虎の決意【一】

 青龍国に帰ってきてからの紫嵐は、有体に言えば放置されていた。

 突如として帰還した、目の上のたんこぶ。しかし彼は朱雀の次期女王で、黄王を祀る神殿の筆頭巫女の書状を伝家の宝刀として携えていた。しかも黄王直々の使命を帯びて。

 もちろん、そのことも道中で雑談のネタにした。大げさに言えば言うほど、民は喜んで知人に拡散していった。そのため、都の商人や職人も、城の下働きでさえも、紫嵐のことを特別な目で見た。暗殺をさせないという意図は当たったことになる。

 病み上がりという嘘の理由で、彼は政治の場からは遠ざけられる。その分、黄王に与えられた試練について考えたり試したりができるので、ありがたかった。

 紫嵐をひとりにさせないように、黒麗と琥珀のどちらか、あるいはふたりともが彼についてまわった。外に行くときも、城の中を歩き回るときも一緒である。

 奇劉から手紙が届いたのは、青龍国に来てから五日後のことだった。他の王族からは眼中になく存在を忘れられ(見えていても、いない者として扱うのが彼らは得意だ)、近衛や官僚からは「こいつら、いつまでいるつもりだ?」と、疎んじられ始めた。当然だ。何をするわけでもなく、紫嵐の後ろを追いかけるだけの存在、客人として扱いたくもないだろう。

 気にしないつもりでいても、肩身の狭さに尻のすわりが悪くなってきたところだった。王子たちの間の伝令を務めている貴族の子弟らしい少年が、苦虫を噛み潰したような顔で、一目見て招待状であるとわかる書状を寄越した。これで琥珀も、正規の客人とみなされるわけである。

 本文は、「時間が取れたので、お茶を飲みながら話をしたい」という簡潔なものだった。仏頂面で待っている少年に、琥珀は手持ちの紙に返事をしたためる。奇劉という名前が細かくて、何度も手紙に書いた名前を確認しながら、なるべく丁寧に書き綴った。

 約束は翌日の昼前。黒麗に話を通したら、「紫嵐には言った?」と言われたので、首を横に振った。

「だってあいつ、家族のこと嫌いだろ。反対される」

「わかってても行くの?」

 琥珀は力強く頷いた。

「俺は俺のやり方で戦うんだ」

 白虎族らしく、情を大切にしたい。

 じっと見つめる琥珀の目に覚悟の程を見て取って、黒麗は小さく溜息をつく。しょうがないねぇ、と笑って、理由をつけてごまかしておくと言った。

 次の日の朝、琥珀は寝台で毛布を頭からかぶっていた。

「頭が痛い」

 仮病は慣れていない。唸り声を上げたり、それっぽく振る舞うべきかと考えたが、顔色はいつも通りなので、すぐにばれてしまうだろうし、言葉少なな方がなんとなく具合が悪そうに聞こえるかもしれない。

 毛布の上から二度、三度とぽすぽすと撫でられた。気遣ってくれるのがわかって、だましていることに申し訳ない気持ちになった。

「鱗は持っているな?」

「ん」

 頷いて、目だけ出す。

 身の安全のため、自分たちの関係を隠さなければならないのに、紫嵐の目は優しい。友人を見るにしては甘すぎて、そんなんじゃすぐにばれるだろ、と思った。口にすれば仮病がばれてしまいそうなので、ぽーっと見つめるだけにしておいた。

 今日は書庫で調べ物をすると出て行った彼らの気配が完全になくなったのを確認してから、琥珀は身支度を始めた。衣服を整えて、爆発しがちな髪の毛を水で濡らして梳り、どうにか落ち着かせようと試みる。着るものはすべて、青龍国側が用意してくれたもので、琥珀としては動きづらい。布の量が多く、何もかもが長い。上も下もずるずると引きずって歩くのが気になるが、文句も言えない。

 寝ぐせがちっとも直らないのを諦めて、琥珀はひとつにまとめると、紫色の紐で括った。青だけは身に着けるものかと抵抗して入手した。女や若い貴族連中が使う、じゃらじゃらと珠飾りのついたものではなく、本当にただの紐。それが好ましいのだ。

 準備が整ったところで、奇劉の寄越した迎えが扉を叩いた。彼付きの小姓だ。愛想のない顔で形式だけの礼を取ると、「こちらです」と淡々と案内をした。

 やれやれ、嫌われている。

 紫嵐以外の王子たちは、皆ひとつずつ、王宮からすぐの場所に宮を与えられている。奇劉の屋敷は、一番奥まったところにあった。外観は地味で、なんとなく落ち着く佇まいである。近くに建っている別の兄弟たちの黄金や白銀で覆われた悪趣味な建物から、目をそっと逸らした。

 中はすっきりと調えられており、各所に花が活けてある。きらきらと光る何をかたどったのかもわからぬ黄金像や、本人の百倍美しく描かれた肖像画と違い、趣味がいいと思った。おそらく花器はものすごく高いのだろうが、琥珀にはまるでわからない。飾ってある書も絵も、招いた人物の教養を試しているのだと思えば、居心地がよさそうだと思った自分の勘は間違いであったと、息苦しくなってくる。

