寒村の賢者【一】
「ところで、目的地はあるのか?」
休憩中、琥珀がふと疑問に思って尋ねると、紫嵐は目を細めた。微笑ましく思っているのではない。最近、彼の表情から心を読み取ることができるようになってきていた。
なんだって俺がそんな顔をされなきゃならないんだ、と同意を得ようとして木楊を見る。すると彼もまた、信じられないものを見るような目でこちらを見つめ返してきた。従者のくせに、こいつは時折主人である自分をこんな風に馬鹿にしてくる。
カッとなりかけて、琥珀は一応思い返してみる。ふたりの反応からして、琥珀ひとりだけの疑問であるらしい。ということは、旅の目的については紫嵐と木楊の間ではすでに話し合われたということで、やっぱり馬鹿にされている。
琥珀の怒りの矛先は、常に木楊に向けられる。彼は両親が自分につけた従者だ。その彼が自分に隠し事をするなど、許されない。
「木楊! お前、何か知っているのになんで言わないんだ!?」
怒鳴られてびくりとする木楊は、「でも」「だって」と話をしようとするが、言い訳に過ぎないと結論し、琥珀は腰に手を当てて説教を始めようとした。従者のしつけは主人の大事な仕事である。
「やめろ。彼は何も知らない。私が呆れたのは、今になってのんきなことを言うお前に対してだ」
二撃、三撃を食らわせようと息を吸い込んだ琥珀を、紫嵐は止めた。何も知らない? なのにどうして木楊は、こちらを驚いた顔で見ていたのか。
琥珀の鋭い眼光に怯え、木楊は顔色を見る。琥珀のではなく、紫嵐のものだ。彼が仕草で促すと、ようやく木楊は、びくびくおどおどしながらも、自分の意見を口にした。
「わ、私は従者ですから。目的があろうとなかろうと、おふたりについていくだけなので……てっきり、私の知らぬところで旦那様とお話をしていらっしゃると思ったのです」
「だ、そうだ」
ぐう、と琥珀は詰まる。確かに、従者が差し出がましい口を利くのは好まれない。特に琥珀は、愚鈍な木楊の意見など求めたことがない。聞いても意味がないと思っている。彼自身、わきまえて黙ってついてきただけなのである。それを琥珀は、勘違いで怒鳴ってしまった。
紫嵐が「いまさら」と言うのもわかる。砂流の街を出て、すでに三日が経過している。琥珀は野宿の経験もそこそこあった。紫嵐もまた、逃亡生活で宿に泊まれないことも多かったのだろう。装備をしっかりと調えて、野営をすること数度、旅に慣れてきて、ようやく、「そういえば終わりはあるのか?」と気づいたのだから、我ながら鈍い。
「まあ、親元を離れたこともなかったのだから、無理もないか」
一定の理解を示した紫嵐は、水を飲ませていた馬を呼び戻し、毛並みを整えてやりながら話し始めた。
「
「知ってるに決まってんだろ」
さすがに、という余計な一言を足さなければ気が済まないあたり、性格が悪い。ならば説明してみろ、と言われて、琥珀はどこから話せばいいんだ、と唇を舐め、目を上向けにして考える。いや、考えるフリをした。
どうやら「知っている」だけで、「理解している」とは言えない状態であると判断した紫嵐は溜息をつくと、木楊に話を振った。
「常に霧に覆われ、誰もたどり着けないという貴山の頂に住んでいらっしゃる尊いお方ですよね。天帝と唯一交信ができ、地上の民と天帝の橋渡しをするという」
そう、自分もそれを言いたかったのだと、琥珀は頷くが、紫嵐には無視された。彼は木楊のことしか見ておらず、面白くない。
「千年に一度、黄王は代替わりをする可能性があることは?」
「聞いたことはありますが……実際のところ、どうなのでしょうか?」
ああ、この嫌な空気には覚えがあるぞ。
琥珀はげんなりと、ふたりを見守った。教師と生徒による、問答の時間である。学校ではよくある光景で、琥珀は自分が詰められるのも嫌だったが、できる生徒が教師の信頼どおりに投げられた玉を打ち返すのも、気に入らなかった。内心で舌を出す。
「最も長寿な玄武族ですら、その半分以下しか生きられないから、歴史上の文献を探すしかないわけだが、青龍国はあまり、信心深い者がいない国でな。まあ、だからこそ他国への侵略の機会をうかがっているわけだが」
黄王が望むのは、世界の均衡だ。どこかひとつの国が衰えすぎたり栄えすぎたりがないように調律する。それは巫への預言や為政者の夢に表れたり、暗示的な手法で行われる。
結局、地上を動かすのは人間だ。黄王の言うことを聞かずに荒廃すれば、天上の世界から下々を見下ろしている天帝からの罰が与えられる。少なくとも、この世界に生きている者は皆信じているし、実際、天罰としか思えない事態が起きたこともあるそうだ。
