黄王の預言【二】

 託宣の儀は、巫に多大なる負担がかかる。神懸かりした朱倫は、告げるべきことを紫嵐に伝えると、ふっと意識を失ってしまった。

「こんなのは神殿始まって以来の大事件ですよ!」

 とは、長の言い分である。どうやら巫が黄王から授かる託宣とは、通常、頭の中に浮かぶそうだ。朱倫はこれまでに何度も儀式を執り行ってきたが、いずれも彼女自身の声と意志を保ったまま預言をしてきたわけで、今回、人相も声も変化したのは前代未聞、朱倫がいくら力ある巫とはいえ、初めてのことであったという。

 ならばあれは、黄王陛下自身の言葉であったということか。

 朱倫は医師の診察を受けている。呼吸や心音に異常はないというから、あとは無事に目を覚ますのを祈ることしかできない。

 何もできずに邪魔になるだけの琥珀たちは、宿に戻ってきていた。

「あ、お帰り」

 宿の子どもたちと毬をついて遊んでいた黒麗が、のんきに言った。琥珀はいまだ興奮冷めやらず、「どうしてお前、来なかったんだ? すごかったんだぞ!」と言った。なぁ、と紫嵐に同意を得ようとして振り返ると、彼は渋い顔をして黙りこくっている。

「へぇ、そんなに?」

 紫嵐はあてにならないと、黒麗は琥珀に先を促す。儀式の間で見たことをそのまま話すと、そこにいた子どもたち、姉の方が目を爛々と輝かせていた。

「さすが、朱倫様!」

 どうやらこの国の女は、巫姫に熱狂するようにできているらしいと悟った。燦里と同じ表情をしている。

「それで? 帰るのかい、紫嵐」

 問いかけに、紫嵐の眉間にさらに皺が刻まれる。どこかの街の美女が顔をしかめるのがあまりにも美しかったから、周囲の女たちがこぞって真似をしたという故事を思い出す。美しい男も、どんな表情であっても美しく、魅力的なものだ。

「……一晩、考える」

 苦渋の決断といった風情で、そのまま部屋に戻ろうとする紫嵐を、琥珀は呼び止めようとして、でもしなかった。

 青龍国での彼のことを知らない琥珀では、なんの役にも立たない。しばらくの間、ひとりにしておこう。

 幸い、宿の人々は紫嵐と琥珀が内縁関係にあることを知らないから、部屋は別だ。療養中は、彼が琥珀の部屋にずっといて、つきっきりで看病してくれていた。紫嵐がランで、自分のことをずっと覚えていてくれていたと知り、木楊や朱倫、おまけで黒麗に対するもやもやの正体が、実は恋に端緒を発することを自覚して以降、一緒の部屋がいいな、と希望していたわけだが、おそらくこれからも別部屋を取ることになるだろう。琥珀は溜息をついた。

 紫嵐に付き従っている白虎族というだけで目立ち、標的とされる可能性が高い。さらに彼と特別な関係にあることを知られたら、青龍国では確実に、人質とされてしまう。それくらい、予想がつく。腐っても自分だって、王家の血を引くものなのだから。

 足手まといになりたくない。肉弾戦ならば負けないが、情報戦になると、とんと弱い自覚はある。だが、琥珀は紫嵐を守らなければならない。あの頃と変わらないと言ってくれた彼に報いたいのだ。

「琥珀」

 名前と同時に、毬がびゅんと勢いよく飛んできた。うお!? と焦りつつも危なげなく受け取ると、凧の一件からすっかり懐いた男児が、「虎の兄ちゃん、すげぇ!」と、はしゃいだ声を上げた。

「おい、危ないだろ」

 並外れた反射神経の琥珀だから取れたが、何の前触れもなくあの速度で投げつけられたら、普通は怪我をする。ましてここには、小さな子どもも一緒に遊んでいるのだ。

「青龍国でぼんやりしていたら、あっという間に付け込まれるよ。あそこはそういう場所だ。白虎王族のおおらかさとはまるで違う」

 唾を飲みこんだ琥珀に、黒麗は「紫嵐が戻るって言ったら、君もやっぱり行くのかい?」と問う。

「当たり前だ。俺はあいつの……あいつの、その、夫だからな! 一蓮托生ってやつだ!」

 胸を張る。本当は怖い。自分が危ない目に遭うこと以上に、自分のせいで彼が危ない目に遭うのではないかと。それでも虚勢を張り、俺がいれば百人力だと請け負う。言葉にしていれば、真実になると信じて。

 黒麗の目が、じっと見つめてくる。無言でいる彼は珍しく、琥珀はいつもと違う意味で圧倒され、思わず一歩引いた。なんだよやんのかよ、と構えかけて、けれど彼はふっと微笑んでいつもと変わらぬ柔和でふわふわした態度に戻ったので、拍子抜けした。

