伏魔殿【二】
都に入って、呆気にとられたのは琥珀だけではなかった。
最初、馬車を取り囲まれた瞬間は、なりふり構わず来たのかと思った。朱雀国から借りた兵たちも武器を構え、迎撃の体勢を取っていたし、馬車の中では紫嵐が琥珀を腕の中に庇った。そんな風に守られずとも、自分の身は自分で守れる。そう吼えかけた琥珀の耳に、歓声が届いて気が削がれた。
「お帰りなさいませ! 紫嵐殿下!」
王宮へ続く道の両脇は、青い布を持つ市民たちで埋め尽くされていた。大勢の民が、紫嵐の帰還を歓迎している。
「なあ、手のひとつでも振り返してやったらどうだ?」
なるべく窓から姿を見せないようにして、琥珀はこそっと進言した。苦い顔をして紫嵐はつぶやく。
「……そういう性格じゃない」
それでも街の人たちは喜ぶだろうと説得をすれば、渋々ながら紫嵐は微かに笑みを唇に載せて、ひらひらと手を振った。キャーっという悲鳴とともに、何かが倒れる音がしたが、きっと気のせいだろう。
殊更にゆっくりと進んだ馬車が、王宮の門前に着く。
「では、ここからは我々青龍国の近衛が警護を代わります。朱雀の方々は、どうぞお国へ」
琥珀たちに手を貸し、馬車から降ろしてくれた朱雀兵たちは、こちらを心配そうな顔をして見つめた。朱倫からあれこれと言い含められているから、自分たちのことを心配してくれているのだ。
紫嵐と目を合わせてから、ふたりで彼らに力強く頷く。こちらは大丈夫だ、と。
「あ~……うん。これは、なるほどねェ……」
琥珀たちが朱雀兵たちとの別れを惜しみ、感謝を伝えている間に、黒麗はいつの間にかひとりで歩き回っていた。紫嵐と一緒に馬車に乗っていたのだから、賓客である。しかし突然の奇行に、青龍兵は戸惑っている様子だ。
「黒麗! 勝手な行動は慎め」
紫嵐の一喝によって、黒麗は足を止めた。頭の後ろで手を組んで、「はいはーい」と、軽い調子で戻ってくる。何やら前途多難な様相を呈してきたが、彼の存在が目くらましになったりすることもあるはずだ。たぶん。
「殿下、失礼ですがこの者たちは……」
王宮にはあまり情報が行っていないとみえる。何せ白虎国からずっと一緒だった琥珀のことを知らないのだ。興味がなかっただけかもしれないが、軽く扱われているようで面白くない。琥珀は唇をむっと突き出して、不機嫌さを露にした。
「彼らは療養中の私を助けてくれた、恩人だ。病み上がりの私の身体を気遣って、同行を申し出てくれたのだ。丁重にもてなせ」
「……はっ」
彼らの返答に妙な間があったのは、二心があるからであろう。
近衛、すなわち王の警護を任された、軍の中でもほんの一握りにしか許されない名誉職の彼らであっても、忠誠心は王家全体ではなく、紫嵐と敵対する連中に捧げられている。紫嵐が受け取るのは、中身は空っぽな見せかけだけのものだ。
ほら行くぞ、と促されて魔窟へと足を踏み入れる。
青い貴石でできた廊下には、映えるように白い敷物が敷かれており、蒼天のようである。贅を尽くした王宮は、子どもの頃に行っていた白虎王の宮殿とは趣が違っていた。玉座のある間までの渡り廊下には、現在の王や妃、王子や姫の肖像画がずらっと並んでいる。趣味が悪い。これがもっと古い時代の先祖たちの肖像画であればまだしも、自分たちの絵を飾って毎日眺めているなんて、自己愛が強すぎる。
何よりも、琥珀の神経を逆なでしたのは、その絵の中に紫嵐を描いたものが一枚もないところだった。妃たちだけじゃなく、王からも疎まれているというのを肌で実感した。
突き当りの豪華な金の彫刻がされた扉を開ければ国王がいる。けれど、案内役の女官がしずしずと開けたのは、その手前の一段か二段落ちる扉であった。
「陛下は体調が優れず、お会いになれません。代わりにこちらで、王子殿下たちと兄弟の再会をお祝いくださいまし」
つんけんした、紫嵐のことを値踏みする態度を隠さない女にも腹が立つ。彼自身が「そうか」と流しているから、琥珀は切れないように我慢したが、次に何かがあったら壁を殴ってしまうかもしれない。そんなことをしたら紫嵐の弱みになってしまうから、黒麗の尻でもつねって我慢しようと考えた。
中には、紫嵐の兄たちが勢ぞろいしていた。うわぁ、と声を出さなかったのを褒めてもらいたい。
何せ、上から下までキラキラした糸で派手な文様を刺繍された衣服に、ごてごてと大量の耳飾りや首飾りをつけている。それが似合う美形ならまだしも、だ。
