連理の枝。仲睦まじい夫婦を指す言葉は数多くあれど、自分たちには関係がないと思っていた。逆鱗をうっかり剥がしてしまうという事故で繋がっただけの関係だ。

 けれどその実、自分たちは幼い頃に出会い、惹かれ合っていた。まさしく、そうなるのが運命であるかのように鱗は琥珀の手元にある。

 ボロボロになった逆鱗を、紫嵐は手に取り、そして高く掲げた。すでに風化しかけていたそれは、風に飛ばされていく。少しずつ、花が散っていくように。

「これでもう、私たちを縛る逆鱗はなくなったわけだが……どうする?」

「そんなの……」

 そんなの、答えは決まっている。きっと彼が玉座に座れば、青龍国はこれまで以上の発展を遂げるだろう。けれど、そんな人生を紫嵐は望んでいない。そしてそれは、琥珀も同じだ。

 背伸びをして、彼の首に抱き着く。勢いに一瞬押された紫嵐は、けれど倒れたりすることなく、琥珀を支えてくれた。

「俺はずっと、お前と一緒にいたいよ……!」

 誰もいない場所であるのをいいことに、紫嵐は琥珀の唇に噛みついた。口づけも随分と久しぶりで、舌の甘さ、動きに酔う。柔かな肉同士を絡み合わせ、上の歯の裏側をなぞられ、歯の一本一本の形を確かめるように、紫嵐はじっくりと時間をかけた。

 呼吸を乱した琥珀が彼の胸を強めに叩くまで、口づけは続いた。離れたときには、紫嵐の目は欲に潤んでいた。

「琥珀……今夜、お前を」

 皆まで言わせず、頷いた。

 きっと自分も、彼と同じ色を目に湛えている。

 

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