「奥さんが男前で、紫嵐は幸せ者だねえ」

「ハァ!?」

 反論しかけたところで、袖を引かれて琥珀は下を向いた。

「虎の兄ちゃん、お話終わった? 遊ぼ」

 慕われると無下にはできないのが白虎族の性。

 琥珀は毬をしたり力比べをしたりと、大いに遊んで時間を費やした。いつの間にか黒麗はいなくなっていたし、子どもと一緒になって騒いでいるのは聞こえているだろうに、紫嵐は顔を見せなかった。



「青龍国へ行く」

 一晩考えた結果、紫嵐は結論を出した。

「わかった」

 本当は、思うところはある。

 口づけを交わし、真の契りを交わした自分を捨ててまで、親族に復讐を果たしたいのかと。

 琥珀は賢明にも、この場で問い詰めることはしなかった。彼の意志が固いのは知っている。喧嘩になって、「お前とはここまでだ」と言われるのが嫌だった。旅の途中、あるいは現地に着いてからでも、説得はできると踏んでいる。

「それで、黄王陛下からのお題はわかったのか?」

 なぜなら、「汝のすべきことを果たせ」という命題を、紫嵐はまだうまく飲み込めていないからだ。

 苦い顔をして、首を横に振る。なにしろ、祖国にはまるでいい思い出のない男である。王子としての務めを果たせ、であれば聞き入れられない。その点も踏まえて、青龍国へ渡るべきかを一晩中考えていたわけだが、結論、黄王の預言には逆らわぬ方がよいとした。

「まぁまぁ、ゆっくり考えなよ。僕らも知恵を貸すからさ。ね、琥珀」

 後ろから紫嵐の両肩に手をやり、こちらにはバチンと片目を瞑ってみせた黒麗に、琥珀は「お、おう」と、ややたじろいだ。

「ちなみに琥珀くんは、紫嵐がなすべきことってなんだと思う?」

 突然の問いに、口を噤む。わからない、と答えることは簡単だったが、紫嵐の目もわずかに期待を孕んでいるように見えて、回答しないわけにはいかない。

「えーっと……」

 目が泳ぐ。頭を使ってこなかったから、急に難しいことを聞かれても、うまく思考が働かない。

 黄王から賜った命だ。当然、次の黄王になるための試練が、青龍国ですべきことを成せ、という話になるのだろう。黄王になるためには何が必要なのか。黄王になるために、紫嵐には足りないものはなにか。

「あ」

 ふと思い出した詩があった。正確なところは覚えていない。あれは、白虎国と玄武国の国境近くの村で、梨信と話をしているときに出てきた。もう遠い過去の話のようだ。徐々に次の季節が見え始める頃だから、三月ほどしか経っていないのに。

 梨信や木楊は、なんと言っていたっけ。確かあのとき、「紫嵐にはこれだけ足りないな」と感じた要素があったはず。 四神の要素をすべて持ち合わせているのが黄王となれる者だったはず。

 琥珀は旅をともにするふたりを見つめる。玄武族の黒麗。青龍族の紫嵐。それからここは朱雀国で、朱倫という知り合いも増えた。玄武、青龍、朱雀。それから白虎である自分。

 琥珀は自分の手のひらに目を落とした。確かあのとき、白虎の要素だけないと思ったのではなかったか。

 白虎の句は……情の深いこと。この情は特に、血の繋がった者、家族とみなされる者への愛情に繋がっている。紫嵐には最も縁遠いものであった。

「家族……」

 ぽつりと呟いた琥珀に、「うん?」という様子で紫嵐は首を傾げた。

 もしも自分が。彼の伴侶、新たな家族となった自分が、もともとの家族と紫嵐の間を取り持つことができたなら。いいや、できる。自分は白虎族で、その中でも一度は「白」の字を戴いた者だ。ない知恵を振り絞って、それでもだめなら正直に、誠実に双方に言葉を尽くしてわかってもらうしかない。

 もちろん、紫嵐の命を今も狙っている連中は駄目だ。説得できる材料も自信もないし、またいつ裏切られるかもわからない。

「あ、あのさ紫嵐。家族の中で、ひとりでも好きになれそうとか、ちょっとでも信頼できそうな相手って」

「いない」

 皆まで言う前に、きっぱりと切り捨てられた。恐ろしいまでの無表情で、目も冷え冷えとしている。

「琥珀。私の前で、連中の話をしないでくれ。不愉快だ」

「わ、わかった……あ、でも、昔世話になった叔父さんには、手紙を送っておいた方がいいんじゃないか?」

「叔父は今、白虎国に移住している」

 取り付く島もないとはこのことか。

 これは前途多難だなあ、と琥珀は頬を掻いた。自分たちのやりとりを、黒麗は面白そうに、黙ったまま見届けていた。






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