「こちらでお待ちください。主人を呼んでまいります」

 通された応接の間は、毛足の長い絨毯が敷かれていて、磨かれた黒檀の卓や椅子が眩しかった。適当に座ればいいのかと、琥珀は考える。

 これでも白虎王族の端くれだ。作法については一通り学んだ。だが、今回の場合はどちらが正解なのか微妙なところである。

 客人は、扉から遠い場所に座るのが一般的だ。だから琥珀はまず、奥の席に向かった。しかし、相手は青龍王直系、王位継承権を持つ王子であり、自分は白虎王と薄く血が繋がっているに過ぎない田舎者。厳然とした身分差は、果たして主客の関係に当てはめてよいものだろうか。

 悩みに悩んだ結果、琥珀は第三の選択肢「座らない」を選択した。奇劉の従者は「お待ちください」とだけ言った。「おかけください」とは言わなかった。だから部屋の中の飾りをあれこれ鑑賞しながら過ごすのが正解だ。正解であってほしい。

 あまりべたべた触れるものではないので、見るだけに留める。花はどこから摘んできたのか、季節のものとは少し違う、真夏の色彩をしていた。こういうのが青龍族の風流なのだろうか、と首を傾げていると、扉を叩く音がした。

 来た。

 はい、と声を上げると、すぐに開いた。

「お待たせして申し訳ない。こちらが呼び立てたというのに……」

 ぺこぺこと頭を軽く上下させながら言った奇劉は、琥珀が立ったままなのを見て、「おや」と首を傾げた。しかしすぐに柔和な笑みを浮かべると、「ではこちらにお座りください」と、椅子を引いてくれる。奥の椅子だ。安堵して、「失礼いたします」と一礼してから着席し、奇劉は向かい側に座った。

 先ほど案内をしてくれた従者ではなく、女官がやってきて、茶会の準備を行った。ゆったりとした動作なのに、素早い。相当な手練れである。これが琥珀の実家であれば、やれあれがないだの、琥珀様これ持っててくださいだのと、賑やかなものである。思い出して、琥珀は思わず笑ってしまった。

「……何か?」

 自分の手際を笑われたと思った女官は、冷ややかな視線を寄越す。しまった、と琥珀は肩を縮め、弁明をする。

「いえ、その、うちにいる女中のことを思い出したのです。こんな風に優雅じゃなくて、俺……いや、私のこともこき使ったものだなあ、と」

 他意はないのだと、実家での自分の不遇さ、女たちの負けん気の強さを少々誇張して話をするが、女官はすでに聞いていなかった。代わりに、奇劉がくつくつと笑っている。

「大層面白い家で育ったようですね」

「ええ、はい。両親が変わり者なので」

 面白いが嫌味ではなく聞こえたので、琥珀は両親の自慢をした。どれほど他者への慈愛に満ち、ひとりぼっちの人間を家族として迎え入れて過ごしてきたのかを、話した。興味深そうに耳を傾けていた奇劉は、一度茶を啜る。自分ばかりが喋っていたことにハッと気づき、琥珀も自分の前に置かれた茶碗に口をつけた。

 花の香りが強い茶を飲みながら、琥珀は上目遣いで奇劉のことをこっそり伺う。

 やっぱり、この男しかいない。

 家族についての話はするな、間に入ろうなどと思うなと紫嵐に忠告されてはいるものの、琥珀はやはり、あの黄王の詩が気になっていた。黄王に憑依された朱倫は、はっきりと言った。「我に代わりたくば」と。黄王になるのに必要な条件を紫嵐が満たしていないとすれば、それはやはり、「情」ではないか。

 黄王は世界の調停者だ。厳しさや冷静さも必要だが、根底には愛情がないと、世界の平和を維持することはできないと思う。

 紫嵐は家族への復讐ないし制裁のために黄王になろうとしているが、その破滅的な願いを捨てなければ、絶対になれない。

 奇劉とならば、和解できるのではないか。年も近い。穏やかな人となりで、こうして見ず知らずの琥珀をも気遣って、丁寧に話をしてくれる。こんがらがった愛憎関係を、ひとりでも紐解いて正常にしたい。そのために琥珀は、青龍王宮にやってきたのだ。

「さて、琥珀殿」

 茶会の用意をした女官を下がらせ、話を始めた。得体の知れない白虎族とふたりきりにするわけにはいかないと主張した女を、彼は無言で見つめる。そうすると、彼女は一礼してすごすごと部屋を出て行った。その肩は震えていた。

「はい」

 彼は目を細めた。そうすると、余計に蛇のようになって、琥珀の身体は竦む。もちろん、怖がらせようという意図など彼にはない。だが、どうしても一瞬怯んでしまうのだった。

「君は、紫嵐の伴侶ですね?」

「どっ」

 うしてバレた!?

