白銀の奇跡【二】
処刑にいい日取りというのもおかしな話だが、午後の鐘がひとつ鳴る頃、青龍国の都は穏やかに晴れていた。これが雨だと、適当な屋敷を貸し切って文字通りの高みの見物を決め込んでいる貴族はまだしも、わざわざ広場まで来なければならない庶民たちの集まりが悪くなる。
とはいえ、たとえ荒天であったとしても、この度の公開処刑は皆の注目を集めていたに違いないだろう。何せ、ずっと病に苦しんでいた紫嵐王子を支えてきた友人と目されてきた男が、王子を毒殺しようとしたのだというのだから。騙したな、と石のひとつでも投げなければ、青龍国民の名折れである。
そんなところだろうな、と、腰に縄をつけられた状態で、家畜のように刑吏に引かれている琥珀は、他人事のように思った。
不思議と心は凪いでいた。これから死ぬというのに、恐怖はなかった。この胸を満たすのは、紫嵐が無事であればいい、それだけだ。
閉じ込められていた場所から広場まで、大きな通りを歩かされる。殊更にゆっくりと、だ。忌むべき罪人の惨めな姿を、より多くの市民に見せるために。
ひゅう、と風を切る音がしたと同時に、額に痛みが走り、琥珀は目を細めた。
「やりぃ! 当たった!」
声のした方を見れば、小さな子どもが拳を握り、喜んでいた。仲間と連れ立ってやってきて、琥珀に石を投げて当たるかどうかの勝負をしていたらしく、賞賛を受けている。子どもだけでこんな場所に来るわけがないと彼らの周りを見れば、ちょうど琥珀に当てた子どもの頭を撫でている父親の姿があった。周りの大人たちも、誰も咎めない。
琥珀は足を止めた。
「おい!」
刑吏に引かれても、動かなかった。じっと子どもたち、それから彼らの兄弟や親たちを見つめる。やいやいと騒いでいた彼らの内、ひとり、ふたりと琥珀の視線に気がついて押し黙っていく。最後まで気づかずにはしゃいでいたのは、やはり琥珀を直接傷つけた男児であった。
父親は子どもを咄嗟に隠すが、琥珀は子どもに向けて呼びかけた。微笑みすら浮かべていた。
「坊主。力を振るう場所、振るい方を間違えるなよ」
罪人に石を投げて喜ぶのは、下衆のやることだ。
公開処刑は当初、「人を殺せばお前もこうなるぞ」という庶民の犯罪抑止のために行われるようになったらしいが、今となっては娯楽と化してしまっている。それほどまでに、人が苦しみ喘ぐのを楽しむことができる人間が多いということだ。
琥珀はただ死ぬ気はなかった。より多くの人間の目に触れ、無実の罪を着せられて死にゆく己を目撃させる。感情的になれば、信憑性が失われる。淡々と、表情を変えずに道を行く。琥珀の言葉を聞いた子どもとその父は、その後は黙って背中を見送っていた。
広場に準備された火刑場にたどり着いたときも同じであった。高い場所につくられ、さながら祭壇だ。神に捧げられるいけにえの羊といったところか。
琥珀は人々を見下ろす。
憎悪の炎を燃やし、罵倒してくる者たち。
殺せ! という叫び声は増幅して、大地を揺らす。すっかり弱り切った足腰では、その異様な空気に立ち向かえず、よろけるほどである。遠くにいる貴族の奥方や御令嬢たちは、「あらなんて醜いの」と顔を見合わせ、くすくすと笑っているのだろう。姿は見えないが、奇劉たち青龍の王族もどこかで並んで、弟を再起不能にした琥珀に感謝しながら、酒を飲んでいるに違いない。その中には、兄弟の父である王自身もいるのだろう。
そういえば、この騒動の最中、青龍国王の姿を一切見なかったことに気がついた。普通、息子を殺されかけたとなれば、激昂してその場で斬り捨てられてもおかしくはないのだが、
よそ事を考えていると、表情が抜け落ちる。それがよほど、観衆には異様に映ったのだろう。次第に喧噪が下火になっていた。
「あ~……何か、最後に言いたいことは?」
実際に刑を執行する、嫌な役割を担う役人すら、視線が右往左往して落ち着かない。琥珀が堂々と背筋を伸ばして起立しているのとは対照的である。
死刑囚の言葉を、今か今かと群衆は待っている。後方の人間はいまだに琥珀への憎悪を口にしているが、近くで表情を見ることのできる人間たちは押し黙り、何かを考えている様子であった。
「俺は、無実です。愛する伴侶である紫嵐殿下を、どうして殺せましょう」
「とはいえ、証拠はどこにもありません。けれど、誰が何を言おうと、信じようと信じまいと、俺だけは、俺がやっていないことを知っています」
一度目を閉じて、それから開く。命乞いはしない。黙って刑吏に目配せをすると、彼はハッとして、次の動作へと移った。そんなやり取りを間近で見ていた民の口から、「ひょっとして、本当に無実なのではないか?」「本当の犯人が別にいるのでは?」「なのに火あぶりなんて!」などと、のぼりはじめる。誰が言い始めたのか見当もつかないが、琥珀は彼らを見下ろし、ひとりひとりと視線を合わせるようにぐるり見回した。
「早く……早く、処刑せよ!」
焦れた怒鳴り声は、午前中に奇劉と一緒に部屋までやってきた、階級の高そうな兵士であった。青ざめているのは、これ以上市民の不信が大きくなる前に処刑を終えないと、自分の主人への疑いに繋がるからだ。
せっつかれた刑吏の手引きによって、琥珀は壇上に作られた十字の木組みに、両手両足を括りつけられる。逃げられないように、きつく締められて痛む。顔を歪めると、これからもっと痛い目に遭うのにな、となんだか無性におかしかった。