青龍国が他の三国の領土を手に入れようと本気で思っているのならば、それは天をも恐れぬ行為である。木楊など、すっかり恐ろしがってしまっている。
「それで、その黄王様がどうだっていうんだよ?」
わざと敬意を払わぬ口調で言った。怯える木楊に、苛々しているせいだった。黄王も天帝も、琥珀は見たことがない。困ったときには祈るけれども、いつもその存在を感じているかといえばそうではない琥珀にとって、彼らは自分とは関わりのないものである。
しかし、紫嵐にとってはそうではなかった。
「私が次の黄王になる」
あまりにも真剣な表情だったため、琥珀は笑って茶化すことができなかった。口を開け、ただただ固まった。
黄王に、なる? 伝説の存在にしか過ぎない。年が改まったり、誕生日を迎えてひとつ年を取る度に、黄王を祀る神殿へ出かけて様々な誓いを立てたり願掛けをしたりは琥珀もしたことがある。しかしその存在について、あれこれと考えを巡らせたことはなかった。
「千年紀が、今年か来年に当たるのは間違いない。しかし、どうすれば黄王の座を禅譲されるのか、わからないから調べているのだ。お前たち、何か心当たりはないか?」
「心当たりったって……」
琥珀は頬を掻いた。青龍国のように徹底して眉唾物であると判断していないだけで、琥珀もそもそも、天帝にも黄王にも興味がない。上級の学校に行っていたら、もしかしたら習う機会があったのかもしれないが、基本学習だけでも音を上げた琥珀には厳しい。
役に立てそうもないや、と愛想笑いでごまかした琥珀に対し、木楊はおずおずと切り出した。
「旦那様が求めていることを知っているかもしれない人物には、心当たりがございます」
「ほう」
いつの間にそんな伝手を得ていたのかと睨めば、木楊は恐縮してしまう。紫嵐にその態度を怒られた琥珀は唇を尖らせ、ぷいと横を向いた。
「して、木楊。それはどこにいる、なんという人物だ? 都にいるのか?」
「いいえ、旦那様。そのお方は都は何かとうるさくてかなわないからと、隠居生活を送っていらっしゃるそうなのです」
学ある者の中でも優秀な者は皆、都で官僚を目指すものだ。国のために身を粉にして働き、高給を得る。長老のところの孫息子も、官僚になることを期待されていたが、成績が足りずに都の大学への推薦がされなかったため、小さな街で威張り散らしているのだ。
権力志向が強く、実務に携わりたい者がほとんどの中、中枢から外れて研究生活に没頭したいと考える学者は変わり者だ。そうした研究馬鹿だからこそ、知っていることがあるかもしれない。
「確か、お名前は
「なるほど」
紫嵐が顎に手をやってじっと考え込んでいる間、琥珀は木楊をこっそりと肘で突いた。悪いことをしたわけではないのに、提言の沙汰を待つ彼は挙動不審で、琥珀のちょっとした攻撃に、「うひゃあ」と、間抜けな声を上げた。それでも紫嵐は、黙考している。
「お前、いつの間にそんな情報を」
「その、ええと……ちょっとした伝手が、学校にありましたので」
琥珀が学校に通っているときは、木楊も一緒に通っていた。荷物持ちとしてしか認識していなかったし、琥珀がそう扱うことで、耳無しの彼がどうして机を一緒に並べているのかを、同級生たちは理解した。
子どもからは遠巻きにされていた木楊だったが、教師の覚えはめでたかった。琥珀が上級の学校には行かないから、木楊も進学しないと言ったときには、おおいに嘆く先生もいた、とか。おそらく彼の言う伝手は、学校の教師陣なのであろう。琥珀はひとり、納得した。
「よし」
熟考から帰ってきた紫嵐は、梨信に会ってみようという結論に達した。他に手がかりがない以上、少しでも情報を集めたい。たとえ梨信その人は黄王の代替わりについて何も知らなくとも、研究をしている人物については知っているかもしれない。
木楊は、梨信が暮らしているのが、玄武国との国境近くの村であることまで知っていた。今いる場所からなら、ゆっくりと馬を走らせても明日の午後にはたどり着けるだろう。
「そうか。よく教えてくれた、木楊。お前は存外、役に立つ」
「ふぇ、へ、へへ……」
褒められ慣れていない木楊は、紫嵐の言葉に引きつった笑いで応えた。もっとしゃっきりしろよ、と琥珀が言うと、途端に首を引っ込める。
「琥珀。木楊をいじめるのはやめろ」
「いじめてなんか……」
否定の言葉を紡ぎかけて、琥珀は口を噤んだ。
紫嵐の目が、「お前は役立たずなんだから」と言っているように感じられたせいだった。
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