 琥珀と紫嵐は適度に距離を取っていた。黒麗の方がよほど彼に近い場所にいたし、絶世の美形ではないものの、身長差も少なく、遠目から見れば彼らが立ち並ぶ姿は絵になったはずだ。黒麗は紫嵐が書庫に籠ったり、街に下りてあれこれと民に困ったことはないかと聞いて歩いているのに付き合っていて、ときには住民同士のいざこざを解決するきっかけになるなど、役に立っている。

『いや~、僕のこともかっこいいって言ってくれる女の子がこんなに増えるなんて』

 とは、手紙を始め贈り物をあれこれもらうようになり、にやさがっただらしない表情をした黒麗の言である。

 対して、琥珀は傍にいるだけだった。難しい政治の意見を交わしているときなど、あからさまにあくびを嚙み殺したこともある。

 そのせいで、街や王宮の下働きの人間からの評価は下の下。「紫嵐殿下が弱っているのにつけこんで、心配して勝手についてきたどうしようもない男」と認識されている。本当の関係が露見するよりマシだったので、琥珀は否定しなかった。陰口を叩いている場面に遭遇したとき、紫嵐は何か言いたそうだったが。

 絶対にばれるはずがないのだから、上手にごまかせばいいのに、琥珀は黙ってやり過ごすことしかできない。俯いていると、「別に責めているわけじゃないのですよ」と、声をかけられた。顔を上げると、彼は大きな口で焼き菓子をひと飲みにしていた。

「兄たちは気が立っていて見ていないようですが、血の繋がった家族の逆鱗がないことくらい、見ればわかりますよ。龍型にならずともね」

 人型で普段過ごしているとき、紫嵐の鱗はほとんどが衣服で隠れ、首から少しだけ覗く黒い鱗だけが龍の片鱗を見せている。兄弟であっても違うようで、奇劉は頬の右半分にまで鱗が及んでおり、それが一層蛇のように見せている。

「あなたが持っているのでしょう? そこに」

 琥珀はぎょっとした。そして自分が、無意識のうちに服の上から紫嵐にもらった鱗を握りしめていたことに気がついた。

 意を決して、首紐をたぐり、鱗を白日にさらす。失敬、と検分しようとした奇劉の手を、パチン、と衝撃が弾いた。

「えっ、だ、大丈夫ですか?」

 王子に危害を加えたとなれば、同じ王族の招待を受けて滞在している身とはいえ、重い罪に問われることとなる。

 奇劉は指先を摩りながら、「大丈夫ですよ」と微笑んだ。

「逆鱗は、私に触れてはほしくないようなので。あなたのせいじゃありません」

「はぁ……」

 気休めだと言っていたが、しっかりと護符の効果あるじゃねぇか!

 内心で焦る琥珀をさらに狼狽させたのは、奇劉が深々と頭を下げてきたからであった。身分が違いすぎる相手に対するものではない。何度もやめるよう頼んで、ようやく奇劉は顔を上げた。

「奇劉殿下……」

 その目には、涙が光っている。酷薄な蛇のようだと思っていた瞳には深い後悔の色がある。

 この人は、自分が思っていたとおりの人である。紫嵐と和解をするのはこの人以外にありえない。

「どうか、弟との間を取り持ってはくださいませんか?」

 彼はいかに、自分や兄の母方親族たち、その取り巻きたる貴族たちが末の弟に対して冷たく当たってきたのかを語った。紫嵐本人が時折憎しみ交じりに零していたのよりもずっと詳細に。醜悪な嫉妬に、琥珀は眉根を寄せた。

「実を申しますと、彼の母を暗殺したのは、私の母の一族の者なのです」

「っ、それは……奇劉殿下は、ご存じなかったのですよね?」

「もちろんです! 知っていたら、何をしてでも止めていました!」

 紫嵐と年が離れている奇劉も、当時はまだ十代の少年。ほんの子どもで、王子と言っても周囲の大人には逆らえない。気づいたところで、何ができるでもないことは、琥珀にも想像がつく。それでも、

「……あなたは今まで、その事実を紫嵐に告げて、謝罪をなさったのですか?」

 知ったときにすぐに、彼に謝らなかったのはなぜか。それは不誠実な態度ではないのかと、琥珀の糾弾に、奇劉は肩を落とした。

「彼は母の死後、すぐに叔父に連れられて他の国に行ってしまったので、私が真相を知ったときには、もう」

 こじれにこじれた兄弟関係を、元に戻す術はなかった。奇劉が遣いをやって話をしたいと言っても、紫嵐は無視を決め込むばかりであった。

「けれど、伴侶のあなたの言うことならば、少しは聞く耳を持つでしょう。どうか、お願いします。私はどうしても、紫嵐に謝らなければならないのです」

 再び頭を下げた男の旋毛を、琥珀は眺めた。考えるまでもない。

 そっと彼の手を取ると、弾かれたように顔を上げ、信じられないという目で琥珀を見つめる。にこっと微笑めば、満ちていた涙がぽろり、頬に流れていった。

「俺は、最初からそのつもりです」

「琥珀殿……!」

 感極まった奇劉を、「本当に赦してもらえるかどうかは、これからなんですからね!」と、琥珀は励ました。

 和解に向けての、小さくも大きな一歩であった。


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