彼らは紫嵐とは、半分しか血が繋がっていない。にもかかわらず、容姿の差は歴然としていた。特別な装飾品がなく、地味な旅装束のままの紫嵐の方が、よほど光り輝いて見える。だからこそ、やたらと飾り物を持ち出して、たくさん身に着けているのかもしれない。
えらそうな態度でぐちぐちと嫌味を言う彼らの話に興味はなく、琥珀は長兄から順に、不自然にならないように見て行って、勝手なあだ名をつけた。
一番上は猪か豚。二番目は大きな眼鏡をかけているから蜻蛉。三番目は一番上とは真逆で細いから胡瓜。
四番目の兄は……と考えている最中に、当の本人と目が合った。紫嵐のすぐ上の兄だが、年は十以上離れている。外見に極端な特徴のある他の兄弟たちと比べると、彼は体型も普通だし、顔に目立った美点も難点もない。目鼻立ちが少々蛇っぽいが、首にある鱗がそう思わせるだけかもしれない。
名前はなんだったか。王宮に着く前に紫嵐から教わっていたが、さっぱり記憶には残っていなかった。こちらから呼びかけることなどほぼないし、いざそのときが訪れたって、「殿下」と声をかければ振り返るはずだ。そもそも覚える気がなかった。
愛想笑いの裏で、「なんだったっけ」とぐるぐる考えている琥珀に、男は微笑みを浮かべた。そして、「兄上方」と、口うるさい他の兄弟たちに呼びかける。
「
豚の長兄が返事をしたことで、琥珀はそうだそうだ、奇劉だった、と得心して小さく頷いた。思い出せてすっきりした。他の兄弟たちについては、いいか。どう擦り寄ったところで、琥珀の望む結果にはならない。ならば近寄らない方がいい。
奇劉兄とやらは、他の連中よりも物分かりがよさそうだ。物腰も柔かだし、ここまで紫嵐や琥珀たちのことを馬鹿にした発言は一切なく、ただ黙っていた。
止めるならもっと早くにしてくれればいいのに、と思わなくもない。ただ、琥珀は役所での父の仕事を見てきた。街の人たちからの苦情や要望、上の人間からの命令、同僚たちの愚痴。それらすべてを一身に受け止めて、はいはいと受け流し、なんだかんだ妥協案を見つけてしまう父のような、立場の難しい人間なのだろう。兄たちからは鼻で笑われて、馬鹿にされているようだし。
「紫嵐もご友人方も、長旅で疲れています。今日はこの辺で……」
「ふん!」
興が削がれたというように、肩を怒らせて彼らは部屋を出て行った。残されたのは奇劉のみ。
彼は袖に手を入れて、頭を垂れる。同格の者に対してでなく、より敬わねばならない相手、あるいは本心から謝罪しなければならない相手に対する礼を取った。
「紫嵐。本当に、すまなかった……本当は、私たち息子が、母や親戚たちを止めなければならないというのに」
その言い分だと、紫嵐の話とは少々違うように聞こえる。王子たちは直接暗殺騒ぎには関わっておらず、背後にいる家族が暴走しているだけのようだ。
琥珀はちらりと、隣の紫嵐を見た。兄が頭を下げているというのに、無言で見下ろしている。彼が何か反応をしないと、奇劉も顔を上げられないので、部外者である琥珀としては、どうにかしてもらいたい。
「ねえ、お兄さん。紫嵐との積もる話やらなんやらあるんでしょうけれど、今日はもう、僕たち部屋に帰りますね。また明日以降、お話しましょう」
気まずい空気を壊すことにかけては信頼のおける男・黒麗がのんびりと言ったことで、ようやく奇劉は顔を上げた。あからさまにほっとした表情を浮かべている。
紫嵐は無言で背を向け、黒麗も鼻歌混じりにその後を追う。最後尾からふたりに続こうとしていた琥珀を、奇劉は呼び止めた。
「琥珀殿」
「はい」
「君は……いや、なんでもない。今度、個人的に話をしたいことがある」
視線を逸らし、身体の前で組んだ指は落ち着かない。悪い人ではなさそうだと、琥珀は直感する。
他の兄弟とは違って話が通じそうなので、にっこりと笑って、「私はいつでも大丈夫です」と、胸を張った。
紫嵐のために、自分もできることをする。例えば、彼が決して交流しようとしない兄たちとの対談だってなんだって、言葉は拙くとも、笑顔で乗り切ってやる。
琥珀は一礼して、慌ててふたりの後を追いかけた。
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