足元にはよく燃えるように、しかしじっくりじわじわと焼き焦がしていくように計算された量の藁が敷き詰められた。しっかり乾いていて、よく燃えそうだ。
なるべくなら苦しまずに死にたいものだが、焼死となれば難しそうだ。風が強く吹いて、想定よりも炎の回りが速いことを期待するしかないが、望み薄だろう。あくびが出るほど、のどかな昼下がりである。
額に汗を浮かべた兵士――それが気温的なものなのか、あるいは無実の人間を手にかける冷や汗なのかはわからなかった――が、たいまつを持ってくる。
「ちゃ……着火!」
上擦る合図の声とともに、藁に火がくべられる。すぐにパチパチと燃え移り、煙が、熱が上がってくる。目鼻に沁みて、琥珀はゴホゴホと咳をして、涙を流した。
藁から台座までは多少距離があって、この間に罪人が「助けてくれぇ!」と泣き叫ぶのが娯楽となっているのだろう。琥珀は咳き込みはするものの、一切の命乞いをしない。すべてを受け入れ、この国が、世界が自分の死によって変わることだけを願いながら、琥珀は目を閉じる。
もう、足先まで火は迫っている。あまりの熱に、奥歯を噛みしめて、悲鳴を殺した。
焼け焦げて、死ぬのだ。最も恐ろしい死に姿を晒して、この世からおさらばするのだ。
ああ、でも最後に。
――紫嵐に会いたかったなぁ。
琥珀の最後の願いは、心の中だけでなく、声に出ていたらしい。
「最後などと、悲しいことを言うな」
応じる声に、え、と目を開ける。
先ほどまで晴天だったのに、急に雲が立ち現れていた。遠くで雷鳴すら聞こえる。すぐさま大粒の激しい雨が降ってきて、炎の勢いが鎮まっていく。
「あ、あれを見ろ!」
誰かの叫び声に、一斉にある方向を見る。城のある側だったが、拘束されている琥珀には、何もわからない。
ただ、背後から「何か」が勢いよく、雨と強い風だけでは説明のつかぬ轟音を伴って迫ってくるのを、ひしひしと感じた。
そしてそれが、決して嫌なものではないことも。
――グオオオオオオオ……。
咆哮に、腰を抜かす。訓練を受けているはずの兵士ですら恐慌状態に陥っている。
「りゅ、龍……! 青龍様だ……!」
畏怖の視線で見上げる。自分たちだって、本性は龍であろうに、何をそんなに恐れおののくことがあるのかと思っていた琥珀の前に、とうとうくだんの龍が姿を現した。
それは、白銀。雨によって濡れた鱗はますます輝き、この世の汚れのすべてを
そして琥珀は、この龍が何者なのか、知っている。だって、首に鱗がない部分があるから。
出会ったときには、銀糸の髪をした、少女めいた面差しだった男。
「紫嵐……」
確信をもって名前を呼ぶ。一声嬉しそうに鳴いた後、彼は人の形に変じた。
「琥珀っ」
黒龍であったはずの男は、すぐさま駆け寄り、琥珀の縄を解きにかかる。硬い結び目に焦れて、まだ正気に戻っていない兵士の腰から剣を奪うと、縄を切り捨てた。
ふらりと倒れこむ琥珀の身を、紫嵐は軽々と受け止める。つい先日まで、毒に犯され臥せっていたとは思えない、いつも通りの逞しさに安堵した。
「紫嵐、髪……」
それから鱗、と、大きな変化のあった部分を指摘しつつ、琥珀は目の前で揺れる長い銀糸に触れた。
「私の鱗や髪が黒くなったのは、母の死後に命を狙われ、やはり毒を使われたときの後遺症のせいだ」
だから、多くの国民は白銀の龍を見ても紫嵐だと認識できなかったのだ。第五王子は黒龍である。そう信じて疑わなかった。それがどうしていまさら治癒して、元の色に戻るのか。琥珀にはさっぱりわからない。
「これのおかげだ」
言うと、彼は胸元から黒いままの鱗を取り出した。琥珀と紫嵐を繋ぐ逆鱗である。
「お前の祈りの力が、私を救った」
今回のものだけでなく、身体の中に沈殿していたものをも解毒に成功した。
まさしく奇跡としか言いようがなかった。まるで、誰かが紫嵐には生きていてもらわないと困るというような……。
紫嵐は琥珀を抱えたまま、民衆に向き直る。白銀の王子としてあの世から舞い戻ってきた紫嵐から、目を離せない。泣いて拝んでいる者すらいる。
「琥珀は、この者は無実だ。私に毒を盛った者、それから母を殺した者。民を苦しませる者は、この紫嵐が決して許しはしない!」
正義はこの手にあり!
琥珀を支えていない方の拳を握り、紫嵐は一点を睨みつけて宣誓する。
彼が誰を見ているのか、わかる。回復するはずがないと踏んでいた弟が、死の淵から蘇ってきて、一番焦っている男のことだ。処刑の十字架が一番よく見える真正面、高い建物から見ている兄弟たちだ。
紫嵐の力強い言葉に、聴衆は雄たけびを上げる。もともと、外に出ることがあまりなく、長期療養中であったことになっている悲劇の王子として名を上げてきた紫嵐の人気は高く、今まさしく不死鳥のごとく復活した姿を見て、彼らはそこに「神」の存在を確かに感じたに違いなかった。
琥珀は彼の胸に、ただ寄りかかっていればよかった。抱きしめられ、触れる場所から鼓動が伝わってきて、「ああ、本当に紫嵐が生きているのだ」と、琥珀は処刑場に連れられてから初めて、心からの涙を流したのであった。
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